「もしもし、母さん…僕だよ、モハメド」リビアから逃れた難民が電話で母親と再会
リビアでの拘束から逃れルワンダで安全を見出した庇護希望者は、最悪の事態を恐れていた身内を安心させるため、家に電話します
公開日 : 2020-02-13
難民はリビアでの暴力、搾取、拷問、そして性的暴行からルワンダに逃れました。彼らはまた、家族と再び連絡を取り、安全を見出します。
ガスホーラ(ルワンダ)2019年12月24日 ― 連絡が取れなくなって以降、彼らを死んだと思っていた、故郷の愛する人への短い電話。
スーダンのダルフール地域から来た難民であるモハメド・ダオード・アリは、リビアの拘留センターに囚われて以来、母親と2年間話をしていませんでした。彼は地中海を渡ってヨーロッパへ行く望みを持ってダルフールからリビアへ旅をしましたが、その希望はかないませんでした。
「自分が望んだ通りにはならなかったよ」
モハメドは深呼吸し、フェイスブックで親類が送ってくれた電話番号をダイヤルします。彼が自由に連絡を取ることができるのは、拘留されて以来、初めてです。
女性の声が応えると、「もしもし、母さん」と彼は言います。携帯電話を耳に押しあてながら、ルワンダ南東部のガスホーラの難民一時滞在所にある彼の新しい宿泊先の外の階段に腰かけています。
「私は誰と話しているの?」と母親がアラビア語で言います。
「僕だよ、モハメドだよ」と彼は言いました。
「モハメド・ダオード?元気なの?」と彼女は驚きの笑みを浮かばせながら言います。
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モハメドは9月以降、UNHCRが手配した救出のためのフライトでリビアからルワンダに降り立った難民数百人のうちの1人です。2019年、UNHCRは第三国定住した840人を含む2,250人の難民、庇護希望者がリビアから逃れる手助けをしました。
2019年、1,000人以上が地中海を渡ろうとして命を落としました。モハメドがしたような電話連絡は、愛する人が死んだのではないか、と恐れて不安だった家族を喜ばせます。また、複雑な思いももたらします。
「母さん、僕はルワンダにいるよ」と、涙が頬をつたいつつ、モハメドは言います。「自分が望んだ通りにはならなかったよ。」
「ここはあなたにとって安全な場所ではない、と母は言いました」
この32歳の会計学を専攻していた学生は、反乱軍が政府に武器を向けた2003年以来、紛争に引き裂かれているスーダン西部のダルフールを逃れました。彼の母親は、学生の抗議運動で逮捕され、二度とダルフールについて語らないよう警告された上で釈放された後の彼に、この地を去るよう説得したのです。
「ここはあなたにとって安全な場所ではない、安全な場所を見つけなければ、きっと殺される、と母は言いました」とモハメドは回想します。「たくさんの学生が殺されたのです。」
彼の家族はわずかながらのお金をかき集め、彼をエジプト、そしてリビアへ、安全を見出す旅に送り出しました。
「僕たちが(拘留センターに)たどり着いた時、そこには1年間太陽を見たことがない人々がいました」と彼は語りました。「君は奴隷で、彼らは叩くし、食べ物はない、と人々は言います。」
UNHCRによると、約2,500人の難民と庇護希望者がリビアの拘留センターに囚われています。約306人は政府間、UNHCR、アフリカ連合の交渉によりルワンダへと救出されました。
このような協力の実例が、12月にジュネーブで開かれたグローバル難民フォーラムで披露されました。各国政府、国際機関、地元当局、市民社会、民間部門、受入コミュニティーのメンバー、そして難民自身が一堂に集まって、難民を保護し、難民と受入側に活力が生まれ、持続的な解決策を見出すための最良の政策を議論しました。
モハメドは今、一時滞在センターでアラビア語の翻訳を手伝っており、ルワンダにいて幸せだ、と語ります。しかし、彼は第三国定住して、新しい生活を始めることを望んでいます。
「故郷に戻れば、すべてが元のままです。僕は戻れません。自分の教育を受け続け、自分の国の人々を助けるために努力する必要があります。これが、今の僕の望みです」と彼は語ります。
Linda Muriuki
原文はこちら(英文)
こうしている今も、地中海を渡り危険な旅を強いられている難民がいます
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