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特別インタビュー 映画監督 山田 洋次さん

難民は深い絶望の中に生きている。なんで生まれて来たんだろうと。
そういうところに寅みたいな人間がいたら、どんなにみんな救われるか。

山田 洋次(やまだ・ようじ)

1931年、大阪府・豊中市生まれ。父親が旧満州の南満州鉄道(満鉄)に勤めていた関係でハルビンや瀋陽などで暮らし、大連で敗戦を迎えた。東京大学卒業後、1954年に松竹大船撮影所に助監督として入社。1969年に映画『男はつらいよ』シリーズを開始。『男はつらいよ』(50作)のほか、『学校』(4作)、『家族はつらいよ』(3作)などがある。2012年に文化勲章受章。『たそがれ清兵衛』(2003年)でアカデミー賞外国語映画賞ノミネート、『小さいおうち』(2014年)で、助演の黒木 華が第64回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(女優賞)を受賞するなど、手掛けた作品は海外でも注目を集め続けている。2019年12月27日に公開する新作映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』で監督88作目となる。

山田さんは、戦後食うや食わずの生活で、行商や炭鉱の坑木運搬などの重労働や進駐軍の使役などに従事していました。 そんな辛いとき、皆を笑わせてくれる人がいたそうです。その人のおかげで、どれだけ気持ちが救われたかと山田さんは言います。 やがて東大法学部を卒業して松竹に入社し、映画製作の道へ。1968年夏、山田さんと渥美 清さんの出会いから『男はつらいよ』 の主人公、車 寅次郎が誕生しますが、寅さんの原型にはそんなご自身の体験もあったのです。

今年の12月27日(金)に公開される新作映画 『男はつらいよ お帰り 寅さん』のマドンナはなんとUNHCR職員。どうして山田さんはマドンナをUNHCR職員にしてくださったのか。山田さんが難民に対して寄せる思いなど、事務局長・星野がお話を伺いました。

難民問題に取り組んでいるマドンナ

イズミ・ブルーナ役の後藤 久美子さん(中央)と山田 洋次監督(右)

―― 新作映画 『男はつらいよ お帰り 寅さん』でどうして マドンナをUNHCR職員にしてくださったのですか?

山田:寅さんの甥の満男と初恋の人の泉の再会から物語が始まるのですが、泉役の後藤久美子さんは現実にはフランスの人と結婚し、ジュネーブに暮らしている人。だから役の上の泉も海外に暮らしていて、日本に帰国するほうが自然ではないかと思いました。たまたま仕事で日本に来て、滞在期間も限られているという設定の上ではどういう仕事がいいか、考えているうち、国連の人道機関のUNHCRが浮かびました。

今、世界で大きな問題になっている難民問題という、危険もあるような、しかし大切な仕事に真剣に携わっている女性にすればいいんじゃないか。そういうことで決めたんです。

難民問題は他人事じゃない

難民の写真パネルを熱心に見入る山田監督(右)

―― 山田さんはお父様の仕事の関係で幼少期を満州で 過ごし、14歳のときに敗戦を現地で迎えられた。その後、引揚げでも大変ご苦労された。そういったご自身の体験が、難民への思いにつながっているのでしょうか。

山田:敗戦で、満州、中国大陸から何十万という日本人が引揚げてきました。言葉では表せない悲惨な目にあって、引揚げの途中でたくさん人が死んでいきました。

難民の写真を見て僕が連想するのは、「さあこれから家を出よう」というときにどんな思いをするのかということ。たくさん家財道具があるわけじゃなくても、家族で集まって何を持っていくか話し合う。担げる分しか持っていけないから。その経験は僕も引揚げのときにしてるんです。中学生の僕は大事にしていた落語全集を持っていこうとして、親父に叱られましてね。重い本など持っていくな、まずは食糧が大切、その次に大事なものをリュックに背負えるだけ選ばなくてはいけないということで、毎晩毎晩、家族で相談しました。

