【UNHCRからこんにちは~職員インタビューvol2./北川愛里さん~】 part 1

公開日 : 2014-11-08

UNHCR駐日事務所の、広報をご担当されている北川さん。

 

あれっ、どこかで見たことが…という方もいらっしゃるかもしれません。それもそのはず、元々は、アナウンサーの北川さん。

 

アナウンサーを辞めて、UNHCRに入職された経緯とは?

大学院に進学された北川さんにどんな出会いがあったの?

多忙極まるUNHCRの広報、どんなことを考えながら取り組んでいるの?

北川さんがみつけた人生の基盤とは!?

 

オンライン広報インターン生が、いろいろと詳しく聞いてまいりました。

 

Q:UNHCR駐日事務所に転職したきっかけは何ですか?

 

A:TBSでアナウンサーを10年間やり、情報の伝え方について多くを学びました。一方で、伝える情報を自分で選ぶことが出来ないことにも限界を感じ、いつかはどこかにしっかり軸足をおいて、きちんとメッセージを伝え、社会を変えていくような仕事につきたいと思うようになりました。

 

日本では、スポーツや芸能情報の方に時間をさくことが多く、国際ニュースが、かなりの割合ではじかれているように思います。

 

それこそ難民のこともそうですし、貧しいがゆえに働かなくてはいけない子ども達のことであったり…普段、なかなか日本のメディアで伝えられていないニュースが沢山あることに対して、すごくジレンマを感じていました。

 

かといって、いきなり会社を辞めて、何をすべきなのかすぐに判断ができなかったので、まずは大学院で学ぶことにしました。

 

東京大学大学院に「人間の安全保障プログラム」があり、ここの修士課程で2年間勉強しました。学んでいる途中で、ちょうどここ(UNHCR駐日事務所)の募集がかかったので、採用試験受け、現在に至ります。

Q:そうでしたか。もともと国連にいつか入りたいという希望はあったのですか?

 

A:最初は知識がなかったというのもあって、“絶対この組織で働きたい”というこだわりはなかったんです。

 

ただ、方向性としては、社会であまり光を当てられていない人達、今日、明日、生きることに困っているひとたちに対し、緊急人道支援をしているような団体に属したいという希望はありました。

 

その時点では、“=難民”ではなかったんですけど、今思えば、その思いが、合致しているものがUNHCRだったような気がします。

 

Q:その“緊急人道支援をしているような団体に属したい”という思いに至った理由は何ですか?

 

A:二つあって、一つは、6歳の頃に、フィリピンを訪れた経験です。そのとき、路上で子ども達が物乞いをしているのを初めて目の当たりにしました。

 

可哀想という思いよりも、なんで学校で勉強していないのだろう?なんで、その子たちに物をあげちゃいけないのだろう?(ガイドさんより、「物をあげないで下さい」と厳しく言われたそう。)私とこの子ども達の差は、なんなんだろう?…という疑問が次々と沸き、その疑問が解決されないままその後もずっと自分の中に、ありました。

 

もう一つの理由は、東大の大学院に入ってから、身近に難民の学生と知り合いが出来たことです。それまで「難民」について真剣に考えたことがなかったのですが、身近な存在を通して、難民ってなんなんだろう、母国で何があったんだろう?と疑問を持ったことが私のスタートだったような気がします。

 

小学生の時のフィリピンでの記憶が、大学院に行ってからの問題意識にも、繋がっているのですね。

 

世の中がとても不均衡で、不平等で何かがおかしいという、小さい頃に感じた感覚が、社会人になってからも、ずっと残っていて、それが、今の仕事につながっているような気がします。

 

Q:もともとアナウンサーを目指されたのも、不平等な世の中で苦しんでいる人達を助けたいというような思いからだったのですか?

 

A:…ではなかったですね(笑)

 

当時は、そういう立派なことはあまり考えていなくて、アナウンサーになりたかったのは、本を読んだり、朗読をするのが好きだったのと、何かを伝える仕事につきたいと思っていたのと、人と多く会う仕事がしたいなぁと思っていたぐらいで・・。(笑)

 

逆に、入社してからだいぶ変わりました。社会人として、アナウンサーとして、いろんなことを伝えていく中で、あれ、おかしいぞ、自分が伝えたいことはこれじゃないよねっていうことや、自分の中で、本当に伝えたいことは他にあるということに、気づかされました。

 

Q:なるほど。様々なニュースを読まれたり、番組をご担当されていく中で、伝えたいことが生まれてきたということですか?

 

A:そうですね。出産した経験も私の価値観に大きく影響しました。「子ども」に関連するニュースが、母親になった瞬間に全く違って見えて来たんです。児童虐待のニュースが立て続けに報道されていた時期は、毎日原稿を読むのが苦痛でした。

 

泣いていたらいけないのですが、とても人ごととは思えず、辛くて仕方なかったです。

 

そのとき、自分が辛いと感じるなら、その子たちに対して何ができるのか、どんなアクションがとれのか考えるようになりました。そういう自分の人生の節目と共に、私は“伝える+社会を変える”という事がしたかったんだと気がつきました。

 

Part2では、大学院進学と現在のお仕事について伺っていきたいと思うので、来週をお楽しみに。

 

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