特別インタビュー 国連難民高等弁務官 フィリッポ・グランディ
公開日 : 2019-06-20
難民の生の声を世界に伝え続ける
1970年代後半以降、ベトナムから大勢のボートピープルが命がけで日本に到着し、日本は難民受け入れ当事国として、難民問題に本格的に向き合うこととなりました。その際、1979年にUNHCR駐日事務所が開設され、今年でちょうど40年を迎えます。
現在のUNHCRのトップである、フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官に、あらためて難民支援への思いや、日本からの難民支援について、事務局長・星野がインタビューしました。
難民支援に興味を持ったきっかけ
星野:難民支援に興味を持ったきっかけを教えていただけますか。
グランディ:私はイタリアのミラノで生まれ育ちました。他者に分け与えることが当たり前の、とても博愛の精神に満ちた文化の中で育ったのです。思えば私の中にはずっと、誰かのために働きたいという情熱がありました。また、私が学生だった70年代のイタリアでは学生運動が盛んで、その運動の動機のひとつが難民支援でした。ですからごく自然に私も難民支援に興味を抱くようになったのです。
20代の頃、私は初めてNGOのボランティアとしてタイの難民キャンプを訪れ、カンボジア難民への援助活動に参加しました。実際に参加してみて、人道援助活動がどれほど興味深いものか知りました。それはまさに人の命を助ける活動そのもの。私は援助活動に打ち込みました。
カンボジアとの国境にいた私にとって難民問題は、非常にユニークな視点から世界を眺めることができるレンズのようなものでした。その頃私が働いていたタイとカンボジアの国境は、東西冷戦の最前線。一方に共産主義の世界、もう一方に西側の世界。その2つの世界を隔てる国境に身をおいて難民援助活動に関わるうちに、政治状況をより深く理解できるようになりました。政治状況の把握と人道援助活動とのバランスを常に取り続ける。それは困難です。でも同時にすごくやりがいがある。そう感じました。それも私がここまで続けられたモチベーションの一つだったのは間違いありません。
困難なときに支えてくれた難民の持つエネルギー
星野:その後UNHCRに入り、長年難民支援に携わる中で困難もあったかと思います。そんなとき何がグランディさんを支えてきたのでしょうか。
グランディ:命の危険、政治的困難、解決策が無いこと…。今まで幾度となく厳しい局面に置かれてきました。そんなとき私を支えたのは、UNHCRの援助活動を通して実際に命を救うことができるということを、直に自分の目で見て理解できたことでした。
例えば、私が90年代にコンゴ民主共和国で任務に就いていたとき、そこには大勢のルワンダ難民が避難していました。しかしコンゴに紛争が起こり、私たちUNHCR 職員は散り散りになった25万人以上のルワンダ難民をなんとか救出し、祖国に無事帰還させることができました。このような命が救われる瞬間を目のあたりにする経験が、私たちの難民支援の意欲を、掻き立ててくれるのです。
困難な状況に置かれたとき、難民の持つ強さやエネルギーといったものが私たちを支えてくれました。難民というと、苦しみに満ちた弱々しいイメージをつい思い浮かべるかもしれません。しかし実際には強さと勇気を兼ね備え、どんな状況でも生き抜こうとする決意に満ちた難民も多いのです。フラストレーション、怒り、絶望、そんな感情に襲われたら、難民のことを思い出してください。難民はエネルギーに満ちていて、忘れ去ることなどできません。あなたは、むしろ難民が自分たちの持つエネルギーを十分発揮できるよう、支えなければいけないのです。難民の持つ強さやエネルギーは私たちを奮い立たせてくれます。
難民の生の声を伝えたい
星野:国連難民高等弁務官の就任から約3年。非常に重要なお仕事であり、特にUNHCRにとってアドボカシー(難民のための権利擁護)はとりわけ大切だと思っております。今、国連難民高等弁務官という職務について、どのように感じておられますか。
グランディ:アドボカシーという面についてお話しすると、国連難民高等弁務官には大きく2つの役目があると考えています。1つは「難民の権利のために弁務すること」。難民は常に受け入れられるわけではありません。すべての国、とりわけ難民条約に署名している国は、難民条約に伴う法的責任を負っており、私には国々にそのことを思い出させる道徳的義務があります。もう1つは、「国が解決策を見出すのを手助けすること」。母国への帰還、避難先への定住、あるいは第三国定住など。国が解決策を見出せるよう、手助けするのも私の仕事です。どちらも私の重要な任務なのです。
星野:UNHCRのトップであるグランディさんが、援助活動の現場を訪問し続けているのはなぜですか。
グランディ:現場を訪問することが、問題の本質を見極める唯一の方法だからです。アフリカ諸国はもちろん、スウェーデン、カナダ、日本など、私は訪問先で難民と会うようにしています。現地に避難している難民と会って初めて、どのように支援すればよいか理解できるからです。
難民と直に会って話を聴くことが大切なのです。各国の大統領や首相など重要な立場の人が私から聞きたいのは、難民の真実の話なのです。政治の話でも、統計の話でもありません。私は難民の声そのもの。私が難民の生の声を伝えるのです。もし私が難民に直接会うことをやめたら、どうやって難民の真実の話を伝えられるでしょうか?
