シリアの家族、戦争で破壊された故郷へ帰る

8年の紛争の後、危険がないと思える地域に徐々に戻るシリアの家族がいます。多くの家族にとって、過酷な帰郷であり、新しい苦難のスタートです

公開日 : 2019-03-11

ザヒダ(35歳)の難民としての人生は、決して容易なものではありませんでした。シリアの戦争が始まって数年で夫が行方不明になって以来、彼女は5人の子どもを1人で育てているのです。レバノンでは仕事は少なく、家賃は高かった、と彼女は語りました。しかし、帰郷は新たな苦難をもたらしているのです。

ソーラン(シリア)、2019年3月7日 ― 「破壊は言葉にできないほどでした。最初、自分の町だと分かりませんでした」と彼女は言いました。彼女の2階建ての家は石の破片と変わり果てました。親類が泊めてくれましたが、彼女たちが借りた部屋には窓も扉もない状態でした。「水も電気もありませんでした」と彼女は付け加えました。「私たちは石器時代にいるのかと思いました。しかし、少しずつ、改善していきました。」
「水も電気もなく、石器時代にいるのかと思いました」
ザヒダの物語は3月6日(水)に、この地で人々が直面している大規模な人道的ニーズを査定するために、その週シリアを訪問したフィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官にも共有されました。

「帰郷する、というこの決断は、とても困難なことです。すべての難民や、(国内)避難民がすぐにこの決断をする訳ではない、ということを私たちは尊重しなければなりません」と高等弁務官は述べました。「しかし、この決断をした人々、自発的にここに戻ってきた人々には、少なくとも彼らの基本的なニーズと、彼らのコミュニティーへの再統合のための支援の手を差し伸べなければなりません。」
シリア西部のハマから10数マイル北にあるここソーランで、高等弁務官は、多くの場合、何度も、何か月、何年も避難を強いられた後に、自発的に帰還した数家族と時間を過ごしました。また、新たに結成された女性グループに会い、昨年10月に再開した小学校を訪問し、1月に開店したパン屋を見学しました。これらのすべては、UNHCRとパートナー団体の支援によるものです。

紛争前、ソーランは約4万7,000人の故郷でした。その多くは農夫、商人、労働者です。2016年8月、武装グループが町を占拠すると、一晩で町には空っぽになりました。トルコやレバノンに逃れた住民もいますし、その他は近いハマの町やシリアの別の地域に逃れました。

アブデカリームはハマに逃れた住民の1人です。ハマでは頻繁に家賃が上がり、彼の家族は1年以上、さまざまな場所へ引っ越ししなければなりませんでした。ソーランに戻ると、彼の家は残骸であふれていて、価値のあるものはすべて奪われていました。「扉も、蛇口もありませんでした」と彼は語りました。「釘すら取られていました。」
ネズミや虫のせいで家族は夜も眠れませんでしたが、アブデカリームは家の修繕に取りかかりました。UNHCRの支援で新しい内壁を建て、より安全を守る窓と扉を取り付けました。

総計約3万3,000人がソーランに帰還しており、その多くはシリアの周辺地域に逃れていました。少なくとも、ソーランの元住民の3分の1が、今も別の場所で暮らしています。
「自発的に帰還する人々のために、私たちは手を差し伸べなければなりません」
2018年、国内で避難していた推定140万のシリア人が故郷へ帰還しました。大きな一難が去ってまた一難、ということがしばしばです。それでも、彼らは少数派です。8年の暴力と破壊の後、数百万人が国内で避難を強いられたままで、さらに難民560万人が今も近隣国で暮らしています。100万人以上のシリア人が世界各地に分散しました。
ソーランに帰ったのは、避難生活が子どもたちに重い犠牲を強いるからだとザヒダはグランディ高等弁務官に語りました。彼女の息子は床屋で働いて家族を助けるため、14歳で退学しました。しかし、彼が稼ぐお金は彼の姉妹の学費を払うには不十分で、姉妹は教育から取り残されてしまっていました。

ここにある彼らの家は賑やかな角地にありましたが、現在は廃墟と化しています。コンクリートの階段は振り子のように残骸からぶら下がり、鉄筋の一部に繋がっています。「これを見た時が、私の人生で最も悲しかった時の1つです」と彼女は言いました。

現在、ザヒダの一番年上の娘は、新しいコミュニティーセンターで、学習の遅れを取り戻すための補習授業に出席しています。下の3人の子どもたちはアル・シュハダ小学校に入学しました。昨年11月にUNHCRの支援で再開した学校です。この学校はこのコミュニティーにある5つの学校の1つで、その他15の学校は、主に建設物の損傷のため今も閉校したままです。多くの子どもたちが、何か月、何年も学校に通えていないため、混み合った教室では、2~3学年異なる年齢の生徒がいます。
さらに、グランディ高等弁務官はソーランで唯一のパン屋を訪問しました。UNHCRの支援で1月に開店しました。以前、町の人々は数マイル離れたパン屋からパンを買わなければなりませんでした。しかし、新しい店では45の職が創生され、パンの価格も75%安価になりました。パン屋は2交替制となり、1日に10トンの小麦粉を使い、1万2,000人以上の食を助けています。
「私たちは自らの尊厳を取り戻したいのです。国の外では、同じではありません」

高等弁務官は、ソーランに戻った人々がコミュニティーと帰属意識を取り戻す手助けをしてきた地元の女性グループと会談しました。「私たちは、私たちの家、私たちの土地に戻りたかったです」とある女性は高等弁務官に語りました。「そして、私たちは自らの尊厳を取り戻したいのです。国の外では、同じではありません。」

「私たちは1からスタートしています」と彼女は付け加えました。「私たちが自らの生活を再建する強さを持っていることを、私たちは願っています。しかし、他からの支援が必要です。」

UNHCRの信条は、シリア国内にいようと、国外にいようと、避難を強いられた人々を助けることです。そして、自発的に故郷に帰還し、彼らのコミュニティーに定着するシリアの人々が緊急に必要とする人道支援を受けられるように手助けをすることです。

 

(動画右下の設定で字幕をオンにしていただければ、日本語字幕が表示されます)

 
Christopher Reardon

 
原文はこちら(英文)
Syrian family comes home to a town ravaged by war


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