特別インタビュー 多和田葉子さん
公開日 : 2020-10-07
子どもの頃は意外にも、「旅が好きではなく、読書を通して文化の境を越えていた」と言う多和田葉子さん。10代の終わりに初めての海外旅行で行った旧ソ連で、小説と違う世界と文化があることを肌で感じ、頻繁に旅に出るようになったといいます。 ドイツ語と日本語で精力的に作品を書き続ける今も、一年を通してさまざまな国に足を運ぶ多和田さんの著作には、越境や移動の物語が多くあります。 母国を失った日本人のHirukoと多様な仲間たちの旅の物語『地球にちりばめられて』もそのひとつ。 この春、上梓された続編『星に仄めかされて』は、旅の一行があるかわからない答えを探して進む様が、コロナ禍の世界と不思議と重なります。 最新作をはじめ著作の背景にある思い、難民のこと、コロナ禍の世界のこと。ドイツ在住の多和田葉子さんにお話を伺いました。
難民の「たくましさ」はどこから来るのか
―― 多和田さんの著作『地球にちりばめられて』と続編『星に仄めかされて』では、日本らしき国が消失し、日本人女性のHirukoが、同じ母語を話す人間を探して、多様な仲間と旅をします。祖国を失った彼女のたくましさや身を寄せている北欧で汎用的に使える言葉をつくるクリエイティブな部分はとても印象深く、実際の難民の方の姿とも重なります。
私の場合、ドイツに来てから、難民の方が身近な存在に変わって、彼らのたくましさはやはり印象に残っています。ボートピープルで、ドイツで学者とお医者さんになった人を知っているのですが、彼らは子どもの時に「自分はドイツにとってプレゼントなんだって感じた」と言っていて、それで与えられたチャンスを生かして今の職業に就いて。来た時のドイツの対応も非常によかったんでしょうね。
―― 逃れてきた人が、「自分はこの国への贈り物」と思えるなんて、とてもいいことですよね。
そうですね。そういったドイツの難民への対応は、歴史的背景が関係していると思っていて。ひとつには、第二次世界大戦前から、いろいろな腕利き職人だったりした人たちがドイツから東欧に進出していて。それで戦後、東欧から追われて一気に今のドイツの領土に戻ってきて、もともとドイツに住んでいた人から差別されたという歴史があります。戦後で飢えているから受け入れるのが嫌だということで。戻ってきた人は、努力して政治家をはじめ社会の上の方の地位についた人も多くて、彼らがドイツの政治に関わるようになって、自身の経験から、逃れてきた人たちをできるだけ受け入れようとしている。あと、戦時中に海外に逃れた戦争反対主義者やユダヤ人は、当時アメリカが親切に受け入れてくれたから生き延びられたと証言していて、それで戦後、ドイツも受け入れなければならないって言って。ただ、今は受け入れの状況も厳しくて、明日送り返されるかも、という状況が続いている人もいます。本当に大変な難民の方も見てきて、過酷な状況でも、彼らはその都度環境に対応して力を発揮している印象があります。
―― Hirukoの「たくましさ」は、実際にお会いした方から着想されたのでしょうか?
ヒントになったのは、こちらに来ている日本人の女性ですね。何か研究したいとか、ダンスをやっているとか、やりたいことがあって海外に一人で来ている女性って、それはたくましい。でも彼女たちが日本にいたら、そういうキャラクターを出す機会がなかったかもしれない。キャラクターっていうと、人間に生まれつき人格があるみたいに聞こえますけど、もともと人にはいろいろな可能性があって、それが難民になった時に花開くってことがあるのかもしれない。そういうタイプの人が、日本人で言えば、おもに女性に多くて。でも最初に書きたかったのは、実は日本人女性のHirukoではなく、小説の冒頭で、テレビに出ている彼女をソファに寝そべって見ているデンマーク人の青年クヌートなんです。Hirukoは、自分の国がなくなって、どうなっているのか知りたいという気持ちの強さでみんなを巻き込んで、ひとつにしていく重要な役割ではあるのですが。
―― 彼みたいなタイプの人間を書こうと思った、何かきっかけのようなものはあったのでしょうか?
