ウクライナの障がい者権利活動家「助けられると分かれば、黙っていられません」

障がい者権利活動家のテチアナ・バランツォワさんは、車いすでウクライナの戦争から逃れました。今、彼女は他の障がい者が同じ行動をするのを手助けしています

公開日 : 2022-06-29

2022年6月22日 ― 助けを求めるメッセージが、昼夜を問わずテチアナ・バランツォワさんの携帯電話に表示されます。このメッセージは、激しい砲撃下にあるウクライナ東部の都市シエビエロドネツクの防空壕からメッセージアプリ“テレグラム”を通じて送られてきたものです。

「ここは寒くて水も、ベッドもマットレスも毛布もありません、街は常に砲撃されています」というメッセージが読み上げられます。「どうか、誰か私たちを助けてくれませんか?このSMSがあなたに届くことを願っています。」

メッセージは、脊髄損傷で車いす生活となったオルハ・チェルノジュコワさんという32歳の女性からのものです。戦争が始まり、電気やガスの供給が停止しても、彼女はシエビエロドネツク郊外にある73歳の母親と一緒に暮らしていた家に留まりました。しかし、隣の家の庭に砲弾が落ち、友人の3歳の娘が犠牲になると、ボランティアに連れられて市内の防空壕に避難しました。壕の床に置かれた木製パレットに寝転んでいると、オルハさんには砲弾の着弾音がまだ聞こえてきました。

「そこで生き埋めになるかと思いました」と後に彼女は言いました。「只々、恐怖を感じました。」

ウクライナに住む多くの障がい者と同じように、オルハさんもテチアナさんの番号を携帯電話に入れていました。

「たぶん、テチアナさんに何度も電話しました」と彼女は回想しました。「10歳は老けたように思える母を見つめながら、私はずっと電話をしていました。」

「テチアナさんと仲間たちは我々の天使です。彼らは私たちの命を救ってくれました」

オルハさんのメッセージを受け取るとすぐに、テチアナさんはシエビエロドネツクがあるルハンスク州の地元関係者やNGOに働きかけを始めました。翌日、オルハさんと母親は列車でウクライナ西部のリヴィウに向かい、テチアナさんの手配で障がい者のためのリハビリテーションセンターに滞在する手配になりました。

「どれだけ感謝しているか伝えきれません」と、母親と無事リヴィウに着いたオルハさんは言いました。「多くの人々が祈り、自分を救った神と天使に感謝します。私の場合、テチアナさんと仲間たちは我々の天使です。彼女たちは我々の命を救ってくれました。」

テチアナさんは2014年に故郷のウクライナ東部ルハンスク市から避難を余儀なくされて以来、障がい者が紛争地域から脱出し、安全に生活を再開するための支援を実施しています。自身も車いすを使用する彼女は、同じく車いすを使用する夫のオレクシー・ソロカさんと8歳の息子パブロ君と共に、空襲の際に避難できる地下室にたどり着くまで苦労しました。最終的に陸路で脱出したテチアナさんは、他の障がい者の避難誘導に乗り出しました。彼女は自分の電話番号を紛争地帯に閉じ込められた人々のためのホットラインとし、約5000人を安全な場所に避難させました。

2014年、ウクライナ人の障がい者を支援するNGOの地域ネットワーク「アミ・スキッド」の創設者としての活動が評価され、彼女は避難を強いられた人々や無国籍者を驚くべき力で支援した人を毎年表彰する権威ある賞、 UNHCRナンセン難民賞の2020年ヨーロッパ地域受賞者に選ばれました。また、政府は彼女を障がい者の権利に関する委員に任命しました。

それ以来、テチアナさんは、ウクライナ人の障がい者推定660万人へのサービスや支援の充実を訴え続けています。彼女の努力は実を結びましたが、今年1月になると彼女は「何か大変なことが起こりそうな気がしました。」

「2014年に初めて避難を経験した後、私は分かっていたのです ― 我々は備える必要がある、と。」

彼女はさまざまな省庁や国のサービス担当者と会合を持ち、攻撃された場合に異なるタイプの障がいを持つ人々をどのように避難させ、支援するかについて話し合い始めました。「聴覚に障がいがある人は、サイレンの音を聞き取ることができません。目の見えない人は“防空壕”という看板を読むことができません。あらゆる可能性を考え抜きました」とテチアナさんは語ります。

