From the Field ~難民支援の現場から~ With You No. 41より / UNHCRヨルダン・ルウェイシェド事務所 所長 副島 知哉

公開日 : 2019-06-05

UNHCRヨルダン・ルウェイシェド事務所 所長
副島 知哉(そえじま ともや)

他国連機関のヨルダン人職員とともに
ルクバンの国連診療所を共同運営する、他国連機関のヨルダン人職員とともに

シリア砂漠のど真ん中、シリア・ヨルダン・イラクにまたがる荒地にルクバンという国境地域があります。そこには紛争を逃れたシリア避難民5万人が避難しています。そのはずれにあるUNHCRの小さなフィールド事務所の所長として、緊急医療や支援物資を届けるのが私の仕事です。

ルクバンの国連の診療所には、毎日のように急患が訪れます。避難民キャンプ内には食糧も毛布も病院もありません。母に連れられてやってきた10代の少女は、妊娠中の大量出血ですでに意識が混濁していました。輸血のできない砂漠の病院では帝王切開はできず、すでに合併症を併発していれば母子ともに危ない。凍りつく砂漠の道を3時間、最寄のヨルダンの病院まで緊急輸送しました。2年半以上にわたって過ごした私の日常の一片です。

「難民」というのはラベルのひとつにすぎません。UNHCRに就職する直前の2011年、私はあるNGOで東日本大震災の被災地支援に携わらせてもらっていました。まだ震災直後の時期で、地元の方の協力を得て炊き出しをしたり、軽トラックで避難所に支援物資を運んだり。あまりに困難な状況に絶望し、被災された方々の辛抱強さに勇気付けられながら、各地の避難所をまわりました。

南三陸の避難所を訪れたとき、私が国連難民機関に就職することになっていることを知った年配の漁師の方が、こうつぶやきました。「私らも難民になってしまったかあ…」もちろんその人が本来の意味での難民になったわけでもなく、場を和まそうと言って下さった一言であったことは間違いありません。でも、その方の言葉の後ろにある複雑な思いはどれほどのものだったでしょう。

人は誰しも望んで難民になるわけではありません。国連や庇護国が誰かを難民にするわけでもありません。あくまで国連や庇護国は、簡単に言えば避難せざるをえなかった人たちの本来あるべき姿(地位)を「認める」だけです。たとえ認められたとしても、大切な生活や家族を失った辛さが消えることはなく、その上に慣れない避難先での生活というのは想像を絶するほど大きな負担です。一部の地域では避難先で生命の危険にさらされることさえ珍しくありません。「難民」というラベルでは推し量ることすらできない一人ひとりの辛い記憶が、その表情の背後に垣間見えます。

これまでのUNHCRの仕事を通じて何人もの難民に出会ってきました。治安の悪いソマリ難民キャンプで家族を支えようとする若者、親とはぐれたあげく不法滞在でベイルートの刑務所に拘留されてしまったシリア難民の小学生、ヨルダンの田舎で腰を痛めながら肉体労働をして避難生活を送る老夫婦。幸い先の少女は、母子ともに生命の危機は免れました。「でこぼこ道を走ったおかげでこの子は出てこれたんだと思います。」そうはにかんで言う彼女の表情に、あの日出会った南三陸の人たちの辛抱強さを見た気がしました。

砂漠の事務所での2年半の勤務も終わりを迎え、7月からUNHCRバングラデシュ事務所での仕事が始まります。たとえ職員ひとりができることは限られているとしても、UNHCRの活動を応援してくださる全ての方の協力に支えられて、今後も最前線で難民支援に取り組んでいきたいと思っています。

砂漠のルクバンにて砂漠のルクバンにて、同僚とともに

プロフィール

UNHCRヨルダン・ルウェイシェド事務所 所長。オックスフォード大学大学院卒(強制移住学修士)。UNHCRに採用され、ケニア、レバノン、ヨルダンでの勤務を経て2016年10月より現職。シリア難民への支援物資配給および緊急医療支援に従事する。

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