難民の家族を再会させたオリンピック
公開日 : 2019-04-23
ある日の朝、リオデジャネイロのオリンピックにて、部屋で目覚めた南スーダンのランナー、イエーシュ・ピュール・ビエル選手は、知らない番号からの電話に出ました。電話の声は、もう十数年も耳にしていなかった声でした。
ナイロビ(ケニア)2016年8月30日 ― 「それは、私の母でした」とビエル選手は言います。2005年、彼は戦争から逃れた時に両親と離ればなれになり、ケニアで難民として育ちました。「母が生きているのか死んでしまったのか、知りませんでした。母も、私の生死を知りませんでした。事実、母は私が死んだと思っていたのです。本当に驚きました。今も信じられません。」

彼の故郷である南スーダンのナシールに住んでいる人が、2016年夏季リオデジャネイロオリンピックの難民オリンピックチームで競技している彼についての投稿をFacebookで見ました。その人が農家である彼の母親ナゴニー・タットゥを知っていて、彼女が電話をできるように支援団体のオフィスへ連れて行ったのです。
1回の数時間に及ぶ楽しい会話で、家族が生き延びているのだろうか、という10代、そして今は青年に成長した彼が持っていた不安のすべてが、解消されました。
「スタートラインに立った時、世界中の難民の視線が私に注がれていると感じました」
「母はオリンピックが何か知りませんでした。でも、私が今は遠い場所に行っており、近いうちに母のもとへ帰ってくるということは理解したようでした。そして、私は元気だと」と満面の笑みでビエル選手は語ります。「今回のあらゆる出来事によって、努力し、良いことを続けていけば、人生には素晴らしいことが起こりうる。今そう実感しています。」
800メートル走を専門とするビエル選手は、2016年リオで10人の難民オリンピックチームのメンバーとして歴史的な参加を果たした5人の南スーダン出身ランナーのうちの1人です。彼にとって、その経験は人生が変わることを証明しました - しばしば、予期せぬ方法で。
今はケニアの首都ナイロビ北部にある高地のトレーニング・キャンプに戻り、ランナーたちは大西洋を臨む1階建ての、灰色のレンガでできた寮の気の利いたベッドルームに取り換えました。朝食は、豪華なビュッフェの代わりに、牛から直接絞ったミルクです。
現在6,530万人という記録的な人数が故郷から避難を強いられている中で、世界にいる2,130万人の難民を代表し、最も壮大な国際舞台に立ったことに、選手一人ひとりが強い誇りを感じています。
「スタートラインに立った時」とビエル選手は語ります。「世界中の難民の視線が私に注がれていると感じました。私は彼らに、自分が難民と呼ばれることを恥じる必要はない、私たちは戦争から逃れた人々ではない何かになれる、と示したかったのです。それを変えるのは、まさに私たち次第です。」
1,500メートルを走ったアンジェリーナ・ナダイ・ロハリス選手が賛同します。目標を達成するために人生を捧げた人々に囲まれたリオでの時間は、大望を持つこと、そしてその大望を達成することに集中し続けることの重要性に対する彼女自身の信念を強いものにした、と彼女は言います。

「自分の国から避難したので何もできない、他人が与えてくれるものだけに頼るとは、難民として言うことはできません」とロハリス選手は語ります。彼女は6歳の時に故郷を逃れ、両親もなく、ケニア北部の半砂漠地帯にあるカクマ難民キャンプで育ちました。
「少なくとも、自分自身のためにできる特別な何かを考えるのです。自分自身を信じれば、それは自らを力づけます」と彼女は付け加えます。
ランナーの一人ひとりが、オリンピックのそれぞれのハイライトを記憶しています。ビエル選手にとっては、それは母親からの電話でした。他のランナーに先駆けて、自身のベストタイムで走ったすぐ後のことです。ロハリス選手にとっては、世界中の最高のアスリートと会い、競技したことでした。
また、彼ら2人は、このイベントが終わった後、旅行者としてリオを楽しんだ、とも語りました。
「ビルがとても高く、最初は部屋の窓に近づいて見下ろすのが怖かったです」
「驚かされたことが本当にたくさんありました。ビルがとても高く、最初は部屋の窓に近づいて見下ろすのが怖かったです」とロハリス選手は笑いながら言います。
「食事はとても興味深かったです。オリンピック村の食堂には世界中のあらゆるアスリートがいて、人々が食べた何かが本当に食べ物なのか、または何なのか、私には分からないのです。」
「また、彼らが山々の中を通る方法にも驚かされました。人々に見せるために、あのトンネルというもののビデオをつくらなければなりませんでした。さもなければ、私を信じてくれないでしょうから。」
開会式で難民選手団をオリンピック・スタジアムに先導したローズ・ナティケ・ロコニエン選手は、人生で初めて海を見て魅了されました。28歳で難民選手団の最長老であるジェームス・ニャン・チェンジェック選手と、1,500メートルを走ったパウロ・アモトゥン・ロコロ選手は2人とも、競技中に観衆からもらった大きな応援の声がハイライトだと語りました。
選手は各自、テグラ・ロルーペ平和財団とUNHCRの支援で、自分たちの練習を続けるつもりです。
「これは私たち全員の始まりに過ぎません」とビエル選手は言います。「仲間の難民に、そして誰にでも私は言います。偉大なことを成し遂げるには時間が必要だと。挑戦が必要です。大事なことは、決して希望を捨てない、ということです。」
Mike Pflanz
原文はこちら(英文)
Olympics reunites refugee family
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