From the Field ~難民支援の現場から~ With You No. 39より / UNHCR駐日事務所 法務部 川内 敏月

公開日 : 2018-06-11

UNHCR 駐日事務所 副代表(法務担当)
川内 敏月(かわうち としつき)

私は昨年2017年より、駐日事務所の法務部で勤務しています。UNHCRに入ってからはアフガニスタンやイランなどずっと海外で勤務しており、実は20数年ぶりの日本での生活になります。

福岡出身の私は、まだ子どもの頃にインドシナ難民が日本へ逃れてきており、ニュースで報道されているのを多く目にしました。長崎ではそうしたボートピープルを保護していたのですが、その中には子どもが多くいるわけです。自分と同じ年頃の子どもが、迫害を受けたり避難の途中で亡くなったりしている。自分はたまたま平和な日本に生まれただけで、両親もいて学校にも通うことができる。その現実に「かわいそう」とか「助けたい」というよりも、まず「理不尽だ」と思いました。また、私の祖父はミャンマーで戦死しています。これはどんな戦争でも言えることですが、犠牲になるのは、勝った側でも負けた側でも一般の市民です。戦争をするという決断に全く関係ない、何の罪もない人が犠牲になるという理不尽さへの疑問や怒りのようなものが、後にUNHCRに入ることになった原点のように思います。

イラン・トルバテジャム難民居住地の小学校にて
イラン・トルバテジャム難民居住地の小学校にて

前の赴任地のイランでは、約100万人のアフガン難民が暮らしています。アフガニスタン侵攻以来、長い人では40年もの避難です。そこで印象に残っているのは、アフガン難民の強い自立心です。ただ支援に頼るのでなく、自分たちに必要なことは自分たちで考える。障がい者のグループも活動的で、自分たちで障がい児の教育や職業訓練をする場所を作ったり、イラン政府と対等に話をするなど尊敬されていました。
特に覚えているのは、リーダー格の両足に障がいを持つ車椅子の男性です。彼は登山好きで、富士山より高い約5000メートルの山を両腕ではって登り、イラン政府から表彰されたのです。難民であるだけでなく、障がいを抱えながら挑戦する彼のスピリットは、まさにアフガン難民の自立心を象徴していると思います。

ボスニアのサラエボで働いていた時には、国際ギャング組織による人身売買の被害に遭い、逃れてきた難民の女性がいました。売春を強要され深く傷つき、麻薬依存にもなっていました。彼女は避難後もギャングから脅迫を受けて危険だったので、地元NGOのシェルターにかくまってもらっていました。その後彼女は第三国定住*できることになり、私が車で迎えに行って空港まで連れていき、無事に見送ることができたのです。こうして難民の新しい未来への出発に立ち会えると、「人の人生に関わっているんだ」と実感して喜びを感じます。

* 母国に戻ることも避難先の国に定住することもできない難民を、第三国が受け入れる制度

教室でアフガン難民の少年たちと
教室でアフガン難民の少年たちと。この校舎の建設に、日本からの寄付も役立てられた

今私は、日本で難民認定や保護を行う主体の日本政府や市民団体と一緒に、日本での難民の保護を公正かつ効率的に行うために活動しています。
母国での難民保護に関わることができるのは、ありがたく大きなチャンスだと思っています。UNHCR職員、また日本人として、政府や市民社会の方々、日本に暮らす難民の方々、そして支援者の皆様と一緒に、この国での難民保護のあり方に腰をすえて正面から向き合い、一緒に考えて行動していきたいと考えています。

プロフィール

UNHCR駐日事務所副代表(法務担当)。東京大学法学部卒、英国ランカスター大学平和学専攻修士課程(M.A.)修了。1997年からUNHCR職員としてフィールドを中心にアフガニスタン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、南スーダン、イランなどで勤務の後、2017年7月から現職。

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