北欧に行って人と話していると、すごく豊かな国なんだな、と思ったんですね。たとえばこんな人に会って。出版社をやりたいと言って、政府や親から援助をもらって出版社をつくって、いい本を出したら褒められて。次はどんな本を出すのだろうと思っていると、「飽きたから、次はダンサーになる」と言って、それもできてしまって。「何でもすぐにできて、この人たちはどこに行きつくのだろう。もしかすると、自分たちみたいにいろいろとできる状況にない人に会う時に発展があるのかも」と思ったことがきっかけです。一種の社会福祉に到達した良い国、どこにも逃げる必要のない豊かな国。研究費も楽に出て、すぐに自己実現ができる若者がソファに寝そべってテレビを見たら、なぜか祖国が消失した女性(Hiruko)が映っていて……という。そこから急速なテンポで移動の物語、亡命物語になっていきました。
福島の後に発見した、日本への思い
―― 多和田さんの著作は海外が舞台のものが多いと思うのですが、今作は日本らしき国が消失したという設定、近年は日本を舞台にした小説も書かれています。
2014年に、日本が舞台の『献灯使』を書きました。背景には福島の原発事故があるんです。海外に住んでいて、昔は日本のことを悪く言われるのがけっこう嫌だったんですね。でも、徐々にそういった意見も客観的にとらえられるようになって、日本に対してちょうどいい距離感をとれるようになっていました。いろいろな国があって、すべての国が私にとって大切と思うようになって。ところが、福島のことがあったとき、すごくショックで、やっぱりほかの国と日本は私にとって同じではない、日本がダメだとすごくつらいということに気づきました。日本が誇らしくて特別と思うナショナリズムじゃなくて、日本がダメであるということが我慢できない。そういうダメ・ナショナリズムに目覚めて。そのあたりですかね、日本を舞台にした小説を書き始めたのは。日本人だけに向けて書いたわけではないのですが、「これは自分の問題だ」ということで、日本からもすごく反響がありました。
―― どの国も大切という気持ちと、福島のことで日本への特別な感情が心にあることに気づいて、それが作品にも投影されて。
そうなんです。どの国も大事っていうのは今もそう思うのだけれど、どう考えても私は日本に対して責任があるような気がしていて。ヨーロッパ人のキリスト教的な考え方には、「みんな人間だから助ける」というのが、もともとあると思うんです。個人レベルではすごいエゴイストもいるし、普段は自分と家族が一番大事と思っているけれど、その上に理想として、人類は同じだからアフリカから養子をもらうとか、そういう行動や考え方があって。一方日本では、そういう「人類」というような抽象的な考え方はしないけれど、自分の村の人たちを絶対に守るとか、顔の見える共同体の人を助けるとか、そういう気持ちはとても強いと思うんです。
―― 確かにコロナ禍で皆同じ危機に直面したことで「難民を助けないと」と共感してくださる方が多くて、「同じ村の人」ではないですが、日本特有の隣人意識、難民の方への隣人意識のようなものの高まりを感じました。最新作でHirukoの仲間の一人、インド人のアカッシュがHirukoを助けるのは「同じ地球人だから」と言いますが、作中のそういった地球規模での隣人意識のようなものが、今の空気とシンクロしているように感じます。
そうですね。個人個人で「難民を助けなきゃ」みたいな強い気持ちにもなってきていますよね。今回のコロナでは、どういう社会層が大変な生活をしているかがとてもはっきりしてきて。ヨーロッパも大変で、難民の数も多くて南ヨーロッパの収容施設では感染が拡大して。ドイツでは精肉工場のこともありましたね。そこで働く人たちは、おもに東ヨーロッパの人なのですが、ひどい労働条件下で住まいもドイツの平均的な家庭とはすごく違って。郊外や村の工場のすごく狭いところで働いていて、全員感染したり。
―― 今まで見ようとしていなかった人たちの存在があらわになってきて、その人たちが感染拡大の危機にも直面していて。
そういうことが、各国で表に出てきている。地球全体に同じように課された問題として見えてきていて、現状力を合わせるところまでは到達していないけれど、みんなで力を合わせないと乗り越えられない課題になっているように思います。
エゴイストじゃない日本人が試されるコロナ禍
―― ドイツの新型コロナ対策は、どのようなものなのでしょうか。
ドイツは、まずは学者の意見を聞いて会議を開いて、そういう状況ならこうしようっていうのを全部法律で決めて、すごいスピードで国の対策を打ち出しました。今は電車内でマスクをつけていないと、50~200ユーロの罰金です。日本は規則がなくても、マスクをしようと言ったらみんなするし、お店を閉めようって言ったら閉める。これはいい面でもあって、でも、右に倣えなところもあるから、間違ったことでも「周囲がしているから」と従えば危険にもなりうる。
―― 今まで以上に、一人ひとりがしっかり考えて行動していかなければと感じています。
そうですよね。日本は、一人ひとりの意識は高くて、こういう時、みんなで感染を防ぐとか、自分の楽しみを犠牲にするとか、エゴイストじゃない。それはすごくいいところですし、その良さがもっと社会に活かされるといいですよね。個人レベルでは、難民を助ける気持ちとかは、日本人にはすごくあると思っています。
文責:国連UNHCR協会
多和田葉子(たわだようこ)
1960年東京都生まれ。82年早稲田大学第一文学部卒業後、渡独。ハンブルク大学大学院修士課程修了。チューリッヒ大学博士課程修了。日本語とドイツ語で小説や詩を手がける。『犬婿入り』(1993年芥川賞)、『献灯使』(2018年全米図書賞翻訳文学部門受賞)など著書多数。2016年ドイツのクライスト賞を日本人で初めて受賞。