星野:「難民問題には終わりはない。寄付をしてもきりがない」あるいは「紛争そのものを解決しなければ寄付に意味はあるのだろうか」という意見についてはどのようにお考えですか。

グランディ:そのようなご心配はわかります。私自身もそのような思いにとらわれることもあります。なぜ終わらない紛争の地にいる難民のもとに、人や物資を送り続けるのでしょう? しかし、私たちには決して忘れてはいけない大切なことがあります。それは私がパレスチナ難民問題に関わっていたとき学んだこと、「私たちは、難民に責任は無いということを常に心に留めておかなくてはいけない」ということです。
たしかに難民問題はしばしば非常に長引いています。しかしその責任を負うべきは、政治的決断をする立場にいる人々です。難民の祖国に平和をもたらす責任を負っている人たち、そしてそれができないでいる人たちにこそ責任があります。私は難民はその代償を払わされて、長い間待たされている犠牲者だと思います。ですから、難民から必要な支援を奪ってさらなる犠牲を強いるようなことをしてはならないのです。
難民危機が長期化している今、私たちは、難民には解決策が必要だということを思い出す必要があります。そして難民の自立に取り組み、手助けしなくてはいけません。けれどそのためには、たとえば難民の教育や職業訓練への投資が必要なのです。ここでも民間からの支援が必要とされています。
星野:なぜ今、民間からの支援が重要なのか、あらためてお聞かせ願えますか。
グランディ:なぜ重要なのでしょうか? 理由は主に2つ挙げられると思います。1つ目は「難民はすべてを失った人たちであり、私たちからの支援を必要としている」ということです。民間からの寄付は、難民の命をつなぐための支援、たとえばシェルター、食糧、医療サービス、あるいは子どもたちへの教育支援などを実際に支えています。今、全世界の個人の寄付者からUNHCRへのご寄付は年間2億ドルを超えています。日本の寄付者の皆様は、世界が総力を挙げて難民を支えている援助活動に、私たちと共に参加してくださっているのです。
2つ目は「寄付は難民問題を身近に感じていただくための大切な方法」ということ。難民問題はしばしば報道や公開討論などの場で、非常に難しく危険な問題として扱われます。しかし実際は、難民は不可抗力の出来事により被害を被っている、ごく普通の人たちなのです。私は難民問題がきわめて政治的に扱われてしまうことを憂慮しています。ある意味、膨大な数や金額だけが独り歩きしてしまい、数字の裏に、難民ひとりひとりの人間としての物語があることが忘れられてしまっています。
寄付するということは、不幸な出来事に見舞われていない普通の人が、大変な苦労を強いられている普通の人の苦境に思いを馳せるためのひとつの方法です。寄付を通じて、寄付を受け取る人、寄付をする人、その双方の人間としての顔が見えてくる。実際に出会うわけではありませんが、人間同士として出会うための非常に現実的な方法なのです。寄付は、難民ひとりひとりの物語を伝えて、難民へ差し伸べる支援の手を増やすための大切な方法です。
星野:日本からの難民支援についてはどのように考えておられますか。
グランディ:日本は人道支援の様々な分野において大きな役割を果たしています。人道援助活動、開発、平和…それらはすべて過去数十年間の間、日本が培ってきた誇るべき日本の伝統の一部です。日本の精神は世界の多くの国々と比較して、非常に偏らない中立なものです。日本は極めて尊敬されています。
私はいつも言うのです。日本人はとても人道的な心を持っていると。それは20世紀に日本が世界と共に味わった紛争の歴史と苦しみの経験―戦争、原子爆弾、戦後の復興の道のり―により培われたのかもしれません。日本は紛争がもたらす苦しみというものを、深く根付いた良心から理解しているのではないか。そしてその良心は、本能的な思いやりの心として、世代を超えて受け継がれてきたのではないかと私は思っています。
一方、現在世界で起こっている難民危機は日本から遠く離れた場所で起こっているのも事実です。難民危機の多くはアフリカ、中近東、南アジア、そして今はさらに中南米など、発展途上国で発生しています。どうしてそんな遠いところの問題に対して貢献しなければいけないのかという声も少なくないでしょう。ご存知の通り、世界中で多くの政府が「アメリカ第一」「イタリア第一」、あるいは「日本第一」と口にします。自国を第一に考えるのは良いでしょう。しかしそれは大きな世界の一部としての「日本第一主義」「米国第一主義」であるべきなのです。
