フランスのとある村が、城を難民のための家として開放

フランス中部にある静かな地方の村は、たくさんの難民を歓迎しています

公開日 : 2017-05-22

2015年、フランスが難民受入センターとしたプサ・ヴィルヌーヴの城

プサ=ヴィルヌーヴは、フランス中部のピュイ=ドゥ=ドーム県にある典型的な村です。庭付きの家々、エレガントなロマネスク調の教会、子どもたちが遊ぶ校庭、フランス国旗がはためく役場、かつてはサマーキャンプ地であり、今は村議会が所有する城のある公園 - こんな風景が並ぶ場所です。

プサ=ヴィルヌーヴ(フランス)2017年4月20日 ― 2015年11月、人口550人のプサ・ヴィルヌーヴは、パリやカレー*から来た難民のための受付案内センターとして、村にある城を開放しました。それ以来、136人の難民を迎えています。
*「ジャングル」と呼ばれたヨーロッパ最大級の難民キャンプがあった場所で、2016年に撤去された
これは、難民を受け入れた村の1年、そして住人たちが体験したストーリーです。

 

村長

「嫌悪とは、騒々しいものです。連帯感とは静かなものですが、効果的であり、人々を元気にしてくれます」と語るジェラルド・デュボワ村長

私たちが訪れると、役所のバルコニーで村長が待っていました。今日は、村長がフランス郵便局の仕事を休んで、この村のために身を捧げる日です。

ジェラルド・デュボワは、連帯を、そして相互支援を強く信じています。彼にとって、プサ・ヴィルヌーヴで難民のための受付センター開設を決断するのは容易でしたが、こうすることが正しいことだと住民を説得しなければなりませんでした。それは簡単なことではありませんでした。2015年11月、受付センターがオープンした際に催された住民との意見交換会で、村長は「闘牛場の牛の気分だった」と言います。その後の数週間、彼は殺人の脅しも受けましたが、連帯感はより強いものでした。

「嫌悪とは、騒々しいものです」と彼は言います。「連帯感とは静かなものですが、効果的であり、人々に元気をくれます。」

「同じ価値観を持っていないと分かっている人々を受け入れるのは難しいことです。しかし、私はそこに大きな連帯感も見出しました。もし、受付センター開設が“ダメだ(NO)”と断られたら、私は辞職していたでしょう。」

最初の恐怖心は地元の人々が新たに到着する人々を知らないことから来ていた、とデュボワ信じています。しかし、一度住民が難民たちに会うと、その懸念は消えていった、と彼は語ります。「彼らと出会い、そしてお互いを知っていくことで、すべてが変わります。シンプルなことです。私は彼らを難民とは呼ばず、ゲストと呼んでいます。

 

ソーシャルワーカー

「受付センターが、休息の機会を与え、正しい情報へアクセスする機会を与えてくれます。」と語るアンジェリーク・リベイユ

アンジェリーク・リベイユは、プサ・ヴィルヌーヴの受付センターを管理・運営するNGO難民フォーラムで働くソーシャルワーカーです。彼女は、庇護希望者に彼らの権利やフランスでの難民申請の方法について情報を提供しています。

「受付センターでもてなす人々のための時間は、重要です」と彼女は言います。「この時間が、休息の機会を与え、正しい情報へのアクセスとともに、彼らに移住ルートを考える機会を与えています。」プサ・ヴィルヌーヴの受付センターにある彼女のオフィスは、決して無人になることはありません。

ちょうど彼女は、20人が難民認定されたというニュースを知りました。「さて、彼らが受付オリエンテーション・センターを離れた後の次のステップについて、考えなければなりません。」

アンジェリークは自分の仕事が好きですが、需要を満たす手段がないため困難でもあります。「例えば、難民たちが医者にかかる時、常に通訳が付き添えるわけではありません」と彼女は語ります。

 

年金受給者

「彼らの学ぶモチベーションと希望を見れば、やる気が出ます」と語るブリジット・ダボスクラード

ブリジット・ダボスクラードは、プサ・ヴィルヌーヴ受付センターのボランティアです。退職した教師である彼女は、洋品店を経営する傍ら、難民たちにフランス語のレッスンをしています。彼女は、センターが開設された時に村長が開いた意見交換会で、難民を助けるボランティアに名乗り出た最初の1人です。

「皆に恐怖心があるとわかった時、私はすぐに、私たちは彼らを手助けするためにここにいて、フランスは何年間も難民を歓迎している国なのです、と言いました」と彼女は語ります。「私が訊ねた質問はたった1つ。彼らは何を必要としているのでしょうか?」

ブリジットは、NPOであるフランス民間支援団やカトリック支援団からの援助や、地元の人々や店舗からの寄付により、洋品店をオープンしました。

彼女にとって、ボランティアをすることは自然なことでした。「教師だったので、私はフランス語のクラスを受け持つことに決めました。彼らの学ぶモチベーションと希望を見れば、やる気が出ます。授業の間に子どもたちは時々あくびをしていたものですが、難民たちは大変な敬意を持って溶け込もうとしています。」彼女は、援助を続け、議論を進めていくことが重要だと信じています。

