【対談】難民パラアスリート イブラヒム・アル・フセイン選手×長野智子
2022年の世界難民の日を前に、東京2020パラリンピック大会で難民選手団の一員として活躍したイブラヒム・アル・フセイン選手(シリア出身、パラ水泳)が再来日し、国連UNHCR協会 報道ディレクター 長野智子と対談しました。
公開日 : 2022-07-05
シリア紛争下、友人を助けて被弾し右足を失ったアスリート
シリア北東部の都市デリゾールで育ち、ユーフラテス川で水泳を覚えたイブラヒムさん。水泳のコーチでもあった父の指導のもと、地域や国の水泳大会で優勝するほどの選手でした。しかしシリア内戦勃発後、狙撃手に撃たれた友人を救おうとした際に砲撃に巻き込まれ、
ふくらはぎから下の右足を失う大けがを負いました。絶望のなかトルコ、そしてギリシャへと避難したイブラヒムさんは、そこで車いすバスケットボールに出会います。
スポーツを通じて生きる希望を取り戻したイブラヒムさんはほどなく水泳も再開し、2016年のリオパラリンピック大会、そして東京パラリンピック大会に難民選手団の一員として出場を果たし、リオ大会の入場行進では旗手もつとめました。
自身の経験を通して、障がいのある難民の人々を支えるため支援者とともに「アスロスファンデーション」を立ち上げ、活動を続けているイブラヒムさん。東京大会から1年を経た再来日の目的と彼が目指す次の夢について、国連UNHCR協会 報道ディレクターの長野智子がインタビューしました。
「障がいのある難民をスポーツの力で支援したい」―世界に広がった支援の環
(長野)こんにちは。本日はよろしくお願いいたします。さっそくですが、イブラヒムさんが「アスロスファンデーション」を立ち上げられたきっかけとその目的、主要なメンバーとの出会いについて教えてください。
(イブラヒム)
リオ大会に出場した後、ギリシャで最初の支援者に出会いました。スポーツ関係者である彼らに、「障がいのある難民をスポーツの力で支援したい」という自分の想いを伝えると、周囲の人にその想いを広めてくれました。その中の一人が、今回米国から一緒に来日しているシャーディさんです。シャーディさんはシリア出身で40年以上米国で暮らし、空手の指導を行ってきたアスリートでもあります。彼らと一緒に夢を語り合うなかで、少しずつ具体的な構想が進んでいきました。その後日本からNHKのディレクターがギリシャに来て、難民選手団の取材をしてくれました。彼女が日本国内で私のこと、そして障がいのある難民の現状について伝える機会を作ってくれ、日本にも支援者の輪が広がっていったのです。2019年にはこうした支援者の力で、ドイツで初めての難民による車いすバスケチームのトレーニングが実現しました。その後のコロナ禍で車いすバスケチーム活動自体は中断してしまうのですが、その間もボランティアで関わってくれる支援者との話し合いを続け、アスロスファンデーションの設立につながっていきました。今年に入ってからはトルコ、ギリシャで2度のトレーニングも実現できました。ギリシャ、米国、日本、トルコなどでの偶然の出会いの積み重ねが今につながっていることは、自分にとっても驚きです。
(長野)「アスロス」の名前の由来は?
(イブラヒム)「アスロス」はギリシャ語で「スポーツ」「競技」といった意味を持つ言葉で、「アスリート」の語源にもなっています。ギリシャ語の名前を選んだのは、自分がギリシャで難民となったこと、また多くの難民にとってのヨーロッパへの入り口がギリシャであることからです。
難民障がい者が力を発揮できる場所と支援を
(長野)イブラヒムさんが支援を呼びかけておられる障がいのある難民の方々について教えてください。難民であることだけで大変なご苦労があるなか、障がいを持つ方々の現状とはどのようなものなのでしょうか。
(イブラヒム)その人が難民として暮らす国によって状況は違っていて、比較は難しいのですが、たとえばギリシャの場合、経済力が先進国ほど強くないなか、障がいを持つ難民の社会復帰のための支援体制が整っていないため、障がいのある難民は、どうふるまえば社会に戻れるのか、見いだせない状況があります。
(長野)イブラヒムさんが実際に知っている方で、障がいのある難民の方がこんな暮らしをしているなどのエピソードはありますか?
