From the Field ~難民支援の現場から~ With You No. 38より / UNHCRシリア・カミシリ事務所 准保護官 石原 朋子
公開日 : 2017-10-16
UNHCRシリア・カミシリ事務所
准保護官
石原 朋子(いしはら ともこ)

「少女とハゲワシ」という写真は、私の人生を変えた一枚の写真といっていいかもしれません。中学校の教科書に載っていたスーダンの飢きんの写真なのですが、やせ細った少女の背後のハゲワシがいまにも飛び掛かろうとしている。「こんな世界が本当にあるのか……」そう思いました。当時(90年代)は、緒方貞子さんが高等弁務官として活躍されている時期で、UNHCRのこと、人道支援、人権保護という仕事があることを知り、以来紛争の犠牲になった人々の近くに寄り添って支援をしたいと思い続けてきました。
それがより強くなったのは、2015年12月から、UNHCRの緊急対応チームとしてギリシャのレスボス島で、トルコから海を渡って押し寄せてくる難民の援助活動にあたった時のことです。
島に上陸した人の中には、 医療処置を必要とする人や保護者の同伴のない子どもなど、特定の保護ニーズのある人が少なくありませんでした。海岸では人々を登録所に安全に素早く誘導し、送り届けた先では、特定の保護を必要とする人々へのケアを中心に行いました。
一日に2000~3000人が島に上陸する中、とにかくがむしゃらに援助活動をしました。その原動力となったのは絶望の淵にいた人の表情が一瞬で笑顔に変わるいくつもの瞬間に立ち会えたことです。命を落としかねない危険な航海で船が難破してしまい、離れ離れになった家族を必死に探す人に対する支援の結果、行方不明だった肉親が見つかり家族が再会を果たした時のことは、今も忘れられません。
そのような海の旅を経てきた難民の多くは、体力的にも精神的にも極限まで追い詰められているのですが、彼らの人間としてのたくましさに触れる場面もありました。子どもを抱えて逃げている女性には「何が何でも安全なヨーロッパへ行く」という強い意思がありました。例えば、夫がヨーロッパの他の国で難民申請をしている場合、自力で移動を続けなくても家族は再会できるのですが、再会までに数か月かかることもあります。そう説明すると「支援は必要ない、自分で行く」と。一刻も早く家族で安心して暮らしたいと思っていたのでしょう。安全を一番に考えるのなら、その場に留まり家族再会のプロセスを踏むほうが正しいのかもしれないですが、本人が先に進むといえば止めることはできない。「これで正しいのだろうか」と、これまでの経験と知識を頼りに下す判断に悩むこともありました。
私が現場で心がけていることは、難民は「支援を受ける可哀想な人」という立場ではなく、自律した人であることを胸に刻み、実際に支援の意思決定に関わってもらい人生を切り開いていけるような支援の仕方です。そういうことを意識し、今後も援助活動に取り組みたいと思います。
次の赴任地はシリア北東部・カミシリです。
同区域にはラッカから逃げてきた国内避難民のキャンプと、イラクのモスルから来た人たちの難民キャンプがあり、そこで援助活動を行います。シリアの紛争開始から7年目の今も支援を必要とする人が多くいる地域です。今後も日本からシリアの状況に関心をお寄せいただき、温かいご支援をいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
プロフィール
UNHCR シリア・カミシリ事務所准保護官赤十字国際委員会本部、国連ボランティアを経て、2015 年に准地域保護官(JPO)としてUNHCR 西アフリカ地域事務所に赴任。チャド湖周辺のナイジェリア難民・国内避難民の保護支援の戦略立案・展開などに従事。2017年9月より現職。