From the Field ~難民支援の現場から~ With You No. 49より / 伊藤礼樹 駐日代表
公開日 : 2023-06-14
伊藤礼樹 駐日代表(いとう あやき)

私は男3人兄弟の真ん中で、小学校で野球、中学でバスケ部、高校でアメフトと、スポーツに励む活発な少年でした。その後アメリカの大学で政治学を、大学院では人権法を学びました。大学院を卒業後、日本に帰国し就職が内定したのですが、国連ボランティア(UNV)がUNHCRへ派遣する人を募集していて、就職まで間があったので応募しました。面接では「来週行けるか?」と聞かれ、すぐに「民族浄化」が始まった頃のボスニアに行くことに。何の説明もなかったです。すごい時代ですね、今ではあり得ません。UNHCRとしても、紛争地にスタッフを送るのは初めての試みでした。
当時、物資を運ぶ運転手の中には荒くれ者もいました。26歳ぐらいだった私は、「ここでなめられたらいけない」と思い、初日からけんか寸前に。ちょうど緒方貞子さんが国連難民高等弁務官に着任し、防弾チョッキを着てサラエボも訪問された頃でした。
私は結局日本で就職せず、ボスニアでの勤務の後、JPO*としてミャンマーに派遣され、ロヒンギャ難民のバングラデシュからの帰還に携わりました。
* Junior professional Officer。各国政府が若手を国際機関へ派遣する制度
https://www.unhcr.org/jp/44801-ws-220217.html
その後はルワンダやソマリアなどアフリカ各地、ジュネーブ本部、アジア地域事務局等での勤務を経て、シリアとレバノンでは代表として活動にあたりました。
シリアでは、「書いたこと、言ったことは全て漏れていると思え」と言われ、内部でのメール1つにも気を使いました。本部にセンシティブな電話をかける時には、車で1時間かけてレバノンまで行ったり。紛争が2011年に始まり、政府側が国の約7割を制圧した頃、「もう難民の帰還は可能」と言われました。でも「状況は変わっていない」という難民も多く、UNHCRとしては「帰ってきて下さい」とは言えない。何かと厳しい扱いを受け、1年間、私が代表としてダマスカスから移動することに許可が出ませんでした。コロナ禍で現場や職員が心配でも、見に行けずに辛かったです。
でも、政府もコロナ禍への対応に苦労していて、UNHCRと協力する方向に態度を軟化したんです。波を変えられて嬉しかったですね。その後は 現場を定期的に訪れることができました。
シリアの後はレバノン事務所でも代表を務めましたが、あの小さい国に150万人の難民が暮らしていて、人口の約25%を占めていました。経済が悪化し難民への風当たりが非常に厳しい中、支援を続けることは容易ではありませんでした。レバノンでは「UNHCRが支援しているから難民が帰らないんだ」と言う人もいる一方、支援国の一部からは「難民を帰せばアサド政権を支持していることになる」と言われ、板挟みになりました。生活に困窮したシリア難民が、レバノンからキプロスなどに舟で逃れたりして、様々な国の大使館に行って協力を仰ぐなど、対応に追われました。
UNHCRの強みは「現場」です。フィールド重視で、人に寄り添う。現場に裁量権があり、初動が早いです。シリアで2023年2月に地震が発生した際は、翌朝には物資を提供していました。あと、国籍、ジェンダー、経験、考え方など多様性に富む職員がいることは、UNHCRの宝です。
問題があったり迷う時には、「難民に聞こう」「難民は何て言っている?」と話したりします。チームだけで話していると基本を忘れ、UNHCRの目線と難民が本当に望んでいることが違ったりするので、「難民の視点」を常に持ち、「傲慢なUNHCR」にならないよう気を付けています。
今も心に残っているのは、スーダン・ダルフールでのことです。長男と長女が生まれた後で、ダルフール紛争が始まった頃でした。ヘリコプターから、家が焼かれているのが見えました。ある村では武装勢力の被害に遭った人達がいて、私を見た老人が、背中を斬られ半身不随になった男の子を抱いてきて、私に差し出すのです。幼い息子の姿と重なり、この仕事をしてきて初めて泣きました。

レバノンでは、シリア難民のシングルマザーで生活の糧にと人形作りを始めた女性がいました。私がレバノンを去る時、彼女がサプライズで私にそっくりな人形を作ってプレゼントしてくれて、嬉しかったですね。今年2月に出張でレバノンに戻った時には、日本の人形をお返しに贈りました。
難民は「かわいそうな人」ではないんです。多彩な経験やスキルを持っています。難民を最初から会話に入れ込み、彼らに何ができるか考え、対等な立場で共に活動することが必要です。
私は今、駐日代表として、主に3つの活動にあたっています。1つ目は、日本政府や企業・団体、個人の皆様などへご支援をお願いすると同時に、ご寄付のフィールドでの使い道をご報告すること。2つ目は、日本での難民の受入体制を整えるためのサポート。そして3つ目は、難民・国内避難民、またUNHCRの活動を理解していただくための活動です。
ご支援くださっている皆様には、心より感謝を申し上げたいと思います。UNHCRを信頼してくださるのはうれしいですね。ウクライナの状況を見て「難民」の問題を意識された方もいるかと思いますが、ウクライナへの支援だけで終わらせてはならないと思っています。世界では、1億人以上の難民・国内避難民が出ていて、このままでは日本の人口を超えてしまう規模なのです。
私は日本で、今まで支援を受け現場で活動させていただいた恩返しをするつもりです。皆様もぜひ私たちと一緒に、難民支援の意識や機運を高める「アクター」になってほしいと願っています。
プロフィール
東京都出身。コロンビア大学大学院修了。UNHCRボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ミャンマー、スーダン、アルメニア、レバノン、ソマリアなどで難民保護に従事。UNHCR本部 国際保護総局 保護官、アジア太平洋地域局次長。UNHCRシリア代表、UNHCRレバノン代表を経て、2023年1月からUNHCR駐日代表。