(イブラヒム)ヨルダンやレバノンの難民キャンプで避難生活を送る障がいのある難民の方から直接連絡をもらって助けを求められることがあります。先進国とは異なる環境のなか、例えば舗装されていないキャンプ内の道で、車いすで通行することすら困難であるなどの声を聞きます。多くの人が紛争で障がいを負っているなか、そういう人たちがスポーツをしたい、勉強をしたい、という希望を持つ時に、特別なサポートを行う体制が必要だと強く思います。この分野で将来的にUNHCRとアスロスが共同で支援を行うことができたらと願っています。特に社会インフラがそれほど整っていない受け入れ地域で、国籍を問わず障がいを持つ難民の社会復帰を支援するプログラムができたら素晴らしいと思います。
(長野)アスロスの活動を通じて、障がいのある難民のためのリハビリ村建設という夢をお持ちと伺いました。この夢を持つことになった理由は何でしょうか?
(イブラヒム)難民障がい者の人たちには、大きな内なる力があると私は考えています。ただ紛争だったり、言葉の通じない国での避難生活だったりといった、彼らを取り巻く厳しい状況が、その力を使わせないのだと感じています。(自らの経験を通じて)彼らが持てる力を発揮できるようなプログラムや場所、障がいを持つ難民自身が孤立せず、考え方を変えて互いに支えあい、理解しあいながら自分たちでやっていけるような場所が必要だと思うようになりました。そういった場所があれば、彼らがより高い教育を受けたり技術を身につけたりといった、その先の道を見出すことも可能になると思うのです。特に経済的基盤の強くない地域でそうしたプログラムが必要だと考えています。
(長野)もう一つの夢である難民による車椅子バスケットボールチーム結成についても教えてください。スイマーであるイブラヒムさんがどうしてそのような構想を持つようになったのですか?
(イブラヒム)自分が障がいを持ったあとに(多くのスイミングクラブを回ったが拒絶されてしまい)、最初に受け入れてくれたスポーツが車いすバスケでした。それが理由の一つですが、(個人競技の水泳と異なり)一人では届けられない声が、チームになることによって、より多くの難民障がい者の声を社会に届けることができるとも考えています。難民キャンプに暮らす人の声はなかなか外に届きませんが、スポーツ、特にチームスポーツを通してであれば、みんなで助け合いながら発信を続けることができると思うからです。車いすバスケチームは現在のアスロスの活動目標の一つになっていますが、将来的には他のパラスポーツにも活動範囲を広げていきたいと思っています。いろんな国のアスリートとの交流も続けています。
(長野)今回の来日では日本の車椅子バスケの強豪チーム、埼玉ライオンズとの共同練習にも参加されましたね。手ごたえはどうでしたか?
(イブラヒム)人生でこのレベルで練習したのは初めての経験でした。日本代表の選手も多く所属していて、世界の舞台で銀メダルに輝いた埼玉ライオンズとの練習は、わずか4回ではありましたが、自分によって素晴らしいトレーニングの機会になりました。選手や監督、運営の皆さんが、私の技術向上のために大変協力してくださいました。この経験を持ち帰り、学んだ動きなどを繰り返し練習してアスロスのチームメイトにシェアしたいと思っています。
(イブラヒム)自分が障がいを持ったあとに(多くのスイミングクラブを回ったが拒絶されてしまい)、最初に受け入れてくれたスポーツが車いすバスケでした。それが理由の一つですが、(個人競技の水泳と異なり)一人では届けられない声が、チームになることによって、より多くの難民障がい者の声を社会に届けることができるとも考えています。難民キャンプに暮らす人の声はなかなか外に届きませんが、スポーツ、特にチームスポーツを通してであれば、みんなで助け合いながら発信を続けることができると思うからです。車いすバスケチームは現在のアスロスの活動目標の一つになっていますが、将来的には他のパラスポーツにも活動範囲を広げていきたいと思っています。いろんな国のアスリートとの交流も続けています。
(長野)今回の来日では日本の車椅子バスケの強豪チーム、埼玉ライオンズとの共同練習にも参加されましたね。手ごたえはどうでしたか?