しかし、2月24日に始まった戦争の規模は、皆を驚かせました。「2014年の際、どの州なら人を送っても安全か、少なくとも私たちには、はっきりと分かっていました。2月24日、ウクライナ全土で爆発音が鳴り響きました。パニックが始まったのです。」

「30分後には助けを必要としている人が18人いました」

キエフ地方の都市ボリスピルに住むテチアナさんとオレクシーさん、そして16歳となったパブロ君は、24階建てのアパートから聞き覚えのある戦争の音を聞きました。

「すぐに出発することにしました」とテチアナさんは語ります。「近くに住んでいた障がいを持つ人々に電話をかけたところ、30分後、避難する手段がなく、助けを必要としている人が18人いました。」

彼女はオレクシーさんと一緒に、特別仕様のミニバンにできるだけ多くの人を詰め込んで、西へ向かって走りました。その中には、障がいのある子ども8人、生後2週間の赤ちゃん、車いすの利用者3人、85歳の女性も含まれていました。ある時はバンが故障し、何時間もかけて助けを求めました。目的地のウクライナ西部にある友人宅に到着すると、そこはすでに満室だったため、そのままラトビアに向かうことにしました。そこで、テチアナさんの別の友人が、ラトビア・サマリタン協会が運営するセンターに部屋を探してくれたのです。

テチアナさんは安心してオレクシーさんとウクライナに戻り、他の人たちを安全に輸送する手助けをしました。オレクシーさんが倒れてラトビアの病院に入院するまで、彼女たちは何往復もし、長時間かけて移動しました。

現在、テチアナさんはウクライナ全土の自治体、NGO、ボランティアとの多くの伝手を頼りに、彼女が開設した24時間ホットラインを通じて電話をかけてくる障がい者の避難を支援しています。7つの番号からなるホットラインには、毎日数十件の電話がかかってきます。

戦争が始まると、多くの障がい者が国を離れましたが、中には離れたくないという人もいます。オルハさんのように、できるだけ長く自宅に留まるのです。

「戦闘が続いているため、彼らを助けるのは非常に困難です」とテチアナさんは言います。「そこで、地元当局に電話をして助けを請います。SMSを通じて、彼らは簡単な言葉で応答してくれます。「On it(助ける)」次に「+」を送ってくれると、その人が助けを得たことが分かるのです。」

避難誘導は、戦争で避難を強いられる障がい者を手助けする第一歩にすぎません。安全な地域にたどり着いた後も、適切な宿泊施設や医療機関、その他のサービス等を見つけるために、さらなるサポートが必要です。

テチアナさんは、駅に到着した人々を避難所まで連れていくボランティアの手配に全力を尽くしていますが、そのような建物の多くは、必要とされる特別な設備が整っていません。

また彼女は、UNHCRと共にウクライナ西部の宿泊施設を訪問し、障がい者がもっと利用しやすい施設にするためのアドバイスも行っています。UNHCRは、必要とされる改善のための資金を援助しています。また、多目的現金給付プログラムでは、障がい者を優先しています。

数週間が数か月になり、電話がかかり続けると、その仕事の重みは計り知れないものがあります。

「テチアナさんと彼女のチームがやっていることは、とても重要なことです」と、ウクライナ国家緊急事態局で働き、テチアナさんと定期的に連絡を取り合っているユリア・マリゴノワさんは語ります。「すべてのケースを自分事として受け止め、助けを求めるすべての人を大切に考えています。それは精神的にとても大変なことです。」

テチアナさんは、この仕事が自身にとって負担になることを認めながらも、目を背けることのできない責任だと語ります。「私はそんなに強くはないのです」と彼女は言います。「でも、助けられると分かれば、黙っていられません。」

「私に近づいて来てくれた何千人もの人々が誰一人取り残されることなく、全員がサポートを受けたのだと思うと、私の心は安らぐのです。」

Victoria Andrievska and Kristy Siegfried

原文はこちら(英文)
‘I just can't stand aside if I know that I can help’


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