LGBTIとして生きるということ、そして難民になるということ

公開日 : 2016-08-31

※性的マイノリティの総称。否定的ニュアンスや蔑視の意味合いが含まれない呼称表現であるため、当事者にも公的機関などにも用いられている

LGBTIの社会運動を象徴するレインボーフラッグには多様性の許容への思いが込められている

難民となった人たちの中には、LGBTIであることを理由に自国で迫害を受け、国外への避難を余儀なくされた人たちがいます。このようなLGBTI難民をサポートするNGO・MOSAICの代表Maydaa氏は言います。「難民であることに加え、LGBTIであるということには二重の苦しみがつきまといます」。母国で逮捕や誘拐、暴力、レイプ、そして殺害されるリスクにさらされ、さらに家族という一番近くで自分を見守ってくれているはずの人たちからも疎まれた過去を持っている彼、そして彼女らは、難民となって国を逃れても、迫害される危機に直面しているのです。だからこそ、UNHCRはLGBTI難民の権利を守るために、世界で援助活動を行っています。

男性として生まれ、女性として生きるナディアの場合

現在LGBTI難民としてレバノンで避難生活を送るイラク人のナディア(仮名)は、母国を離れるまでの壮絶な経験と、UNHCRの保護下にある現在の暮らしについて語りました。

首都バクダッドで暮らしていたナディアは、LGBTIであるということを理由に2012年、過激派により誘拐されました。「犯人は私たちを拷問にかけ、ひどく殴りました」。また、そこで彼女が目にした光景は、目を覆いたくなるようなものでした。ある人は接着剤で目や耳をふさがれ、またある人は殺害されていました。バクダッドでは、このようなLGBTIを標的にした迫害が、日常的に行われていたのです。

社会、そして、家族からの迫害

彼女を待っていたのは社会からの迫害だけではありませんでした。女性として生きる彼女を受け入れることができない父親は、ナディアに無理やり男性ホルモンを注射するなど、耐えがたい苦痛を与え続けました。ナディアは言います。「イラクにいるゲイやトランスジェンダーの人たちの多くは、自ら命を絶ちます。なぜなら、自分らしくいることが許されないからです」。最終的に医師と叔母の助けを得て、彼女はレバノンに渡り難民となりました。「『絶対に戻ってきてはいけない。もしみつかったら、殺されてしまう…』と、叔母は言いました。彼女の後押しがあって、私は新しい人生を手に入れたのです」。

国を逃れても続く、差別や暴力

同性愛者に対する偏見の根絶を訴える、国際反ホモフォビアの日(5月17日)にはUNHCRの本部にもレインボーフラッグが掲げられる

ナディアが現在難民として身を寄せるレバノンは、中東各国の中では性の多様性に比較的寛容であり、多くのLGBTI難民を受け入れてきました。しかし、それが法的に受容されているわけではなく、差別がないわけではありません。UNHCRは、MOSAICをはじめとするさまざまなパートナー団体と協働し、同地でLGBTI難民へのサポートにあたっています。LGBTIが必要とする支援を理解するトレーニングを警察に行ったほか、レインボーバッジを身に着けることを促し、必要な時にLGTBIの人たちが助けを求められるよう体制を整えています。そのほかトラウマケアのための医療補助や医療機関の紹介、心理カウンセリングなども行っています。またLGBTI難民は、迫害により住居や仕事探しにも難しさが伴うためそのサポートなども行うなど、支援は多岐にわたります。

レバノンに渡ったナディアの夢

ナディアはいま、UNHCRの保護下で暮らしています。同居人からの嫌がらせやパートナーの家族からの脅しなど、いまだに多くの難しさを抱えていますが、前よりも自分らしく暮らせる日々と、将来の夢に胸を膨らませています。ナディアは夢について語ります。「家族を持ち、パートナーと子どもを育て、性同一性障害の人たちに関心を寄せてもらうための活動をしていきたい」。

LGBTI難民が、自分が自分らしくあるという当たり前の日々を送ることができるように、そして、ナディアのように、壮絶な日々の後に、もう一度人生に希望を見つけることができるよう、UNHCRは今後もLGBTI難民の支援を続けていきます。皆様の温かいご支援を引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
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