ケイト・ブランシェットUNHCR親善大使、国連安全保障理事会でミャンマーとロヒンギャ難民危機について報告

(*演説全文掲載)

公開日 : 2018-07-31

ケイト・ブランシェットUNHCR親善大使がニューヨークで開催された国連安全保障理事会の会合で、ミャンマーとロヒンギャ難民危機に関する状況について演説

ありがとうございます。議長。

 
名高い代表の方々、国連事務総長、そしてここにお集まりの皆様。

 
この国連総会にて、この重要な転機にこの場にいる機会をいただき、大変光栄です。私は、専門家としてここにいるわけではありません。私は、一人の目撃者として、皆様の前にいます。見過ごすことができないものを見た人間の一人として、ここにいます。

 
私が目にした苦しみの大きさと深さに、私は何の心構えもできていませんでした。

 
18歳の女性、ここではライラと呼ばせてください。彼女は、私にもっとも強い印象を与えた女性です。2017年8月以来、ミャンマーのラカイン州での暴力と虐待から逃れた無国籍のロヒンギャ難民72万人のうちの一人です。ライラは、幼い息子のユセフとともに、燃える村を逃れました。彼女の夫がどうやって村から無理矢理連れ去られ、それ以来噂も聞こえてこないことを、彼女はユセフを腕の中であやしながら、私に説明してくれました。

 
そして5日後、戻ってきた人々は彼女の家に火を放ち、彼女は赤ん坊とともに家を逃れざるを得なくなってしまったのです。彼女は、ナイフを持った男たちに伯父が殺されるのを目撃しました。彼女は私に言いました。「殺されるのを見た時、私はただ、走りました。」彼女と息子は数か月間、森の中に隠れ、植物や木で食いつなぎました。彼女の苦難の旅はバングラデシュで終わりを告げましたが、彼女の苦しみは、今も続いています。

 
他の難民の家族が狭いシェルターに、彼女とユセフを同居させてくれました。

 
ライラと座っていた時、私の後ろで小さな子どもが遊んでいました。私は、彼の足の酷い傷跡に気づきました。訊ねると、家に火がつけられた時、彼は火に囲まれてしまった、と家族は教えてくれました。運よく、彼らは子どもを火の中から引き戻すことができましたが、傷跡は残ります。身体的にも、精神的にも。

 
この話が異常なものであればと思いますが、バングラデシュにいる難民の家族を訪れると、このような話が、衝撃的な日常であることが分かるのです。

 
皆様と同様に、私も心が張り裂けそうな話を聞きました。残酷な拷問、残忍に暴行された女性、目の前で愛する人を殺された人々のストーリーです。祖父母が閉じ込められた家に火を付けられる場面を目撃した子どもたちもいます。

 
私は、母親です。そして私は、出会った一人ひとりの難民の子どもたちの目に、私の子どもたちを見ました。私は自分自身を、一人ひとりの親の目に、見ました。自分の子どもが火の中に投げ込まれる姿を目撃して耐えられる母親など、いるでしょうか?

 
彼らの体験は、私の心からずっと離れないでしょう。

 
だからこそ私は、国際平和と安全を維持する任務を持つ主体である国連安全保障理事会が、この危機を解決するため、一丸となって働きかけていることに、深く感謝します。

 
特に、10年以上にも渡りロヒンギャの声を届け、この問題に対して模範的なリーダーシップを示し続けている国連事務総長に、深く感謝します。

 
そして私は、ラカイン州の危機に対する明白かつ実質的なビジョンを私たちに与えてくれた、元国連事務総長、今は亡きコフィ・アナン博士にも敬意を示さなければなりません。総会で共有されたビジョン、ミャンマー政府が実施を約束したビジョン。もし、実行に移されれば、ラカイン州の異なる地域や民族、背景の女性、男性、子どもたちが一緒に生きていけるビジョンです。

 
しかし、この理事会と国連がミャンマー政府とともに、このビジョンを実現するために努力していても、バングラデシュにいるロヒンギャには、緊急の対応が求められています。

 
議長。

 
これがロヒンギャ難民の過去40年間におけるミャンマーからバングラデシュへの最初の大きな移動の波ではない、ということを思い出してもらうことは、重要です。避難している人の規模は壮大かつ過酷で、今では、ミャンマー国内で生活しているロヒンギャの数を超えています。

 
1978年、ロヒンギャ難民20万人が暴力や広がる虐待から逃れ、バングラデシュに流れ込みました。若きロヒンギャ難民だったガル・ザファーという女性は、逃れてきた一人でした。

 
14年後の1992年、さらなる暴力の波により、ロヒンギャ難民25万人が再び、近隣のバングラデシュに安全を求めて逃れました。もう一度、ガル・ザファーは故郷を逃れる一人となってしまったのです。

 
今現在、バングラデシュには無国籍のロヒンギャ難民が90万人います。悲しいことに、90歳のガル・ザファーは再び、この90万人のうちの一人になっているのです。

 
最初の避難から40年、ガルはバングラデシュで救い難い貧困の中で暮らしています。望んでいることは、孫たちがより良い未来を迎えることだけです。

「人生で、平和な時間を味わうことなんて少しもありませんでした」と語る90歳のガル・ザハー(一番左)とその家族。4世代の家族は市民権が与えられていない故郷での抑圧や社会的排斥に続く暴力に耐えかね、バングラデシュに逃れた

