ヨルダンの都市難民を訪ねて
公開日 : 2016-05-20
頼れる夫・父を亡くして都市で生きる難民の家族
「良いご縁に恵まれますように。いつかあなたが結婚をして、旦那さんとメッカに行く時、私たちも一緒に連れて行って」。お母さんはそう言い、私たちに同行した妙齢のヨルダン人女性スタッフのために何度も祈っていました。イスラム教徒の聖地、メッカの巡礼。いつか訪れるかもしれないその晴れの日の話に、娘4人は少し顔をほころばせていました。でも、その話にお母さんの旦那さんは登場しません。彼女たちにはもう、頼れる夫、そして父親はいないのです。
「いつか休暇をとって家族でヨルダンを訪れよう」。仕事でヨルダンを訪れたことがあったお父さんは、そうよく口にしていたといいます。夫婦と4人の娘からなる一家は爆撃で家を失い、シリアのアレッポからヨルダンに逃れました。皮肉にもこの時にはじめて、お母さんと娘さんはヨルダンに来ることになったのです。そして、1年前には同国でお父さんを病気で失いました。
床に座って輪になって話しているときに、「父を失うということが、これほど厳しいこととは思いませんでした…」と、娘さんの1人がポツリ。ヨルダンでは難民の就労が厳しく制限されていたため(現在就労の基準は緩和の傾向にあります)、お父さんが生きていても暮らし向きは厳しかったかもしれません。それでも、ことあるごとに「生きていてくれたら」という思いが脳裏をよぎったことでしょう。女性だけの難民の家庭は、犯罪をはじめさまざまなトラブルに巻き込まれやすく、また経済的に厳しい生活を送っている場合、そのリスクはさらに高くなるといいます。異国の都市で、女性5人で、これまでどれだけ心細い思いをしながら暮らしてきたかは想像に難くありません。
このような社会的に弱い立場に置かれている家庭3万世帯を対象にUNHCRは現金の給付支援をヨルダンで行っています。この日訪れた家庭のような家族構成も、優先的に「現金の給付支援」の対象になる可能性があります。ところが資金不足から、この家庭をはじめ1万2,000世帯がウェイティングリストに登録されたまま、給付を待っている状態なのです。
彼女たちが都市に住む理由

娘さんたちの年齢は、上から34歳、28歳、19歳、18歳。一番末の娘さんは、シリアから逃げてきたのを機に学校に行けなくなりました。日々の暮らしにも困っている一家に、彼女の学費を捻出することはできません。「もしも学校に戻れたら、将来は弁護士になって、社会的に弱い立場に置かれている人や、不平等な思いをしている人を助けたいの」と末の娘さん。彼女のまっすぐな目を見つめながら、私たちも家族も彼女の言葉に静かに耳を傾けていました。ある日突然紛争に巻き込まれ、多くのものを失ってしまったにも関わらず、彼女は不当な現実を恨むよりも、未来を見ようとしていました。
この日私は、どこかで悲しい話だけを聞く準備をしていたように思います。でも、この一家に会って言葉を交わして見えてきたのは、この地で暮らすシリアの人々の追い込まれた生活だけではなく、途方に暮れながらもなんとか前を向こうとする強さや、家族や同じシリア人同士で肩を寄せ合って助け合いながら生きている姿でした。
― 2016年5月20日