(イブラヒム)人生でこのレベルで練習したのは初めての経験でした。日本代表の選手も多く所属していて、世界の舞台で銀メダルに輝いた埼玉ライオンズとの練習は、わずか4回ではありましたが、自分によって素晴らしいトレーニングの機会になりました。選手や監督、運営の皆さんが、私の技術向上のために大変協力してくださいました。この経験を持ち帰り、学んだ動きなどを繰り返し練習してアスロスのチームメイトにシェアしたいと思っています。
日本の工房から贈られた車いすに感動 思わず涙が
(長野)前回の来日時、アスロスのために車いすを寄贈された企業があったと伺っています。その経緯についてお聞かせいただけますか?
(イブラヒム)アスロスのメンバーを通じて実現したことのひとつです。日本のアスロスメンバーの一人が「さいとう工房」さんを紹介してくれました。オンラインミーティングでさいとう工房の社長さんとお話していたところ「この車いすはどうかな」と寄付を提案くださったのです。まったく予想していなかったので、思わず泣いてしまったくらい、感動しました。日常用と競技用の計3台の車いすを寄贈いただいたのですが、そのうちの1台は今回も持ってきて使っています。とても感謝しています。願わくば、他の日本企業からもアスロスのチームメンバーに支援をしていただければと思います。
(長野)ウクライナ緊急事態をきっかけに、日本からも多くの企業が支援を決定しました。ですがその多くは一過性の支援となることが懸念されています。今回の来日でも企業の支援があったと伺っていますが、民間企業からの支援の大切さについてお考えを聞かせていただけますか?
(イブラヒム) 日本の企業には、これからも出来る限り、UNHCR等と連携して難民への支援を続けていただきたいと願っています。なぜなら難民問題は今やひとつの社会の出来事ではなくて、国際問題と言えます。そして人間性の問題でもあります。世界中の多くの難民の痛みをぜひ理解していただきたいと思います。今回の来日にあたってはトヨタ自動車株式会社、キヤノン株式会社、全日本空輸株式会社をはじめとした日本の企業から、渡航や滞在中のサポートを含む物心両面の温かな支援をいただき、とても感謝しています。
(イブラヒム) 日本の企業には、これからも出来る限り、UNHCR等と連携して難民への支援を続けていただきたいと願っています。なぜなら難民問題は今やひとつの社会の出来事ではなくて、国際問題と言えます。そして人間性の問題でもあります。世界中の多くの難民の痛みをぜひ理解していただきたいと思います。今回の来日にあたってはトヨタ自動車株式会社、キヤノン株式会社、全日本空輸株式会社をはじめとした日本の企業から、渡航や滞在中のサポートを含む物心両面の温かな支援をいただき、とても感謝しています。


キヤノンギャラリーで開催された「UNHCR難民アスリート写真展」を訪問。キヤノン株式会社 郡司典子執行役員・サステナビリティ推進本部長のご案内とともに自身の写真パネルが展示されているキヤノンギャラリーを観覧。©CANON INC.
子どもたちに挑戦し続ける力、前に向かう力を伝えたい
(長野)今回の滞在中、日本の子どもたち、若者たちとの交流の機会を持たれたとのことですが、どのような印象でしたか?また、日本は世界の国々と比較して平和で安全な国ですが、それでも様々な理由から、明日への希望や将来の夢を見つけられずに悩んでいる子どもや若者たちがいます。そのような人々に、数々の逆境を乗り越えてきた、イブラヒムさんからアドバイスを頂けないでしょうか。
(イブラヒム)次回また日本に来ることがあればさらに多くの学校を訪問したいと思っています。次世代に自分のメッセージや経験を役立ててほしいからです。今回は日本の二つの学校を訪れることができましたが、いつも子どもたちに伝えているのは「不可能はない」ということです。一度や二度失敗したとしても決して諦めずに続けていれば必ず成功すると。
いつも子どもたちに「内なる力」「挑戦する力」「前に向かう力」を伝えたいと思っていますが、逆に彼らからもらうものも多いですね。彼らの笑顔から多くの愛情を受け取り、美しいと感じましたし、一緒に過ごしていると、自分が外国にいるということを忘れてしまうくらいでした。今後とももっと多くの子どもたちと会いたいと思っています。
(長野)昨年のパラリンピック大会では外出もできなかったと思いますが、今回少しは観光はできましたか?