3月のある日、荷物を担いで家族で家を出ました。家の中に本がたくさん残っていて、あの本どうなっちゃうんだろう、中国の人たちに日本語の本は読めないから、みんな焚き付けになるのかなあと思ったりしながら歩いていて、ひょいと振り返ったら、中国の貧しい少年たちが集まって、ウワーッと一斉に家から荷物を奪い出すのが見えてとても悲しかった。そういう、難民っぽい経験はあるもんですから、他人ごとじゃないんだ、といつも自分に言い聞かせながら、難民の報道を見たり読んだりしています。

―― お部屋に入ったとき難民の写真を見て、「こんなに荷物を持ってるんですね」と仰ったのは、そんなご経験があったからなのですね。

山田:(私が家を出た日は)まだ3月で寒かったから、着られる服をみんな着るわけです。なるべくいい服を3枚も4枚も重ねて。金持ちは下に毛皮を着て、上に普通のコートを着たりして(笑)。なんとも異様な感じでした。

テオ・アンゲロプロス 注1 の映画にもありますよね。あの時代の難民がこう大勢でウワーッと。みんなトランクなんて持ってね。なんで長い旅をするのにリュックサックにしないんだろうと思うんだけど(笑)。

アンゲロプロスの映画に出てくる難民は、みんなトランク持って、ちゃんとソフト帽もかぶって。きちんとしてみんな歩いてんの、何百人も大勢。僕のイメージする難民とはずいぶん違うんだけども。こういうのは(写真を指して)なんかとってもわかるなあ。ああだろうなあと思う。

注1:テオ・アンゲロプロス
ギリシャ出身の映画監督。1998年に『永遠と一日』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。

山田監督が見入っていた写真。紛争を逃れ、トルコの国境を越えようとしているシリア系クルド人の様子。

(避難する難民の写真を指して)あの荷物どうやってひとつひとつ選んだんだろうなあ。涙ながらに置いていった品物もたくさんあるんだろうなあ。1軒の家か、ひとつの部屋に住んでるわけですから、いっぱいあったはずですよ、色んなものがねえ。たくさん捨てて、大事なものだけを持って歩いているんでしょうね。途中でくたびれて捨てたりしたんじゃないか。これで何日も歩いたらもちませんよ。布団まで持ってるんだもんなあ…。

寅さんが幸せを感じること

―― やはりご自身のそういった経験が人への想いを培ったのでしょうか。山田さんの作品を拝見して、本当にいつも人への想いとか、他者への配慮とか、そういった目線をすごく感じるんです。寅さんもそうですし。

山田:そうねえ、寅さんっていうのは、自分のことより他人のことの方が気にかかる。悪くいうとおせっかい、よく言うと親切。自分のことそっちのけで、「心配事を解決してやろう」っていう気持ちになって、心配事をうまく解決できて、その人が「寅さんどうもありがとう」って言うと、寅にとってはその一言が最高の幸せだという。そういう男ですよね、寅さんというのはね。

誰かに喜んでもらうことが、寅における幸せっていうのかなあ。だから、本当は寅はとても素敵な人間なんですよね。

シリアの人にとってのふるさとのイメージ

―― 以前、中東に赴任していたとき、寅さんシリーズを持参していました。危ないところに行って帰ってきて、寅さんの映画を観るとほっとするんです。

山田:なるほどねえ。

―― 寅さんを観ると、やっぱりふるさとというものが意識されて、それで癒されていました。山田さんの作品では、寅さんもそうですが、『同胞はらから 注2 など他の作品でも「ふるさと」というものがしばしばテーマにあったような気がします。

注2:『同胞はらから』(1975年)
原作・監督:山田 洋次 岩手県の農村での劇団公演を描いた青春映画。

山田:シリアの人たちにとって、ふるさとのイメージってどんなものだろうってよく思います。僕は満州育ちだから、わりに平野で。見渡す限り水平線までコーリャン畑で。ですけど、写真とか、映画とか、本で見た日本の風景というのもあるんですよ。それは緑の山があって、川が流れてて、鉄橋があって、トンネルがあって、汽車がこう…そんな景色は満州にはないんです。

