From the Field ~難民支援の現場から With You No. 32 ~ / UNHCRレバノン事務所 アソシエート保護官 副島知哉 

公開日 : 2014-11-01

UNHCRレバノン事務所
アソシエート保護官
副島知哉 (そえじま ともや)

UNHCRで働こうと思ったきっかけは何ですか。もともと難民問題に興味があったのでしょうか。

副島職員

私が中学生の時に、外国にルーツをもつ友人とけんかをしたことで移民問題に興味を持ちました。最初は移民・難民の問題に対する学術的な視点に関心があり、大学では国際政治などを勉強しました。しかし、UNHCR駐日事務所にインターンとして勤務したことがきっかけで、難民にならざるをえなかった人たちとの交流が次第に増え、実務にたずさわる人の仕事ぶり大きく刺激されました。それから、よりリアルな現場での仕事に興味が移りました。

UNHCRでこれまでどのような業務を行ってきたのでしょうか。

国連ボランティア(UNV)としてUNHCRケニア・ダダーブ事務所に派遣され、青年支援担当として2年半勤務していました。教育・雇用・選挙などの支援を中心とした活動を行い、難民の若者との対話を通じて支援に対する理解を促進したり、雇用の機会のない若者を対象にチャリティのスポーツイベントを企画して、子どもの教育や障がい者支援の意義を周知する活動を行いました。難民キャンプにいる若者が、麻薬や犯罪など、自分たちを取り巻く問題に、コミュニティの力で取り組めるよう、若者の選挙を支援したりもしました。

今年の3月よりJPOとしてUNHCRレバノン事務所に勤務し、保護部門のなかのディテンション(勾留)ユニットに配属されています。不法滞在などの理由で収容された難民や庇護申請者の保護が主な業務ですが、その目的は、法が定める期間を超えて不当に収容されないようレバノン当局に働きかけること、また収容された難民の強制送還を防ぐことです。人権侵害や紛争に巻き込まれる危険のある本国に、難民を強制送還することは許されません。刑務所への訪問、難民認定や再定住のための面会、NGOを通じた支援活動など、当局と合意している一定の枠組みにそって活動しなければならず、非常に気を遣う業務です。

※外務省が行うJPO派遣制度は、国際公務員を志望する若手日本人にとっての登竜門的制度。派遣候補者試験に合格した人は原則2年間、各国際機関で職員として働くことができる。1974年から実施されている。

心に残っているエピソードはありますか。

心に残っているのは、現場の最前線に立ったときに、難民に直接詰問され、彼らが満足する答えを用意できなかったときです。ダダーブ難民キャンプで、食糧配給のシステム、配給カードを使用するものから指紋認証へと変更しましたが、これにより、18歳以下の子どもは食糧配給センターから食糧を持ち帰ることができなくなりました。これには、児童労働や子どもの搾取を防ぐ、また腐敗の温床となる配給カードを撤廃するという意義がありました。しかし、それまで食糧の受け取りをしていた子どもたちや、その親から、「なぜ不便なシステムに変えたんだ」「今すぐ食糧を渡さなければ職員の存在意義はない」と言われてしまいました。そのようなときは、もちろん時間をかけて彼らを説得しますが、短期的な処方箋を提示できないことに無力感を感じることもありました。

その一方で、自分がダダーブ難民キャンプを去る際に、若者のリーダーから、「知哉と仕事をして、自分にある可能性を感じた。ソマリアの状況はよくないままだが、それでも仕事を見つけて、自分の可能性を試してみたい」と言われたときには、自分の活動で何らかの変化を彼らにもたらすことができたのかなと思うようになりました。ひとつの支援で状況が劇的に改善することはあまりないかもしれないが、根気よく支援を続けることで少しずつ状況が変わることはあるのだろうと思っています。

現在行っている活動の中で困難だと感じるのはどのような点でしょうか。

スピーチする様子
2012年ダガハレキャンプの若者選挙でスピーチする様子

現在の業務では、収容された難民一人ひとりのケースに向き合い、個別の状況ごとに対応を考えるという仕事をしています。いかに大きなコミュニティ全体を、支援の輪に巻き込むかという視点で考えていた以前の業務とは、大きく異なります。アイディアや創造性も大切ですが、今の仕事ではむしろ当局と合意した枠組みに基づいて、確実に業務をこなすことが求められます。難民認定の手続きを進めていた矢先に収容されていた庇護申請者が本国に送還されてしまったこともあり、UNHCRの任務とレバノン政府の意向とに折り合いをつけなければいけない場面などで、難しさを感じます。

息抜きの方法や趣味はありますか。

趣味は日曜大工です。これまではキャンプでの生活や、短期契約での勤務が多かったので、なかなか自分の「家」を作ることができませんでしたが、今はレバノンの都市部に住んでおり、2年間勤務する予定なので、自分の居場所を自分で作ろうと心に決めました。大家さんの許可をもらって、自分で床をフローリングに変えたり、赤いペンキで壁を塗ったり、壁に穴をあけてカウンターテーブルを作ったり、ベイルートの古いアパートを3か月かけて少しずつ改造しました。バスタブを家に入れた時はシリア難民の方に配水管を取り付けてもらいました。

今後の抱負は何ですか。

モニタリングの様子
2013年、イフォキャンプで食糧配給の制度を変えたときのモニタリングの様子

組織が大きくなって役割が細分化されればされるほど、大きな視点で物事を捉えるのが難しくなりがちです。例えば、難民認定担当の部署は難民認定のみに集中し、再定住担当は再定住のみを扱う、というようになってきます。ところが、ひとりの難民にとって、それらはひとつに繋がった問題で、とりわけ収容されている難民にとって、誰が担当しているかは関係ありません。また、首都の収容センターで拘束されていたらベイルート事務所の担当ですが、地方の軍による検問所で拘束されていたらサブ・オフィスの担当ということもあります。こうした業務の細分化を見直しつつ、いかに大きな視点で収容された難民の保護にアプローチするかが今後の課題です。

最後に日本の方に伝えたいことがあれば教えて下さい。

スピーチする様子
2011年イフォキャンプの若者リーダーに子供たちのためのボールを配布する様子

中立の国連職員として活動していても、日本からの支援を見るたび、日本人としての気骨や、支援してくださる方々への感謝を思い起こします。国連職員になりたいという相談をよく受けますが、自分の視野を広く持ちつつ、覚悟を決めて自分の分野を選び、その場その場で選択を積み重ねていけば、道は開けるのではないかと思います。

副島知哉(そえじま ともや)プロフィール

オックスフォード大学大学院難民研究センター卒(修士)。2007 年よりUNHCR駐日事務所や、国内外のNGOで非常勤職員やインターンとして援助の実務に携わる。2011年7月より国連ボランティアとしてUNHCR ケニア・ダダーブ事務所に勤務。コミュニティ・ユース担当官として青年支援事業に従事した。2014年3月よりJPOとしてUNHCRレバノン事務所に勤務。アソシエート保護官として、収容された難民の保護に関する業務に携わる。

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