彼女は言います。「話し合いと説明をさらに進めていけば、それだけ多くの人々にわかってもらうことができます。」

 

教師

「国によっては、子どもたちが頭上から爆弾が落ちてくるのを恐れていることを知りました」と語るサンドリーヌ・ミヌージュ

サンドリーヌ・ミヌージュはプサ・ヴィルヌーヴ小学校の校長を2000年以来務めており、難民の到着はクラスの子どもたちが多様性を話し合ってもらう機会になる、と考えました。

彼女は子どもたちに、100日間で世界中の100人の子どもたちの顔を見つける任務を課しました。

「私たちは、彼らがどこから来たのか、どのように見えるのか、そしてどうやって暮らしているのかが分かる写真を探しました」とサンドリーヌは語ります。「子どもたちは、テレビも車もない子どもがいることを信じられませんでした。」

ある午後、彼女は2人の難民を学校に招待しました。エリトリアから来たマリーと、スーダンから来たアリです。地元の子どもたちは、彼らの旅について質問しました。「私たちは、彼らが渡ってきたあらゆる国々を地図で見ました。子どもたちは、この2人の難民がとても勇敢だと分かったのです。」

また、子どもたちは、なぜ難民が故郷を去らなければならなかったのかを理解しました。「国によっては、子どもたちが頭上から爆弾が落ちてくるのを恐れていることを知りました。この時間を共有できたのは素晴らしかったです。」そして、子どもたちと話すことで、サンドリーヌは彼らの親たちにも手を差し伸べたのです。

「心配した親たちもいました。しかし、子どもたちが新しいことを発見し、理解したことを喜ばしく思ってくれた親たちから、応援のメッセージも受けました。この出来事によって、彼らが多様性や寛大さを学んでくれることを望みます。小さな種を撒くことは良いことです。あの世代の感情は重要なのですから。」

 

スポーツ選手

「カレーでは、毎日争いが起こっていました。ここでは、私たちはテントではなく家にいます」と語るナシール

ナシール(25歳)は、何か国もの陸路や海を旅して、アフガニスタンからヨーロッパに避難してきました。彼は自分の話をすることをためらいますが、プサ・ヴィルヌーヴでの生活や将来の夢を話すことは好きです。それは一言で表現できます ― クリケット*です。
*バットとボールを用いるフィールド・スポーツ

この村に引っ越せたことは幸せだ、と彼は言いました。「プサは良い所です。カレーでは、毎日争いが起こっていました。ここでは、私たちはテントではなく家にいます。」

ナシールは、可能な限り、毎朝15キロメートルのランニングをし、試合に参加します。3月初旬、彼は火山の中央山塊を走るヴォルヴィックの13キロメートル・トレイルラン(山野を走る陸上競技の中長距離走の一種)に参加し、500人中115位を記録しました。

しかし、クリケットは彼の初恋のようなものです。「ここの人々は、クリケットを知りません。彼らはサッカーを好むのです。フランスでは、クリケットはやりません。」

彼はクレルモン=フェランにクリケット・クラブがある事を聞き、訪れることを計画しています。彼の目標は、クリケットのフランス・ナショナルチームを作る事です。「クリケットはとても良いスポーツです。サッカーはとても危険で、たくさん走らなければなりません。」

ナシールは、いつかもう一度平和が戻ってきたら、アフガニスタンへ帰ることを望んでいます。「アフガニスタンでは、毎日爆撃があります。アフガニスタンを思うとつらくなります。」

 

学生

「私は自分の力で、自分の生活を始めたいのです」と語るアミール

アミール(27歳)は、アフガニスタンから逃れ、カレーにたどり着きました。彼は、アフガン・コミュニティーがあるイギリスへ行くことを望んでいましたが、結局、フランスに留まることに決めました。

アフガニスタンでは、アミールは看護師になるための勉強をしていましたが、戦争が彼の生活を壊してしまいました。「なぜ、女性も子どもも、何か月も歩いてヨーロッパに来るのでしょうか?戦争から逃れるためです」彼は言います。

彼は徒歩で、トラックやボートに乗って、そしてあらゆる可能な手段を利用して、安全を求めて旅をしました。

「今は気分がいいです」と、プサ・ヴィルヌーヴの受付センターから彼は語ります。「宿泊施設もあり、友達もいます。ここには、良い人々がいます。なぜ私たちがここにいるのか、人々が理解してくれることは重要です。私たちは難民です。政府からの恩恵を享受したくはないです。私は自分の力で、自分の生活を始めたいのです。」

彼は勉強を再開し、フランスで自分の生活を築いていくことを望んでいます。「私は、毎日を生きたいのです。」

Céline Schmitt

 
原文はこちら(英文)
French village opens its chateau as home from home for refugees

 

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