世界各地で活動するUNHCR日本人職員
公開日 : 2023-06-14
『現場』で脆弱な立場の人に寄り添っていきたい
大竹 更(おおたけ あらた)職員
UNHCRウガンダ チャカ事務所 フィールド担当官 (東京都出身)
Q1 UNHCR職員になったきっかけ・思い
UNHCRに入る直前は別の国連機関で開発関係の仕事をしていましたが、なかなか結果が見えなかったり現場から遠いことを理由に、成果ややりがいをあまり感じることができませんでした。
一方で、現場や受益者にも近く、インパクトもあり、強制移住を強いられたより脆弱な立場に置かれた人たちに寄り添った活動を行うUNHCRに惹かれました。先輩UNHCR職員からも背中を押されて、UNHCRに転職することを決意しました。
Q2 活動で嬉しかったこと・苦しかったこと
【嬉しかったこと】 些細な支援やサポートであっても、自分の仕事が難民の人たちに喜ばれた時(難民の若者たちと一緒にプロジェクト形成・実施やキャパシティビルディングした時、支援物資配布時など)
【苦しかったこと】 仕事や住む環境、治安などによるストレスが原因で、精神的に疲弊してしまった時(特に過去の任地で)
Q3 任務を続ける原動力
難民の方たちが私たちの支援を必要としており、またその支援に対して感謝してくださることや、様々な国籍やバックグラウンドの同僚やパートナー団体と一緒に同じ目標に向かって活動に取り組めることが、私のやりがいであり原動力です。
民間企業の技術やサービスを難民支援に活かしたい
佐藤 重臣(さとう しげおみ)職員
UNHCRセネガル ダカール事務所 民間パートナーシップサポート担当官 (東京都出身)
Q1 UNHCR職員になったきっかけ・思い
民間企業が持つ技術やサービスをUNHCRを通じて難民支援や国内避難民支援に活用することで、UNHCRとしてはより効率よく、大きなインパクトを出すことができます。民間企業にとっても、技術・サービスの展開につながります。
このように難民・国内避難民、UNHCR、民間企業の三者にとってメリットを出せるような連携・協業を実現したいと考え、UNHCR職員になりました。
Q2 活動で嬉しかったこと・苦しかったこと
人道支援の現場では多くの場合、必要なリソースが不足しています。物資の配給などで一時的に状況が改善しても、難民・国内避難民の方々は厳しい状況にさらされ続けます。そのような中では、嬉しいというよりも、まだまだ足りない、という無力感のほうが大きいです。
しかしそのような中でも、自身が活動することで、同僚やパートナー機関のリソースや能力が向上するのを目の当たりにすると、素直にうれしいと感じます。
Q3 任務を続ける原動力
人道支援が無ければ命を失う、という状況が増え続けています。UNHCRではどのような仕事でも、最終的には、これによって命を救われる、未来が作られる、ということにつながっています。現場で子どもを見ると、特に強く、そう実感できます。
目に見えるものではありませんが、自分の仕事が将来を作る、と考えるだけでも、仕事を続ける原動力になっていると感じます。
難民コミュニティの力を引き出し希望を共に創っていく
渡辺 栞(わたなべ しおり)職員
UNHCRルーマニア ブカレスト事務所 性暴力被害者支援担当官 (大阪府出身)
Q1 UNHCR職員になったきっかけ・思い
自身のキャリアを通して『紛争や非人道的な理由により避難を強いられる人々が、より良い社会や前向きな未来が描けるよう、少しでも役に立ちたい』という強い願望を持つに至りました。
最初のきっかけは、自分自身が生い立ちの中で新たな国や文化に適応する難しさを経験したことです。そして大学卒業後、最初に活動したルワンダで、徒歩で国境を越え緊急支援のテントで避難生活を送るブルンジ難民を取材したこともきっかけになりました。
その後、学術的背景を理解するため、移動を強いられた人々の開発分野における研究に携わった後、難民食料支援、生計向上、難民保護、コミュニティ形成、性暴力被害の撤廃などの援助活動を経験してまいりました。
Q2 活動で嬉しかったこと・苦しかったこと
嬉しかったことは、ザンビアの難民キャンプや、コロンビアの難民・国内避難民受け入れコミュニティで、難民・国内避難民と議論しながら、保護問題を解決するためのアクションプランを一緒に作り『難民コミュニティ主導の案』を形成するサポートができたことです。
難民のコミュニティとの間に信頼関係を築くことは時間がかかりますし、難民の決定権を尊重して進める過程は簡単ではありません。日々の交流を通して徐々に難民たちに受け入れてもらい、やがて難民たち自身が『自分たちの力でより良い社会につなげていく』という希望や自信を得たのを見る瞬間が一番嬉しいです。
苦しいことは、難民支援によって解決できることは限られていると日々実感する時です。
Q3 任務を続ける原動力
難民・国内避難民の中には、困難な状況から生き抜いた後も、避難先で権利を得られなかったり、いじめや差別などを経験する方もいます。しかしその障害を乗り越えようとする強さを持っている人も少なくありません。その強さに接することが私の大きな原動力になっています。
また、今まで出会った多くの同僚・先輩方から刺激を受け、日々自身の向上に努めています。
そして紛争や非人道的な理由により移動を強いられる人々のために働くことは自身の使命だと感じています。その思いが、うまくいかない時に再度立ち直って再挑戦する原動力となっております。
難民の前向きな姿に励まされています
小田代 佳子(おだしろ けいこ)職員
UNHCRミャンマー パアン事務所 保護官 (兵庫県出身)
Q1 UNHCR職員になったきっかけ・思い