そんな中、日本には難民支援に参加してくださる方がたくさんおられる。日本からの難民支援は、日本人の持つ人道的な良心の表れであると共に、世界各地の難民問題に関心を持つことにおいて距離は関係ないのだという非常に良いお手本なのだと感じています。

星野:日本のUNHCR支援者にメッセージをお願いします。
グランディ:どうぞ引き続き難民をお支え下さい。私たちはあなたの助けを必要としています。私たちはご支援に非常に感謝しております。あらためて御礼申し上げます。そして、どうぞお友達に難民のことを話してください。お友達が難民のこと、あるいは日本の市民の皆様からの支援がどれだけ難民の力になるかを知ることができるように力を貸していただきたいのです。
緒方貞子さんは、日本を世界における人道援助活動、平和の担い手とすることに生涯を懸けてこられました。その緒方さんの残されたレガシーというものは、私たちみんなが引き継いで、前進させてゆくべきものです。私たちは世界に対して平和の旗を掲げ続けなければなりません。
そして最後はこの一言に尽きます。
本当にありがとうございます。
(2018年10月25日 東京・国連UNHCR協会事務所にて 構成 : 国連UNHCR協会)
フィリッポ・グランディ………第11代国連難民高等弁務官。
2016年1月1日の国連総会で選任され、高等弁務官の任期は2020年12月31日までの5年間。
1957年にミラノで生まれ、難民および人道を経て、2010年から2014年まで同機関のトップである事務局長を務めた。その前はUNAMA(国連アフガニスタン支援ミッション)事務総長特別副代表を務めた。緒方貞子 第8代国連難民高等弁務官の官房長も務めている。
2019年4月9日、国連安全保障理事会でのグランディ高等弁務官演説
(動画右下の設定で字幕をオンにしていただければ、日本語字幕が表示されます)
「難民に関するグローバル・コンパクト」とは?

これまで長く続いた、難民を難民キャンプ、あるいは社会の片隅に閉じこめて隔離するような時代は終わり、根本的に異なるアプローチをとる新たな時代が始まろうとしています。
「難民に関するグローバル・コンパクト」は、難民を、受け入れ国のシステム、社会、経済に組み込んで、彼らが苦境から脱する日が訪れるまで、受け入れ国のコミュニティに貢献し、自分たちの将来について不安を感じることがなく暮らせるよう、環境を整えるというアプローチなのです。
―国連難民高等弁務官 フィリッポ・グランディ
「難民に関するグローバル・コンパクト」とは
2018年12月17日、国連総会でひとつの歴史的な取り決めが採択されました。その名も、「難民に関するグローバル・コンパクト」。ここでいう“コンパクト(Compact)”とは“契約”のこと。難民問題に世界がひとつになって積極的に取り組んでいくための大きな枠組みです。受け入れ国など直接関係している地域と、そこに暮らす人たちだけではなく、各国政府はもちろん民間の企業、国際金融機関、ひいては私たちひとりひとりの協力を求めているのです。
背景
特定の国や地域が極端に大きな負担を強いられているというアンバランスな実情が背景にあります。350万人を受け入れているトルコを筆頭に、全難民の約6割をたった10か国が受け入れていて、しかも8割以上の難民が暮らすのは、ただでさえ財源やインフラ設備の限られた発展途上国。ほかの国々も支援に貢献してはいますが、難民問題が長期化する中、受け入れ国の負担は増すばかりで、様々なひずみが生じ、危機的な状況にあります。第三国定住にしても、定住がかなった難民の3分の2以上を、たった5か国が受け入れているのです。
どうやって実現するの?
今後、多岐にわたるプロジェクトがより大きな規模で展開され、4年ごとに開催される「グローバル難民フォーラム」で進捗の確認が行われる予定です。
プロジェクト例
チャド:
スーダンからの難民が教師の資格を取得できるプログラムをスタート。2カ月間の集中コースを受講した難民がキャンプ内の小学校で教えることで、教育の機会を広く提供する。
ジブチ:
難民に国民健康保険が適用されるようになり、ルワンダでも難民に渡航文書と身分証明書を発行され、仕事や就学のために自由に移動できるように。
ケニア:
ソマリアなどからの難民が多く暮らすガリッサ郡・トゥルカナ郡では、地域の開発事業に難民たちが参画し始めている。