ユスラ・マルディニUNHCR親善大使、世界経済フォーラムでのスピーチをご紹介します

公開日 : 2017-08-25

写真:水泳をするユスラ

世界から大きな注目を集めるシリア難民で世界的な水泳選手、ユスラ・マルディニUNHCR親善大使が初来日します。この機会にユスラ・マルディニさんが、スイス・ダボスで2017年1月に開催された世界経済フォーラムに招かれた際に行ったスピーチをご紹介します。世界中の経済界のトップが集うこの場で、ユスラさんは最年少参加者(参加当時:18歳)でしたが、ユスラさんのスピーチは多くの参加者の心を打ちました。ぜひ日本の皆様にもこの機会にユスラさんの声をお届けしたいと思います。


私の名前はユスラです。そう、私は命がけで泳ぎ、やがて五輪で泳いだ少女です。皆様私についてお聞きになったことがあるかもしれません。それは私のもう一つの名前、もう一つのアイデンティティに関係のあること。そう、私のもう一つの名前は「難民」です。すくなくとも私はそう人に呼ばれます。私を含む2100万人もの人が迫害、戦争、暴力のために移動を強いられています。

 

では私たち難民とは一体誰なのでしょう?かつて私は皆様と同じでした。家があり、所属する社会があり、そこに私の居場所がありました。皆様のように、私は自分らしい生活を毎日送っていて、自分の夢、情熱や抱えている問題で頭がいっぱいでした。そんなとき戦争が起こり、全てが変わりました。戦争が私に新しい名前、新しい役割、新しいアイデンティティをもたらしたのです。それが「難民」です。

戻る場所はない

突然の避難、全てを残して、生きるために命がけで逃げる。家を、親戚を、友達を残して一目散に走る。国境を越えたとき、私は初めて自分が家や財産以上のものを失ったことに気づきました。私は自分の国籍を、アイデンティティを、名前を失ったのです。そして私は「難民」になりました。

 

難民の中でこの逃避行のために準備していた人は誰一人いません。海で捧げた絶望的な祈り、延々と歩く遠すぎる道のり、有刺鉄線のところで受けた屈辱。しかしどれだけ困難であっても、私たちは戻る場所がないことを知っていました。私たちはすでにすべてを失い、安全な場所を、平和を求めて走り続けるほか、選択肢はありませんでした。

 

ある日突然、避難の旅は終わりました。私たちは安全な場所にたどりついたのです。テント、難民キャンプ、シェルター。そして避難生活の次のステージが始まりました。長い間待ち続ける日々です。それが私たちに大きな打撃を与えたと思います。無くしたもののことを想って泣く以外、することがなかったのです。そのとき私たちは難民になる、ということがどういうことかようやく理解できました。

このようにして私たちは新しい生活を送ることになりました。誰もその生活がいつまで続くかわかりませんでした。難民が送る避難生活は平均20年と言われています。その間どこにも居場所はなく、ふるさとに戻れるようこの狂気が終わってくれることをただ待ち続けるのです。生涯の半分を、知らない土地で異邦人として暮らすのです。

 

私たちの生活は闘いの連続です。教育のため、働くため、新しい言語を学ぶため、そしてその土地になじむために努力し続けます。高すぎる壁に突き当たること、可能性が低いことはしょっちゅうです。しかし私たちはわかっています。私たちの人生に起こった奇妙で予期せぬ転機に対して最大の努力を払わなくてはいけないことを。難民である中で最善を尽くさなければならないことを。

それこそ私たち難民が直面している闘いです。しかしそれは難民だけの闘いではなく、皆様の闘いでもあるのです。多くの皆様が、現在、前よりずっと多くの人々が危険にさらされていることをすでにご存じでしょう。これから数か月の間に私は新しい任務を負うことになります。私には伝えるべき大切なメッセージがあります。難民問題はなくなりません。むしろ難民の数は増えています。これが人類が達成すべきひとつの課題だとするなら、皆様は難民の本当の姿を知らなければなりません。

難民が海で命を失うことが当たり前で、国境における悲惨な状態がありふれたことになったとするならば、いつのまにか、難民の本当の姿が見えなくなってしまったのではないでしょうか。閉じられた扉によってどこかに追いやられ、難民の姿は徐々に見えなくなったのです。時々、本当に恐ろしい画像や映像によって皆様は難民の苦しみと直面します。浜辺に横たわる幼い子どもの遺体、救急車で運ばれるショックで放心状態の血まみれの子どもの顔。しかしその後も皆様の生活は続きます。そして多くの人々が難民のことを忘れてしまうのです。

疑念、国境、そして障壁

沈黙はある主張が声高になる余地を与えてしまいました。外見や言語、信仰が違うため、難民を恐れ、憎悪を向けていた人々からの声です。難民をもっとも恐れていた人がもっとも大きな声で叫びました。彼らは難民についての昔ながらのウソを広めました。彼らは難民がその場所を選んでやってきたのだと言いました。難民が欲深く、危険な存在で、犯罪者であり、あなたの生活を脅かすために来たと。

 

恐怖は心に忍び寄り、難民に対して疑いの目を向ける人が現れるようになりました。まもなく物理的、あるいは心理的な国境や障壁があちこちで作られたのです。難民という言葉は単にばかにする言葉ではなく、人を傷つけ、侮辱する呼び名になりました。

 

しかし、難民である私たちが、本来の自分自身を思い出せば、難民という状態に置かれていることを恥じることはありません。難民になったのはやむを得なかったのです。私たちにあった選択肢はたった二つ。ここで死ぬか。命を落とす危険を承知で逃げるか。あるいは爆弾か海での溺死か。

 

では私たち難民とはいったい誰なのでしょう?難民の状態におかれていても、私たちは祖国にいたときと同じく医者であり、エンジニアであり、法律家であり、教師であり、学生です。母であり、父であり、兄弟であり、姉妹です。難民をみなし児にしたのは暴力です。難民を、自分の子どもを虐殺から守るためにすべてを犠牲にする怯え切った親にしたのは戦争です。難民を平和を求めてふるさとから追いやったのは迫害です。

これが難民です。これが私の姿です。そしてこれが数が増えている国を持たない人たちすべての姿です。難民の皆様、今こそ、難民である私たちの立場を明確に伝えましょう。私はユスラです。私は難民です。私は誇りをもって、暴力から逃れているすべての人たちに平和を、敬意を、尊厳を表したいと思います。皆様どうぞご一緒に。どうぞ難民を支持してください。

 

●ユスラさんのスピーチ:オリジナル英文はこちら:
http://www.unhcr.org/news/latest/2017/1/58760b294/yusra-refugee-im-proud-for-peace.html

●ユスラさんに関するページはこちら:

難民選手団のユスラ・マルディニがUNHCRの親善大使に就任しました(2017年4月)
http://www.japanforunhcr.org/archives/yusramardini

ユスラのストーリー リオ五輪を見つめるシリア難民 (2016年3月)
http://www.japanforunhcr.org/archives/7522

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