 
ミャンマーで繰り広げられるこの未来への必要性は、とても切迫しています。

 
もし、私たちが今すぐ行動を起こさなければ、ガルの孫たちは、他の何千もの人々のように、何世代ものロヒンギャが体験してきた冷酷なサイクルから逃れられなくなるのです。

 
議長。

 
難民70万人以上を数か月で受け入れ、安全を提供したバングラデシュの今回の対応は、私たちの時代において目にすることができるもっとも重要かつ人間的な行為です。しかし、そのニーズは計り知れません。その苦しみは深刻です。国際的な支援が、さらにもっと必要とされています。

 
バングラデシュ政府、受入コミュニティー、国連組織、NGO、そして難民自身の尽力のおかげで、人命を守る努力が続けられ、ロヒンギャ難民は、モンスーン* に耐え、ほぼ無傷の状態を保てています。
(* 豪雨等を伴う恐れがある季節風)

 
しかし、皆さん自身が目にするように、彼らは不衛生な状態での生活を続けています。

 
支援活動のための資金は、わずか33%しか集まっていない状態 - それは、1人1日70セント以下という換算です - これは驚くべきことではありません。むしろ、恥ずべきことです。

 
近隣に暮らす、貧しい多くのバングラデシュの村人たちは、何年にも渡り、ロヒンギャ難民を助けてきました。多くを持たない人々が一歩踏み出すことができて、どうして私たちはもっとできないのでしょうか?

 
難民も、家族を養う必要があります。洗濯し、料理し、掃除するために、清潔な水と衛生施設が必要です。モンスーンや灼熱の気候から身を守るための安全なシェルターが必要です。彼らの子どもたちは、教育が必要です。彼らの祖父母は、ケアを必要としています。

 
しかし、彼らには食糧や水、非公式の学校、一次的なシェルター以上のものが必要です。彼らには未来が必要なのです。

 
バングラデシュの難民居住地では今、ミャンマーで性的暴行を受けた女性が子どもを産んでいます。この子どもたちは、すでに無国籍という重荷を背負い、残りの人生を、この汚名とともに生きなければならないかもしれません。

 
ライラのように、たくさんの女性が、虐待や搾取の危険にさらされ続けています。

 
多くの人々が、バングラデシュへ逃れる前、そして逃れる時に負ったトラウマや傷の爪痕と今も闘っています。

 
難民とバングラデシュの受入コミュニティーを手助けする革新的な方法を見つけるために、政府、開発/人道団体、民間部門、そして一人一人が結束して尽力することが絶対に必要です。

2017年11月、バングラデシュにあるUNHCR一時滞在キャンプの外に集まる新たに到着したロヒンギャ難民

議長。

 
私たちの全ての努力を集結させて、バングラデシュで強く必要とされている支援を提供しなければなりません。ミャンマーへ帰還できる環境を保証するよう働きかけることも必要です。

 
私が話した多くの難民が、ミャンマーを故郷と考えています。しかし、帰還について、彼らは本当に深い恐怖心を抱いています。

 
移動、結婚、就職、ヘルスケアや教育の権利を否定され、彼らは地球上でもっとも弱い立場に置かれた人々になっています。

 
難民は、故郷が安全となり、安全に戻れるのなら、故郷に戻ります。

 
ロヒンギャは、避難を強いられたその状況に戻ることはできません。

 
中途半端な解決策では安心できません。

 
彼らは自分たちがどこに属しているのか知る必要があります。完全な市民権への明確な道が不可欠です。

 
それは、贅沢品ではありません。

 
それは、特権でもありません。

 
それは、ここにいる皆さんが享受している基本的な権利です。

 
ロヒンギャが持っていない権利です。

 
私は、この理事会に、この義務を忘れず、あらゆる努力が実るよう支援してくれることを求めます。その間にも、バングラデシュ国内の切迫した緊急のニーズに応えるためのより強い国際的な支援が促進されることを求めます。

 
私の心は時々、ライラと彼女の隣人たちのもとへ戻って行きます。

 
彼女の夫に何が起こったのか、彼女は知ることができたのでしょうか?

 
彼女が共同で使っていた臨時のシェルターはモンスーンの風雨に耐えたでしょうか?

 
彼女は先週、ラマダン明けのお祭りをどうにか祝うことができたのでしょうか?

 
彼女の幼い息子ユスフはいつかミャンマーの家に帰り、学校へ通えるのでしょうか?

 
それとも、彼もガル・ザファーのように、恐怖と強いられた避難の終わりなき日々に苦しむのでしょうか?

 
議長。

 
私たちは一緒に、ライラやユスフ、ガル・ザファーの未来を、ミャンマーやバングラデシュに暮らす全てのロヒンギャの未来を変えなければなりません。

 
近道などないのです。選択肢もないのです。

 
私たちはかつて、ロヒンギャの人々について、過ちを犯しました。

 
どうぞ、私たちにさらなる過ちを犯させないでください。

 
ありがとうございました。

原文はこちら(英文)
Cate Blanchett’s remarks to the UN Security Council on the Rohingya refugee crisis


ケイト・ブランシェットは警告します。モンスーンからロヒンギャ難民を守るのは“時間との戦い”だと。

降雨量の増加、サイクロン(熱帯低気圧)、そして悪天候によって、何十万ものロヒンギャ難民が、これから数か月、天災の被害にさらされる危機に瀕しています。UNHCRは1人でも多くの難民・避難民を保護するため、活動を続けています。UNHCRの難民支援にご協力ください。

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