From the Field ~難民支援の現場から With You No. 27 ~
公開日 : 2012-06-01
UNHCRジュネーブ本部
プログラム支援・管理局アソシエート・プログラム(環境分野)担当官
南部成子(なんぶしげこ)
日本赤十字社東京本社・スリランカ事務所を経て、2008年10月~2009年2月外務省主催の広島平和構築人材育成事業を通じてUNHCRエチオピア事務所にて難民支援に従事し、その後同年9月までUNHCRエチオピア事務所にてUNV*として勤務。現在、UNHCRジュネーブ本部プログラム支援・管理局プログラム(環境分野)担当官として勤務する南部職員に、お話をお聞きしました。
※UNV(国連ボランティア計画):世界の平和と開発を支援するためにボランティアリズムを推進する国連機関
Q1 UNHCRで働くようになったきっかけは?

20年前、父の仕事の関係でタイのバンコクで約5年間を過ごしました。当時のバンコクには大きなスラム街があり、自分と同年齢の子どもたちが街角で売春や麻薬の売買をしたり、お金や食べ物を道行く人に求めているのを日常的に見かけました。私とは大きくかけ離れた苦境にある彼らを目の当たりにし、それを他人事として見過ごすことができませんでした。自分の努力だけではどうしようもない困難な状況にある人たちの力になりたいと考えるようになり、人道支援の道を選びました。
人道支援のキャリアの第一歩は日本赤十字社から始まりました。東京本社で2年、スリランカ事務所で1年勤め、この分野での仕事に大きな充実感を抱きました。スリランカでの仕事が終わりに近づき、次のステップを考えていたとき、外務省が主催する広島平和構築人材育成事業という、将来的に平和構築に従事する若手を育成する事業を知りました。以前から平和構築に強い関心を持っていたこともあり、研修生として採用していただいたことは幸運でした。この事業を通じて初めてUNHCRのフィールド事務所で仕事をする機会に恵まれ、多くの魅力的な職員と出会いました。職員の誰もが難民の立場に立って考え、行動している姿に心打たれ、UNHCRでキャリアを積むことを望むようになりました。
Q2 現在、ジュネーブ本部ではどんなことをしていますか?

私は現在、UNHCRのジュネーブ本部で環境分野担当官として働いています。難民キャンプへ出かけ、難民の状況やニーズを確かめ、ジュネーブに戻り、支援者の皆様に伝え、ご寄付をお願いし、そしてまた現地へ飛ぶ。その繰り返しのなかで、自分の活動に手ごたえとやりがいを感じています。
UNHCRは長年にわたり、環境保全を重要な課題のひとつとして取り組んでいます。難民キャンプが設立されたことによって起きる環境破壊の軽減、回復に加え、難民が生活するために必要な調理をするための薪などの燃料および夜を照らす明かりについての取り組みも進めています。2011年に始まった「Light Years Ahead」というプロジェクトも軌道に乗り、日本の皆様からも多くのご寄付をいただいております。
Q3 具体的にどのようなプロジェクトですか?

キャンプを訪問すると必ず薪拾いの問題を耳にします。食糧は支給されてもそれを調理するための燃料はほとんどの場合、自己調達に頼っている状況です。平均で週4回、毎回半日以上かけて薪を拾いに行きます。アフリカでは、薪拾いは女性や子どもの仕事であることが多く、薪拾いは女性や子どもの安全と深くかかわっています。アフリカ、特にアフリカの角といわれる地域の状況は日々厳しさを増していて、以前は2時間歩けば集められた薪が、今では半日や1日歩かなければならなくなっています。ただでさえ自然資源が限られたところに設置された難民キャンプでは、薪は地域住民にとっても大切な資源です。そのため、薪拾いは地域住民との争いの原因になり、暴力事件も多く発生しています。薪拾いに時間を取られ、満足に学校へ通うことができない子どもも多くいます。薪拾いが現地当局により禁止されている場合は、難民たちは支給された食糧の一部を売って薪や木炭を買う必要があり、栄養状態にも悪影響を与えています。こうした問題を少しでも改善するために、UNHCRは省エネかまどや代替燃料の導入を進めています。なかには薪の消費量を80%も下げることができる省エネかまどセットもあり、期待を寄せています。ただ、世界各地の全ての難民キャンプに導入するには多額の資金が必要であり、この問題に対する近年の国際社会の関心の高まりを心強く思っています。
Q4 省エネかまどセットを使用した難民の皆さんからの反応はどうでしたか?

「Light Years Ahead」プロジェクトを通じて導入している省エネかまどセットの「SAVE80」は、ドイツでトレーラーを製造している企業の社長さんの熱意でできた商品です。穀物や豆類など、調理に時間がかかる食材を火にかけ、沸騰が始まった時点でワンダーボックスという耐熱製の保温容器に入れます。余熱で調理を仕上げることができるので、80%の燃料(薪)を節約できる仕組みです。薪拾いの回数が減るだけではなく、薪の煙による健康被害も軽減できます。調査によると、薪を使うことによる室内空気の汚染は、毎年マラリアに感染して亡くなる人々よりも多くの人の命を奪うと言われています。
私自身、これまでジブチ、エチオピア、トーゴなどでこの省エネかまどセットの使い方を指導したことがあります。難民の人々に集まってもらい、通常は1kgの薪を使って調理する分量の食材が、200gの薪で調理できると説明すると、誰もが「できるはずがない」と言います。実際に使ってみせると、皆が驚き、省エネかまどセットの有効性を感じてもらえます。2カ月後に行うアンケートでは、以前は週4回も出かけた薪拾いが週1回で済むようになったという報告もあり、難民キャンプでの生活向上に役立っていると手ごたえを感じます。
皆様からいただいたご寄付をもとに、省エネかまどセットの導入を進めておりますが、まずは特別な配慮を必要とする立場に置かれた人から配っています。薪拾いが困難な身体に障がいを負った方々や女性だけの家庭にとって、省エネかまどセットは大きな助けとなっており、ひとつでも多くの省エネかまどセットを支給したいという想いは募るばかりです。
Q5 薪の消費量削減のほかに、どんな活動をしていますか?