だけど、真っ白い浜辺にきれいな波が打ち寄せて、松の並木があってという光景、それが僕にとっての“イメージとしてのふるさと”だったんですよね。

シリアあるいはスーダンで育った人たちにとってのふるさとのイメージというのは、緑の山があってきれいな水が流れてるというものじゃないですよね。懐かしいというときに、この人たちはどういう風景を思い浮かべるんだろうと思いますね。

―― ヨルダンの難民キャンプは土漠地帯ですが、シリアからの難民は比較的緑のあるところから避難してきている人も多いです。

シリアの人たちが避難しているヨルダンの難民キャンプ

山田:そうですか。(難民キャンプの写真を見ながら)こんな砂漠みたいなところで何年も暮らしていたら、ほんとに辛いでしょうねえ。精神的に。

寅さんにおける平和

―― 山田さんの作品には、平和の尊さというものも底流に流れているような気がします。

山田:寅さんっていうのは、ときどき興奮して大声出したり、隣のタコ社長をけとばしたり。トラブルメーカーではあるけれども、心の奥底ではそれがとても間違っていることだっていうのを、よくわかってる男だと思いますよ。

やっぱり、みんながおだやかで笑顔で、平和で暮らすのが一番いいんだっていうのを、よく知ってる人間ですよ。寅さんはね。

その上で、ときどき矛盾した状況に陥るんですね。「自分が帰ってきたからこういう喧嘩になるんじゃないか」と。寅は自分ではね、みんなの幸せを考えているつもりなんだけれども、「ひょいと気がつくと俺が平和をかき乱してる存在だ」と。

そのときにこう、かーっと興奮するんですよね。矛盾に気がついてなんだかイライラして。それで結果として、「もうお前なんか出ていけ」って、おいちゃんに言われて。そのときに寅はドキっとして、帽子をとって、カバンをとって、「おいちゃん、それを言っちゃあおしまいだ」と出ていくわけですね。

「それを言っちゃあおしまいだ」というのは、つまり、寅は「今まで俺は確かに喧嘩してたよ。社長の頭もポカリとやったよ。でも、それは究極的にみんなが平和におだやかに仲良く暮らしていきたいという想いを持ちながらも、喧嘩してる。そういう約束事を俺はちゃんとわきまえてるつもりだよ」と。だから「喧嘩したって、俺は痛くないように殴ってるよ」と。

絶対言っちゃいけない悪口ってありますよね。夫婦の問題とか。「俺はそれは言わないよ。お前の工場なんかつぶれちまえとは言うけども、言っちゃいけない悪口は言わないよ」と。

それと「血が出るような喧嘩、殴り合いも俺はしてないよ。そういう風に俺は約束事を守ってるつもりなのに、おいちゃんは俺を除外しようとする。はじきだそうとする。だったらもうここにいてもしょうがない。そんなに言うなら俺は出て行っちゃう」と言って寅は悲しく出ていく。そういうことですね。

だから寅はトラブルメーカーなんだけれども、最終的に平和になることを願いながら喧嘩してるんですよね。
寅は絶対に相手を傷つけない喧嘩をしている。

寅はときどきトラブルをおこして大騒ぎになる。でも、それがなんとか解決したら「みんな、この間悪かったね、ごめんね」と言って謝って。「もう二度とあんなことしたくないね。まあ一杯やろうか」と。

それは実はとても幸せなことなんですよね。お互いに謝って、「これから仲良くしようね」って宴会をすることは。で、そこに寅はいなかったりするんですけどね。

だから、寅は喧嘩はする。けれども、その根底に「平和に暮らしていこうね」っていう願いを持ってるんです。そういう約束事を知りつつ、いやなことを言ったりポカリとやったりしてるってことですね。

