ウクライナ難民の受け入れ態勢を整えるハンガリー国境の町長
ラスロ・ヘルメッチ町長は、住民数千人の日常的な悩みに対処する日々を過ごしていましたが、気がつくと、国際的な人道危機の最前線に立たされていました
公開日 : 2022-09-28
この頃、ヘルメッチ町長の電話は2~3分おきに鳴っています。その多くはウクライナ難民に関することです。
ブダペスト(ハンガリー)2022年9月15日 ― 「これは重要な案件です」と、携帯電話をちらっと見て彼は言います。この電話は、最近ウクライナ南部ヘルソン州の自宅から逃れ、ザーホニの臨時シェルターにあるベッド20台の混み合った寮に住んでいる60代の夫婦の件です。
良い知らせがありました。地元の自治体がこの夫婦のために空き家を用意してくれたのです。あとはきれいに掃除する必要があるだけで、町長は許可を出すだけです。
ウクライナでの戦争とそれに端を発した難民危機が始まってから6か月は、ザーホニとその町長にとって、すばやい機転と問題解決のためのノンストップの目まぐるしさでした。「一歩下がって自分たちが経験してきたことをしっかり振り返る機会はまだありません」とヘルメッチ町長は語ります。

最初のうちは多くの支援が寄せられたものの、次第にその熱意が冷め、寄付が干上がっていく中で、人道的な対応を維持することが、今の闘いです。緊急事態の最初の数週間が数か月に及ぶ避難生活に変わる中、支援へのニーズは依然として膨大なのです。UNHCRとパートナー団体は、ザーホニに到着したウクライナ難民に、情報、温かい食事、医療等の支援をすぐに提供しています。その後、UNHCRや自治体と緊密に連携した政府主導による対応に引き継がれ、シェルターや交通手段の提供といった継続的な支援が実施されています。
「こういった支援のために、自治体職員は、調整から連絡、時間外労働など、不可欠な役割を担っています」と町長は言います。「その一方で、町の運営も担っているのです。」
過去数か月の到着者数は減少しているかもしれませんが、長期的な解決策が強く求められています。ウクライナの難民は、一夜の宿を探すだけではなく、仕事、保育、手頃な価格の宿泊施設を必要としています。
ザーホニはウクライナとハンガリーの国境で鉄道駅がある唯一の町で、1980年代には国営の鉄道会社が8000人を雇用していたソ連時代の過去の遺産が、今この町に思いがけない求心力を与えています。年初には町民4500人のうち半数以上が定年退職し、学齢児童もほとんどいませんでした。そして、ヘルメッチ町長の仕事は、高齢化した有権者の利益を反映したものでした。「町民の優先順位は明確でした」と町長は言います。「街は静かに、墓地はきれいにしておかなければならない、ということでした。」
2022年2月24日、すべてが変わりました。ヘルメッチ町長はいつものように、ニュースのチェックから業務を始めていました。隣国ウクライナで戦争が始まったと知ってショックを受けましたが、それが自分の知っていた任務の終わりを意味するとは、すぐには気づかなかったのです。
「午後1時に必要なことをFacebookで発信し、午後6時には近隣のシェルターの準備ができていました」
幸いなことに、ヘルメッチ町長は決断が早い人でした。「2月下旬で、気温は氷点下でした。人々が駅で夜を過ごすなんて考えられませんでした!午後1時に必要なことをFacebookで発信し、午後6時には難民を受け入れる近隣のシェルターの準備ができていました」と彼は語ります。
最初の難民が到着した直後から、寄付が殺到しました。そして、ボランティア、当局、NGO、支援団体もやって来ました。かつて静かだった町の暮らしが一変したのです。
第二次世界大戦以来ヨーロッパで最も急速に進行している難民危機において、町長は重要な役割を担うことになるとは思ってもいませんでしたが、彼はこの困難に立ち向かいました。「最初は目の前の問題に追われ、私たちが対処する人々の苦しみの深さをあまり実感していませんでした。数週間経ってから、実際に座って人々と話をする時間ができました」と彼は言います。
7月のある祝日、町議会の議員が集まって、非公式のガーデンパーティーが開かれました。「数時間でもいいから、仕事から離れて自分たち自身を気遣わなければならないと」とヘルメッチ町長は語ります。「私たちは話し、笑い、緊張をほぐそうとしました。パーティーが終わると、すぐに仕事に戻りました。」

シェルターで暮らすヘルソン州の夫婦のケースは、ヘルメッチ町長の新しい責務の典型です。ゲイザ・ヴィンダさんと妻は家と畑を持ち、それなりに裕福な暮らしをしていました。今、彼らが持っているのは、逃れた時のわずかな持ち物であり、その中に数枚の家族写真があります。
当初、彼らは地下室に避難していれば戦争に耐えられると思っていましたが、月日が経つにつれて、さらに危険な状況になってきました。
「私たちは、街に最後まで残っていました」とヴィンダさんは言います。「しかし、地下室から出て動物たちに餌を与えている間に隣家の屋根が吹き飛ばされた時、逃れる時だと決心したのです。」銃声が響く中、近くの川の葦の中を夫婦で逃げ、やがて安全なザーホニ、そして寮のシェルターにたどり着きました。
夫婦の家が見つかったことをヘルメッチ町長が伝えると、ゲイザさんは目に見えるように感情をあらわにします。そして、町長のように自分の役割を果たすべく、気を引き締めるのです。「行きましょう。その家の掃除をするのは私たちです」とゲイザさんは言います。「私たちは、ただ座って待っているためにここにいるのではありません。」
Zsolt Balla
原文はこちら(英文)
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どうか、忘れないでください。こうしている今も戦争は続き、多くの人々が故郷を追われ、厳しい避難生活を強いられていることを。
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