「Light Years Ahead」プロジェクトのもうひとつの柱は、太陽光発電を使用したランタンや街灯の普及です。電気がないキャンプの夜は真っ暗で、性的暴行の40%以上は夜に起きているとの報告もあります。街灯がひとつあるだけでも、状況は大きく変わります。たとえば、ケニアのダダーブ難民キャンプのセキュリティー担当者の話では、ある区域では毎晩10件あった事件が3件まで減ったということです。市場に街灯が設置されると、夜、その周りにお店が出るようになり、子どもが勉強したり遊んだりし始め、人々が集まって雰囲気まで明るくなります。また、ソーラーランタンが支給されると、子どもが日没後も勉強できるようになります。ウガンダでは、ソーラーランタンのおかげで成績が上位10番以内に入った子どももいます。診療所の周りに街灯がひとつ付いただけで、夜の緊急事態でも難民の人々が安心して診療所に駆け込むことができます。私自身、夜に性的暴行を受けた未成年被害者のカウンセリングに関わったこともあり、難民キャンプでの生活を脅かす根本的原因となる暗闇を明るく灯すこのプロジェクトに期待を寄せています。
Q6 難民支援の現場で心を寄せていることはありますか?

UNHCRで働く前、私にとって難民の話は遠い話でした。難民とは何か特別な人、遠い存在でした。でも仕事を始めると、当たり前のことですが、皆同じ人間であり、誰もが一生懸命に生活を良くしようと頑張っていることに気がつきました。難民でも、そうでなくても、苦境にある人々の強さは同じです。その想いから、文化や育ってきた背景は違っても同じ目線に立って解決策を考えようと努めています。
私が出会ってきた難民の子どもたちのことは常に気がかりです。特に子どもたちだけで国境を越えて故郷から逃れて来た、もしくは難民キャンプに着いてから家族とはぐれてしまった子どもたち。彼らのたくましさと、時折見せる子どもらしい表情の両面に出会い、彼らのためになんとしても難民キャンプの生活を向上させなければと常に自分を叱咤しています。
いつも思い返すのが、エチオピアで出会ったエリトリア人の12歳の女の子です。母親と一緒に難民キャンプに来たものの、その後母親は新天地を求めてスーダンに渡ろうとして、国境で警備隊に射殺されました。その知らせを聞いたとき、その子はまっすぐ私の所に来て、無表情のまま淡々と報告してくれました。掛ける言葉が見つからず、ぎゅっと抱きしめると、女の子はただただ、ずっと涙を流していました。この子にはどんな未来を用意すれば良いのでしょう。答えはひとつではないはずです。このような子どもたちに、より良い未来を用意したい、その一心で日々仕事をしています。
Q7 最後に日本の支援者の皆様にメッセージをお願いします。

悲しい経験をいっぱいしてきた子どもたちが元気に走り回る姿を見たり、キャンプでの生活が少しでも向上して喜ぶ人々を見るとき、この仕事のやり甲斐を感じます。私は難民キャンプをより安全な環境にするために根本的なところから取り組みたいと考え、現在の部署での仕事を希望しました。これからも先輩達の築いてきた道に少しでも追いつけるよう、一歩一歩確実に進んでいきたいと考えています。
難民支援というのは、日本の日常から遠く離れた出来事と思われがちですが、実はそうではありません。特に東日本大震災の後、その想いは強くなりました。私の故郷は宮城県で、今でも祖母や姉が暮らしているのですが、祖母の家は傾いたまま、いとこは原発から20km圏内に暮らしていたので移転せざるを得ませんでした。安全だと考えていた自分の故郷が急に「被災地」に変わった瞬間。老いた親族が給水車に何時間も並んだという話などを聞いた時、どうしても難民の人々が抱える苦境と重ね合わせて考えてしまいました。東北は復興を続けていますが、厳しい難民キャンプの環境の中で20年も30年も暮らしている人もいるのです。
昨年訪れたエチオピアのドロアド難民キャンプで、ソマリアから命からがら逃げてきた難民の方に「今回の大震災に際し、お見舞いを申し上げます」と言われたときの心の震えは忘れられません。地球の裏側にいる人にでも手を差し伸べたいという想いは誰でも同じです。難民の方たちが日本に心を寄せるように、日本人の私たちも彼らに心を寄せることができればと思います。 難民キャンプに灯りが点くのを見ると、それを可能にしてくださった支援者の皆様への感謝の気持ちでいっぱいになります。ひとつの街灯、ひとつのソーラーランタン、ひとつの省エネかまどが、避難生活を強いられている人々に、かけがえのない安全や希望、そして喜びを与えています。
皆様の温かいご支援に心から感謝するとともに、引き続きのご支援をお願いいたします。
注:2012年3月にお話をお聞きし、2012年5月中に加筆したものです。