―― 寅さん自身が平和というものの大切さを理解している。

山田:そうですね。戦争ってのは、実際人を傷つけたり殺したりすることですからね。それは寅にとって到底理解のつかないことじゃないでしょうかね。

寅さんのような人間は世界中にいる

―― たしか『男はつらいよ』のきっかけのひとつがマルセル・パニョルの『マリウス』 注3 。マルセイユの人々の哀歓とか人情が日本人にも通じるんじゃないかと思われて、『男はつらいよ』の着想につながったとか。言い換えれば、そういった人情噺や寅さんの人間像は、世界に通じるということでしょうか。

注3:マルセル・パニョル
フランスの国民的作家。代表作のひとつ『マリウス』はマルセイユを舞台とした庶民の哀歓を描いた戯曲。
山田監督は2017年と2018年に音楽劇『マリウス』としてこの作品の舞台の脚本・演出も手掛けている。

山田:マルセル・パニョルの『マリウス』っていうのは、まるで落語なんですよね。あの中に出てくる人はしょっちゅう喧嘩ばかりしてて、しょっちゅう人の悪口言ってるんだけども、本当はものすごく平和な暮らしを望んでる人たちなんですよね。やさしくて気持ちがあったかくてね。そういう人たちの喧嘩だから、笑って観られるんです。ばかだね、って言いながら。楽しく喧嘩を見られるんですよね。

そういう世界を、僕たちは落語を通して知っていて、そして僕の中に、「落語の主人公のような人間を登場させてみたい」という願いがかねがねあって。で、50年前に渥美 清という人に会って「この人だったら、落語の熊さんになれる、ピッタリだなあ」と思って。それで落語の熊さん像 注4 をモデルにして作り上げたのが、寅さんなんですね。まあ、熊じゃなくて寅になっちゃったけれども。

注4:落語の熊さん像
古典落語に出てくる熊さん(熊五郎)のこと。落語の中では、「腕の良い職人だが少々無学でおっちょこちょいの乱暴者」というキャラクターとしてしばしば登場する。

だからそういうタイプの人間は、世界中の文学や演劇の中で、ある種の典型として存在してると思いますね。

みんなに愚か者といってバカにされているけども、その愚か者は何よりもみんなが幸せに暮らすことを願っている人間なんだっていう。で、彼の存在がとてもみんなを喜ばせるっていうか。面白いことも言うし、彼は馬鹿でとんでもない美女に恋をして、みんなに笑われるけども、それを含めて人生を豊かにする存在なんですね。人々の暮らしを豊かにする。

寅さんを作り続けるということ

―― これだけ長い間、寅さんを作り続けるのは大変なことだったと思います。何が山田さんの気持ちを駆り立ててきたのでしょう。観客の方が観たときの幸せそうな顔だったり、映画館に並んでたり…。山田さんは「寅さんは人を幸せにしたい人だ」と仰られたのですが、山田さん自身が人を幸せになさりたい方なのではないかと。

山田:いやまあ…それは言い過ぎですけども。つまり、映画をつくって、その映画を映画館で上映しますね。
最近はDVDでみるとかいろいろあるんだけれども、基本的には映画館で。で、それを観客がみんな見て楽しそうに笑ったり、ときどき涙を拭いたりなんかして。やっぱりそのことで、僕たちはこう報われるっていうか。

―― いちばん嬉しい…。

山田:ええ。で、またもう1回見たいという気持ちがなんとなく伝わってくると、よしじゃあもう1回作ろうと。

けれども、お客さんからの注文はむずかしいんですよ。具体的に聞くわけじゃないですけれども、同じ寅さんで、同じさくらで、同じ家族関係でいいんだと。似たような展開でいいんだと。寅さんは美女と結婚して、子どもができた。そんな話はいやなんだと。やっぱり振られなきゃいけないんだと。

しかし、そうでありながら、毎回毎回、色合いを変えていかなきゃいけない。そういうむずかしい注文に僕はちゃんと答えるぞ、というね。

インタビュー中の山田洋次監督

―― 以前、同じものを描き続ける画家でありたい、あるいは同じ形の壺を作り続ける陶工でありたい、と仰っておられました。その上で、同じだけれど、少しずつ違いを入れていくのだと。