子どもの頃から外交官になって国際的な仕事がしたいという夢がありました。
東南アジアを訪問した時に、貧困と戦う中、必死に力強く生きる子ども達、そしてその子ども達の未来のために教育や福祉の分野で活躍していたNGOの方々に出会って感動し、私も彼らのように子ども達や女性、障害者の方達の未来に繋げるお仕事がしたいと強く思い、行き着いた先がUNHCR職員としての活動でした。
Q2 活動で嬉しかったこと・苦しかったこと
紛争で全てを失った方々のための活動を通して学ぶことは日々たくさんあります。
家族を紛争で亡くされた多くの避難民の方に接していると、命の大切さや尊さを痛感します。
嬉しかったことは、コミュニティ活動を通じて人権の大切さを少しでも理解してもらったこと。子どもや若者達が教育の権利活動を通して紛争後の平和構築活動に取り組む姿はとてもたくましく、見ていて感動します。
一番苦しいことは、いまだに罪のない子ども達が地雷や貧困、栄養失調で命を失っている現実です。
Q3 任務を続ける原動力
紛争で全てを失くされた方々が、くよくよせず毎日前進していく姿を見ると、勇気をもらいます。青空教室で笑顔で教育を受けている難民の子ども達や、親に反対されても自分の未来を作っていこうと毎日学校へ通う子ども達を思い出すと、仕事で成果が思うように出ない時や、すぐ解決できない社会の壁にぶつかって落ち込んでしまった時、私も負けないで頑張ろうと、いつも励まされています。
最後は希望が勝ると信じて活動しています
小坂 順一郎(こさか じゅんいちろう)職員
UNHCR南スーダン ジュバ事務所 渉外担当官 (東京都出身)
Q1 UNHCR職員になったきっかけ・思い
きっかけは二つあります。
一つは学生時代に冷戦が終結して「これから平和な時代になる」と思ったのも束の間、ルワンダや旧ユーゴなどで内戦や迫害が起こりました。数々の人道危機の最前線にUNHCRが(緒方貞子さんと共に)活躍をしていました。その感銘が強く残っています。
二つ目は、人間が自分の思想信条やアイデンティティを理由に迫害を受けたり、戦争や内戦により避難を余儀なくされたりすることへの憤りがあります。
Q2 活動で嬉しかったこと・苦しかったこと
思い通りにならない状況でベストな解決法を同僚、パートナー団体や難民たちと見出せたときに強いやりがいを感じます。人を助けるということは単純明快であるように見えますが、それを実現するためには「どこの、誰を、いつ、どれだけ、どのように支援するか」について認識と行動を共有する必要があります。
人道危機の根本原因の大きさに、自分たちのやっていることがどれだけ役に立っているか分からなくなると、苦しくなります。
Q3 任務を続ける原動力
困難な状況で人間がどこまでがんばれるのか、それを知ることによって、自分たちはどれだけ世界をより良いところにできるかという自信が持てると思います。支援する側・される側、現場ではとてつもない行動力や創造力を垣間見る機会があり(またその逆もあり)、期待と失望が相互しますが、最後は希望が勝ると信じて活動しています。
支援した難民が活躍する姿を見るのが嬉しい
宮原 萌(みやはら もえ)職員
UNHCRブルキナファソ ワガドゥグ事務所 恒久的解決担当官 (東京都出身)
Q1 UNHCR職員になったきっかけ・思い
12歳の時に父親の転勤で行った米国・カリフォルニアでの経験が、このような仕事をしたいと思ったきっかけになっていると思います。当時英語を話せなかった私は非英語話者専用のプログラムに入りましたが、そのプログラムのクラスメートは私以外全員、旧ソ連諸国と中南米から来た移民の子どもたちでした。
より豊かな生活を求めて母国を去ってアメリカに来て、まだ必ずしも豊かな生活とは言えない苦しい生活を送っているクラスメートを見て「なんで同じ12歳なのにこんなにも違う生活・人生を送っているんだろう」「なんて理不尽な世界なんだろう」と思いました。
その思いが、貧困、紛争、開発、そしてやがて難民という興味・関心に変わっていきました。
Q2 活動で嬉しかったこと・苦しかったこと
嬉しいことは、ケニアのカクマ難民キャンプで支援した数々の難民が、世界各国でそれぞれの分野で活躍している姿を見ることです。
留学先のカナダから難民の子どもたちの教育の必要性を訴え続けるアクティビスト、ニューヨークのコロンビア大学で修士課程を履修している学生、数々の一流ブランドのファッションショーで活躍するモデル…彼らは全員難民です。
苦しかったことは、同じくカクマ難民キャンプである日難民のカウンセリングをしていたときのこと。
南スーダンから避難して来た若い女性が、叔父から脅迫や暴力を受け、毎日身の危険を感じながら生活しているという相談でした。その相談中、彼女は恐怖とストレスと悲しみから泣き出し、泣きやまなくなってしまったのです。
彼女が座っている前にひざまずき、手を支えながら慰めと応援の言葉をかけることしかできませんでした。彼女の気持ちが溢れ出す中、とうとう通訳もしくしくと泣き出してしまいました。慰めながら彼女が落ち着くまで辛抱強く待ち、女性保護などの支援につなげて彼女の保護に努めました。
Q3 任務を続ける原動力
原動力は、社会の中でどうしても忘れ去られたり置いてきぼりになってしまう人たちへの気持ち、でしょうか。どの社会でもいろんな意味の社会的弱者は存在しますが、「難民」はその中でも特に厳しい立場に置かれています。そして、難民ではあるけれども、第一に彼らは一人の人間です。どうしても難民の声の届かないところへ、力が及ばないところへ、手助けになれればいいなと思います。
(順不同)
※2023年3月にオンラインで回答 ※赴任地・職種は2023年3月時点のものです