日本からウクライナ女性を支援 俳優/アーティスト/デザイナー/起業家 TAKANEさんの挑戦

公開日 : 2023-11-27

2023年9月末、東京・新橋で人気を博したウクライナ料理店「スマチノーゴ」(ウクライナ語で「おいしく召し上がれ」の意味)がいったんの幕を下ろしました。

レストラン「スマチノーゴ」は、2022年9月に、故郷での紛争から逃れて日本に避難してきた女性6名と男性1名から成るウクライナ避難民が働くレストランとしてオープン。日本人の口に合うようにアレンジを加えたウクライナ料理のメニューと、そこで働くウクライナ女性との温かな交流が話題となり、常連客も多く通う話題のレストランとなりました。

今回のWOMEN+BEYONDストーリーでは、レストラン「スマチノーゴ」を企画し運営を続けたオーナーのTAKANEさんにお話を聞きました。
 

― 俳優、アート、デザインなど、幅広い分野でご活躍のTAKANEさんですが、なぜウクライナ女性の支援をはじめようと思われたのですか? 

(TAKANE)これまでも、戦争によって困難な状況に立たされた人々に対して、経済的支援を続けてきました。今回も、侵攻当初は経済的支援だけだったのですが、日本政府が珍しく避難民を受け入れるという決断をし、多くの女性避難民が来日しているのを知り、直接何かしてあげられることはないかと思ったのです。私自身はヨーロッパに長年住んでいた経験もあり、文化的に仲間意識がありましたし、今回の避難民の多くが女性であったことから、女性としての立場や心情が理解できるのではないかとも思いました。そこで経済的支援にとどまらず、直接関わることによって、精神的なフォローもできるのではないかと考えたのです。

― 日本で、支援の形としてレストランの開設を考えられたのはなぜですか?

(TAKANE)2022年3月に日本政府が避難民の受け入れを表明したことで、「日本に来た避難民を、不安や恐怖から解放させてあげたい」と思うようになりました。
そこで、避難民に雇用機会を提供することで、経済的な支援と精神的支援を両立できるのではないかと思い立ちました。
日本語が喋れなくても、支援に興味のある多くの日本人と交流できる環境をつくり、その中で仕事をさせることによって、避難民たちがさらなる支援を受けることができるようにしたかったのです。一方で、日本人に対しては、支援に興味があっても、どうして良いかわからず何もできない人たちが多いと思いましたので、気軽にアクションを起こすことのできるきっかけとなる場所を作りたかったのです。
そこで「日本語が話せなくても配膳ならできるのでは」と考え、また「レストランなら、支援される側も支援する側も、リラックスして気軽に楽しくコミュニケーションできるので、その気軽な雰囲気が支援へのつながりやすさを生むのでは」と考えました。
さらに、レストランを開くのであれば、ウクライナ料理のお店にすれば、働く側にとっては、祖国と繋がっている安心感や祖国の文化を紹介できる誇りも感じられるため、働くモチベーションにもつながるでしょうし、また日本人にとっては、この場所が支援のためのレストランであるというメッセージ性が伝わりやすくなるので、支援に興味のある人々を惹きつけやすくすると考えました。
私自身は料理好きではあったものの、ウクライナ料理には詳しくなかったので、共にレシピを考案してくれる料理人を探したり、ウクライナ料理や東欧のワインを勉強するところからはじめました。

 
― ウクライナから避難されてきた女性の雇用や接客指導、レストランの物件探しから店舗のデザインまで、数か月の間に進められたそうですね。

(TAKANE)
物件を探したり、内装をデザインしたり、お皿やグラスなどの備品を用意したり、またメニューを作成し、仕入れ先を探し、そして人を募集するなど、大きなことから細々したことまで、仕事量は膨大でした。それでも、避難民たちは早急な支援を必要としていると思ったので「きっと誰かの役に立つ」という想いで準備を急ぎました。
日本に一時避難しているウクライナの国民は、避難民ビザを申請すれば日本国内で就労できますが、実際に働くことになるウクライナの女性と出会うのは簡単ではありませんでした。最初はハローワークや外国人雇用サービスセンターなどの公的機関でマッチングを試みましたが、結果はゼロ。言葉の壁や、専業主婦で働いた経験がなく、応募に躊躇される方が多いとのことでした。その後SNSでの募集を行ったところ、20名ほどの応募があり、その中からオープニングスタッフとして7名を採用しました。
日本語も英語も堪能ではないスタッフが多く、日本における飲食店サービスの経験もなかったため、準備期間だけではなく、指導も含め開店当初の仕事量も本当に多かったです。お子さんがいるスタッフたちのシフト調整にも苦心しました。でも人任せにせず、すべて私自身が一人一人に誠実に対応してきたからこそ、各スタッフの心と触れあうことができたと思います。その結果、信頼を得ることができ、ひとりひとりの悩みをケアすることもでき、また彼女たちに安心感を与えることもできたと思っています。
― 新橋というビジネス街に開店した「スマチノーゴ」では、スタッフとお客様との交流も活発だったとのことですね。

