無国籍:国籍の取得と定着への願い

公開日 : 2014-10-10

無国籍ということ

ライリャ・アブルクハノヴァはカザフスタン出身のタタール人です。フランス在住で、近いうちに市民権を得ることを願っています。オランダで開かれる無国籍に関する世界フォーラムで講演の予定です。
ライリャ・アブルクハノヴァはカザフスタン出身のタタール人です。フランス在住で、近いうちに市民権を得ることを願っています。オランダで開かれる無国籍に関する世界フォーラムで講演の予定です。

ライリャ・アブルクハノヴァは3年前、UNHCRの撮影隊に、自分を根なし草のように感じると話しました。「かすかな風に吹かれ……転がって行ってしまいます。まさにそういうことです。それが無国籍です」と、彼女は自身の物語を伝えるシリーズのインタビューで語り、「それこそが私です。私は根を下ろして暮らしたいのです」と付け加えました。

何千人もの旧ソ連諸国出身者を含む、世界中の他の多くの無国籍者と同じように、彼女は今も待ち続けています。国籍がないため、無国籍者は、市民が享受するサービスや権利にアクセスするのが難しいのです。でも、この何年間かで初めて、幾度もの失敗を経て、ライリャは、国籍の取得まであと一歩のところまで来ていると期待を寄せています。

ソ連邦の崩壊
2011年のインタビュー当時、タタール人のライリャは、無国籍者として登録されて、フランスに住んでいました。ライリャは旧ソ連邦カザフスタンの出身で、1990年、17歳のときにロシアの都市ウファの大学に行きました。彼女はパスポートを持つソ連国民でしたが、住民登録証(propiska)という一時的な居住許可証に基づいてロシアで暮らしていました。

生活は順調のように思われましたが、1991年にソビエト連邦が崩壊し、カザフスタンのような新興独立国が自国の国籍法を制定すると、ライリャをはじめ、ほかにも何万という人々が置き去りにされました。「私たちの頭は、ソビエト連邦が崩壊したという情報をまったく処理できませんでした。そんなことが起こるはずないとだれもが信じていたのです」とライリャは先日、フランスからUNHCRにかけてきた電話で語りました。

国籍取得への模索と無国籍者としての地位
1995年、彼女は勉強するために、別の旧ソ連国であるウズベキスタンの首都タシケントに移住し、そこで教師として働きながら言語学博士号を取得しました。2005年には、自らの名前でいくつかの出版物を刊行した大学教授という地位がそのプロセスを簡単にするだろうと期待し、帰化申請を行いましたが、それは間違いでした。

一方で、ライリャはフランス政府には感謝しています。彼女はフランス人と結婚して、2009年にフランスに引っ越しました。彼女は、支援をある程度受けられる無国籍者としての正式な地位を与えられたのです。無国籍者という地位を得ることで「働いたり、勉強したり、医療の助けを受けたりする形式上の権利だけでなく、自分の置かれている状況へのある程度の自信というか……確信みたいなものを手にしていました」とライリャはUNHCRに語りました。

続く苦難
無国籍であることをフランス政府が認めたからといって、彼女の抱える問題が解決したわけではありません。仕事をする権利は与えられても、単発的に通訳の仕事をしながら正規の仕事を見つけるのは至難の業です。雇う側は無国籍という概念になじみがなかったため、最初は彼女に警戒心を抱きました。でも今は、彼らはUNHCRが制作したライリャの物語を伝えるビデオをユーチューブで見たので、「私の奇妙な立場について以前ほど質問してきません」と彼女は言いました。

フランス政府がライリャを無国籍として登録した際、彼女には渡航文書を所持する権利も与えられました。にもかかわらず、両親に会うためにカザフスタンに帰国する場合も含め、海外に行くと、相変わらず問題に直面しています。

彼女はフランス政府発行の通行証について「古くさい文書です」と言い、「この渡航文書のせいで、入国管理局に2~3時間足止めされます」と付け加えました。彼女の夫のほうが、彼女よりも簡単にカザフスタンへのビザを取得したと話し、「私はカザフ人で、彼はカザフ人ではないのに」と皮肉を込めて言い添えました。

ふるさとへの思いと国籍取得への期待
2011年、業を煮やしたライリャはまず、フランスの市民権取得の申請も行いましたが、当時は無職だったため、認められませんでした。こうしたつまずきにもかかわらず、ライリャは2014年初め、婚姻に基づいて改めて申請書を提出しました。

フランス移民局の職員たちが夫の出生証明書に間違いを見つけたため、彼女は二度、申請書を提出しなければなりませんでした。それでもライリャは、もろもろの困難にもかかわらず、記録をくまなく調べた末、前向きな返答を期待しています。

また、彼女は定職を見つける自信も深めつつあります。2年前には秘書課程を修了し、これが、米国の農業企業との4か月にわたるプロジェクトでの仕事を見つける一助となりました。「ふるさとへの意識……私にとってそれは長い間忘れていた感情で、思い出すのは、子どもの頃の、小学校時代の初恋の記憶です……でも、仕事をしていたとき、この感情に似た何かが芽生え始めました」と彼女は話しました。

フランス(1200人以上)や欧州(推定60万人)の無国籍者の数を減らし、ライリャのような人々が基本的な権利を享受し、いつか国籍を取得する機会を得られるようにするには、やるべきことがまだたくさんあります。

「いつかきっと、私は自分の国を持つでしょう。『ふるさとに帰ります』と言える日が来ます。そして、自分の未来を築くチャンスを手にするでしょう」とライリャは話しました。彼女は9月下旬にオランダで自身の物語を話す機会を持ちます。UNHCRとティルブルフ大学が、オランダのハーグで3日間にわたって共同で開催する無国籍に関する世界フォーラムで講演することになっているのです。

 

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