(イブラヒム)取材が一日に数回入るなど、忙しくしていてなかなか観光はできませんでしたが、今回は日本の方々に難民のことを知っていただくという重要なミッションで来ていますので、観光以上の価値があると思っています。もしまた来日できたなら、その時は日本をより深く知る機会も持てたら、と願っています。
(長野)最後に、国連UNHCR協会を通して難民支援に参加してくださっている日本の皆様にメッセージをお願いします。
(イブラヒム)私がお会いした日本人の皆さんはとても優しい方ばかりです。そんな日本の皆さんには、難民になることを自ら選んだ人など一人もいない、ということ、選択肢がなくてこのような状況になっているということを知っていただき、そして共感を持っていただきたいと願っています。UNHCRと国連UNHCR協会は、そうした難民の方々を国籍を問わず支援している組織です。皆さんにはぜひ、私たち難民の側に立っていていただきたい、私たちとともにあってほしい、と願っています。
UNHCRならびに国連UNHCR協会にはアスロスの活動に協力いただいたこと、6月20日世界難民の日のイベントにも呼んでいただき、日本の皆さんに難民についてお伝えする機会をいただけたことに感謝しています。
(長野)力強いメッセージをありがとうございます。またぜひ日本にいらっしゃるのをお待ちしています!
(イブラヒム)シュクラン(ありがとう)!
(イブラヒム)取材が一日に数回入るなど、忙しくしていてなかなか観光はできませんでしたが、今回は日本の方々に難民のことを知っていただくという重要なミッションで来ていますので、観光以上の価値があると思っています。もしまた来日できたなら、その時は日本をより深く知る機会も持てたら、と願っています。
日本の皆さんには、難民とともにあってほしい
(長野)最後に、国連UNHCR協会を通して難民支援に参加してくださっている日本の皆様にメッセージをお願いします。
(イブラヒム)私がお会いした日本人の皆さんはとても優しい方ばかりです。そんな日本の皆さんには、難民になることを自ら選んだ人など一人もいない、ということ、選択肢がなくてこのような状況になっているということを知っていただき、そして共感を持っていただきたいと願っています。UNHCRと国連UNHCR協会は、そうした難民の方々を国籍を問わず支援している組織です。皆さんにはぜひ、私たち難民の側に立っていていただきたい、私たちとともにあってほしい、と願っています。
UNHCRならびに国連UNHCR協会にはアスロスの活動に協力いただいたこと、6月20日世界難民の日のイベントにも呼んでいただき、日本の皆さんに難民についてお伝えする機会をいただけたことに感謝しています。
(長野)力強いメッセージをありがとうございます。またぜひ日本にいらっしゃるのをお待ちしています!
(イブラヒム)シュクラン(ありがとう)!
対談を終えて(国連UNHCR協会 報道ディレクター 長野智子)
イブラヒム選手がいるだけで周りの空気がパッと明るくなります。大変な苦難を諦めず乗り越えてきたからこそのブレない強さ、そして魂の籠もった言葉。外国語であるにも関わらず、彼と話した大人はもちろん、特に日本の子どもたちの目がキラキラと輝くのが印象的でした。障がいのある難民選手に、そして世界中の子どもたちに生きる勇気と希望を届けたいというイブラヒム選手によるスポーツ支援プロジェクトを心から応援します。
対談日:2022年6月25日 横浜にて
■国連UNHCR協会ウェブサイト「難民の若者のための スポーツと福祉プログラム」についてはこちら
■「UNHCR難民アスリート写真展」についてはこちら