過疎化するドイツの村に新たな命をふきこむシリア難民

児童数が減り始めた小さなゴルツォウの村の衰退を、シリア難民が救いました

公開日 : 2017-02-22

ゴルツォウ(ドイツ)2017年2月9日 ― 2015年、ひと組のシリア難民の子どもたちが、ドイツの有名な学校を危機から救い、過疎化する村に新たな命を吹き込みました。およそ2年後、彼らはコミュニティの生活に欠かせない存在となったのです。

「シリアには生活というものはなく、私たちは常に恐怖を感じていました。私はただ平和がほしかった、それだけです」と、夫と3人の子どもたちと共に、4年前に故郷シリアの紛争から逃れてきた30歳のハリマ・タハは話します。ドイツに着くと、彼らは自ら、ドイツとポーランドの国境のゴルツォウに移りました。

当時、ハリマは、自分たち家族の到着が村人たちにどういう意味をもつのか、見当もつきませんでした。その頃、村の人口減少は、ゴルツォウの小学校にとっては悪いニュースでした。この小学校は、世界中の映画ファンに知られる、撮影が50年にも及んだ42時間のドキュメンタリー“ゴルツォウの子どもたち”で有名です。

しかし、この学校の名声は、徐々に進行する人口減少を止められるほどではありませんでした。8年間でゴルツォウの人口は12%減少し、たった835人になってしまいました。すると、2015年、考えられないことが起こったのです。1961年に開校してから初めて、就業前学級の人数に必要な生徒の数を集めることができませんでした。
「シリアに生活というものはなく、私たちは常に恐怖を感じていました。」
8年間でゴルツォウの人口は12%減少し、たった835人になってしまいました。カラマのようなシリア難民が、村を人口減少から救ったのです

「近年多くの人々が村を出て行ってしまいました」と、女性の校長であるガビ・トーマスは説明します。「ただ、学校に通うような子どもを持つ若い両親がいなかったのです。活き活きとした日々は、田舎の地域にとってとても重要です。そして、それは子どもたちによってもたらされます。」

コミュニティは、彼らの愛する学校が廃校に向かい始めていることを恐れ、取り乱しました。しかしそれは、ゴルツォウの市長フランク・シュルツが素晴らしい解決策を見つけるまでのことでした。彼は地元当局に、小学校くらいの子どもがいて、ゴルツォウにあるたくさんの空きアパートの一つに移り住みたい難民の家族がいるかどうか聞きました。「これは、助けを求めている人々が、実は私たちを助けてくれるという付加価値のあることです」とシュルツ市長は言います。

60キロ離れたところで、ハリマと彼女の若い家族は3年半かけてシリアからドイツへ移動し、アイゼンヒュッテンシュタットにあるブランデンブルクのメインのレセプションセンターにすっかり疲れた様子で到着しました。近くの村にある寄付されたアパートに住むかと聞かれると、彼らは、このチャンスを逃しませんでした。

「良い人々がいて、清潔であれば、どのような場所でも私たちは気にしませんでした」とハリマは言います。「もちろん、と思いました。」数か月後、ハリマと家族、そしてシリア難民のもうひと家族が、学齢児童6人を連れて、新学期に間に合って、ゴルツォウに到着しました。

彼らはクラスメイトより少し年上でしたが、3人の転入生が就学前学級に参加し、最低限必要な人数である15人の基準を上回りました。それはウィンウィンの関係でした。この学年の子たちは救われましたし、シリア人たちは新しい家を得ることができました。

2年近くが経ち、学校の救世主の一人であるハリマの10歳の娘カラマは、新しい生活にすぐに慣れました。「ここはいろいろ違うの、もちろんだけど」と、休み時間に、ドイツ人の友達に囲まれながら彼女は話します。

カラマと家族はイスラム教徒ですが、彼女はドイツの慣習について学ぶことを楽しんでいると言いました。「シリアでは、クリスマスやイースター、ハロウィンをお祝いすることはありませんでした」と、彼女は流暢なドイツ語で付け加えました。「私はイースターが大好きよ。チョコレートの卵を探すの。」

カラマはとても出来の良い生徒で、就業前学級から3年生まで上がりました。そこでの、彼女の好きな教科は数学と音楽と、体育です。学校の外でも、彼女は、村の放課後のクラブで友達とバドミントンをしたり、隣家のポニーの乗り方を習ったりと、様々なことを見つけて常に忙しくしています。
「私はイースターが大好きよ。チョコレートの卵を探すの」
娘のカラマと歩いて家に向かうファディとハリマ

「彼らは私たちのことが知りたいし、私たちは彼らのことが知りたいの」と、カラマはクラスメイトについて話します。「話したいことや説明したいことがたくさんあるの。他の人のためにアラビア語やドイツ語に通訳することもあるのよ。」

「新しく来た人たちが、物のありかやどのようにことが進んでいくかわからなかったとき、私たちは彼らをたくさん助けてあげました」と、ハリマは言います。彼女は、村人たちからの歓迎を受けた身として、それが自分たちにできる最低限のことだと考えているのです。

「みんながここに来て、花束とともに歓迎してくれたのです」とハリマは思い出を語ります。「とても驚きました。泣かずにはいられませんでした。もしもっとほかの家族が来るならば、彼らも歓迎されるでしょう。ゴルツォウはとてもオープンなのです。とても小さな村で、人々は美しい心を持っています。」

今ではハリマとその家族は難民認定とビザを取得し、むこう3年はドイツで暮らし働くことができます。ハリマは、庇護申請者を助けるドイツの慈善団体で、アラビア語の通訳としてパートタイムで働いています。その一方で、ファディは仕事を探しながら、ドイツの運転免許試験のための練習をしています。彼は釣りを楽しんだり、近所の人たちと市民農園の世話をしたりしています。

しかし、たとえ村の暮らしに慣れようとしていても、ファディとハリマは昔の暮らしを恋しく思っています。「難しいこともあります」と、ラタキアで不動産業を営んでいた40歳のファディは言います。「シリアでは良い暮らしをしていました。しかし、戦争が始まり私たちは逃げなければなりませんでした。ここでは私たちは助け合って暮らしています。ゴルツォウは私たちの第2の家族です。しかしもちろん、私たちが望んでいるのは、シリアでの流血が終わり、故郷に帰ることだけです。」

「私は、子どもたちといつかシリアに帰りたいと思っています」とハリマも同意しています。「やはり、故郷は故郷です。待っている間も、子どもたちは勉強し、良い仕事に就かなければなりません。少なくとも、ここにいれば私たちは安全なのです。」

Josie Le Blond and Gordon Welters

原文はこちら(英文)

Syrian refugees breathe new life into shrinking German village

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