(TAKANE)新橋という場所を選んだのは、遊びや楽しみがメインのエリアではなく、社会的問題に対して関心が高い人々が多いエリアだと思ったからです。ビジネスパーソンが多いエリアなら、避難民への支援を意識して『同じランチを食べるなら避難民のためにお金を使おう』と思ってくれる人がいるのではないかと思いました。
その予想が功を奏して近隣の常連のお客様が多かったのもありがたかったですし、またわざわざ他県など遠方からお越しくださるお客様がとても多かったことも嬉しかったです。
各テーブルにはウクライナの文化や言語に関する情報を掲載したり、スタッフの紹介カードなども設置し、避難民スタッフを身近に感じてもらえるように工夫しました。常連のお客様が増えるなかで、お客様とのコミュニケーションを通して、スタッフたちもやりがいを感じることができ、居場所が作られていくと感じました。
お客様のなかにはウクライナ語を勉強してスタッフに話しかける人もいらっしゃいましたね。スタッフも会話を楽しんでいる様子で『ウクライナに興味を持ってくれて嬉しい』と言っていました。

― ウクライナと日本の友情を体現したレストラン「スマチノーゴ」でしたが、2023年9月に惜しまれながら閉店されました。閉店の経緯をお伺いできますか?

(TAKANE)いちばんの理由は人手不足です。ウクライナでの戦争は続いていますが、戦争の長期化に伴い、家族の事情などで一時帰国を余儀なくされるスタッフが増えたことが背景にあります。
開店当初からの私の望みは『戦争が終わり、ウクライナの人々が祖国へ帰ることができること』でしたし、戦争が終わればお店を閉めることを決めていました。
残念なことに戦争は長期化してしまいましたが、開店当初から、戦況による避難民の状況に臨機応変に対応することを前提に営業していました。
最終日の営業では、スタッフたちは全員ウクライナの民族衣装ヴィシヴァンカを着てお客様をおもてなししました。私自身もスタッフたちから「私たちのことを永遠に忘れないでね。そして今までありがとう。私たちは永遠に家族だと思っています」という言葉とともに贈ってもらったヴィシヴァンカを着て、1年間応援してくださったお客様との別れを惜しみました。
開業の頃から定期的に通ってくださったお客様、閉店の日には涙を流して別れを惜しんでくださったお客様、避難民たちへの餞別としてたくさんの寄付をしてくださったお客様など、趣旨を理解して応援してくださった多くのお客様に恵まれたことを、心から嬉しく、ありがたく思っています。
スマチノーゴはいったん幕を下ろしましたが、お客様に閉店を惜しんでいただいたこと、またスタッフ同士が家族のように仲良くなってスマチノーゴに愛着を持ち、スマチノーゴメンバーを第二の家族、日本を第二の祖国と感じるまでになったことは大変嬉しく思っています。一時帰国したスタッフたちも、少しずつ日本に戻ってきているので、サポートを続けています。

残念なことに戦争はまだ終わっていません。スマチノーゴでの経験が、身近にいる避難民たちの心に寄り添うきっかけとなり、多くの人たちが避難民たちに対し気軽にアクションを起こすようになっていけばいいな、と願っています。そしてウクライナの平和が1日でも早く実現することを、心から祈っています。
 

TAKANEさん略歴

神奈川県逗子市出身。慶應義塾大学文学部で美学美術史学を専攻。パフォーミングアーツの分野において修士課程を修了。卒業後イタリアへ移住し、フィレンツェでは美術、ミラノでは演劇、またミラノのブレラ美術大学では舞台芸術を学ぶ。展覧会やアートフェアで数多くの国際的賞を授与されたほか、建築デザインなども手がける。現在は、主に俳優の分野で活躍。最新出演作は、この秋全国公開された三浦翔平•三浦友和主演の映画『親のお金は誰のもの〜法定相続人〜』(田中光敏監督)。

 

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