From the Field ~難民支援の現場から~No. 34 / UNHCR本部(スイス・ジュネーブ)人事部 織田 靖子

公開日 : 2015-10-26

UNHCR本部
人事部
織田 靖子(おだ やすこ)

織田職員
©UNHCR/J.Osmani

大学卒業後、大阪の民間企業で働いていましたが、通勤電車の中吊り広告で青年海外協力隊の案内を見て国際協力の世界に足を踏み入れました。協力隊として赴任したのはマラウイというアフリカ南部の小国で、当時隣国モザンビークからの難民が多く流入していました。大統領府の食糧援助調整室に配属され、難民数をとりまとめたりしていました。マラウイ人の同僚たちが、モザンビーク難民のことを「ブラザー」や「シスター」と呼び、助けるのは「当たり前」と話していたことが印象に残っています。活動をしているうちにUNHCRや赤十字、NGOなどの人たちと知り合いになり、将来は多国籍チームで動くUNHCRで働きたいと思うようになりました。

その後、大学院を経てJPO(注1)としてザンビア ルサカ事務所に勤務しました。それからモザンビーク、エチオピア、旧ユーゴスラビア、ジュネーブ本部、パキスタンなどでの勤務を経験し、本部の研修センターでは代表や所長などへのマネージメント向けの研修プログラムの作成に関わりました。現在は人事部で採用及び職員配置を担当しています。現在UNHCRの総職員数は色々な雇用形態を含めて9000人を超えます。わたし達職員は皆(現地採用をのぞく)、任期が終わる頃に次のポストに希望を出し、世界各地の現場や本部等でキャリアを積んで来たわけですが、実際に自分が職員を配属する側に立ち、「適材適所」とはまさに“言うは易く行うは難し”であるかを実感しています。

UNHCRに勤めて20年以上になりますが、今でも印象に残っているのは、モザンビークの小さな農村で出会った家族が、15年前にUNHCRが配布した鍋を家宝のごとく長年大切に使っていてくれたと知ったときのことです。当時の援助は役にたったのかという質問に対して、「この鍋のおかげで自分たちは今まで何とかやってきた」と言葉を詰まらせて返答しました。苦労してモザンビークに戻ってきた元難民が、配給品の鍋でこれまで毎日料理をしてきたのです。店やレストランなどない田舎ですから、鍋で煮炊きができないと本当に食べるものに困ります。貧しい村ですから、その後もずっと同じ鍋を使うのでしょう。援助の力は計り知れないと思いました。

国連機関はそれぞれの専門分野(保健、通信等)があり、UNHCRは難民問題を専門としています。援助の現場で働くことは大変ですが、教育から法的な援助、住居から就職先など、人間・難民が生きていくことに関する様々な問題に具体的に取り組むことができる点にやりがいを感じています。

織田 靖子(おだ・やすこ)プロフィール

UNHCR本部(スイス・ジュネーブ)人事部所属。大学卒業後、民間企業勤務、青年海外協力隊、国連ボランティアを経て1992年にJPOとしてUNHCRに入る。以来ザンビア、モザンビーク、エチオピア、旧ユーゴスラビア(モンテネグロ)、パキスタン、UNHCR本部、東京、ブラジルに勤務。主に援助プログラムのマネージメントに従事してきた。東京、ブラジルではJICA(国際協力機構)に出向。2014年より現職。

注1:外務省が実施する派遣制度で、各国際機関で原則2年間、職員として働くことができる。

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