山田:まあそうですね。あるいは必ず違っていくはずだと思うといいますかね。

同じ店の、“あの店のラーメン”が食べたいと思ってるわけでしょ?で、作り手がもう飽きたからってラーメンをやめて、ライスカレーにしようって言ったら、そりゃ、客はみんな帰っちゃいますよね。

同じラーメンを作り続けるっていうのは相当大変なことなんですね。できたらもう少し、もっとおいしくしたいと思って、周りに支えられながら同じものを作り続けていく。

だからその同じものを作るから楽なんだって訳じゃないんですよ。同じものを作るのがどんなに辛いかってことなんですね、問題はね。ラーメンに例えれば同じ味でいいんですよ。だけど同じ味であるってことはとても苦労があるってことですね。油断するとその味が落ちちゃう。

―― だからこそ画家、陶工、ラーメン屋…職人的な話かもしれませんが、そこが辛いけど面白味がある…。

山田:そうですねえ。だから、陶工で言えば、同じ模様、同じ色合いで、同じ形で作っても、焼きあがったのをみると、そこに不思議な色合いが出たり。窯変ようへん 注5 を起こして、「わ、こんな色になったんだ」と。そういうことって今でもありますよ。

で、それは観客にも伝わるんですね。「今度のいい色だよ」「今度のいい模様が入ってるね」とかね。

注5:窯変ようへん
窯の中で焼きものに生じた色の変化

寅さんが始まった頃の日本

お話を伺う事務局長・星野

―― 「同じ」という部分がありながら、一方で寅さんの作品からは、時代が伝わってきます。

山田:このシリーズが始まったのは1969年。あの頃日本人は、今よりかなり幸せだったんじゃないかと思いますよ。この国は元気だった。

―― もう1つ気付いたのは寅さんもさくらさんも、渥美さんも倍賞さんも、みなさん戦争経験者。あえて言わないけれど、みなさん背景として本当にご苦労されてるんだなと。

山田:そうです、戦後の食べ物が何も無い時代を知ってるんです。渥美さんもよく。ま、僕なんかも知ってますけどね。おなかがすいてっていう時代があったんですよね。でも、50年代、60年代は、みな日本の子どもはいい目をしてたんじゃないでしょうか。おなかがすいてるからいいわけじゃないですよ。だけど、なんか本物を求めてる目。おもちゃとかが欲しいんじゃなくてね。

寅さんが難民のもとに行ったら

―― 寅さんが難民のもとに行ったら、どうだったでしょう。

山田:48作目の製作中に阪神淡路大震災がありました。大きな被害を受けた神戸市・長田区の人たちが僕にどうしても会いたいと、何人かで来られまして。寅さんのロケーションを長田でやってくれないかと。僕はびっくりして「寅さんのようなふざけた人間が、たくさんの人が亡くなった長田のような土地に行ったら『何ができる。ふざけるな』って叱られるんじゃないですか」って言ったら、長田の方々が 「逆ですよ」と仰るんです。「皆笑いたいんです。寅さんが来て、ワーっと陽気に騒いで皆を笑わせてくれることをむしろ期待します。ロケ隊が来て下さるだけでとっても嬉しいんです」と。

調べてみると、普段は役所や町内会といった組織や秩序の中で人々が暮らしているところが、震災にあうとその秩序がめちゃくちゃになってしまう。そういうときには寅のような、もともと組織とか秩序というものが理解できない男が、意外に役に立つんじゃないかと。「おじさんこうしよう」「おばさんあっち行って頼んで来い」「市役所のおじさん、ぼんやり突っ立ってないでこういうことやれよ」とか、寅はとても役に立つんじゃないかと思いましてね。

じゃ、寅も一緒に被災したと考えよう、ボランティア活動を一生懸命やってた。だけど暮らしが落ち着いてきて、 市役所が機能を回復してくると、寅がうとましい人間になって(笑)。
「俺はそろそろ邪魔になってきたな」、ある日しょんぼり「みんな幸せになれよ」と言って去っていくんじゃないか、そう考えて「じゃ、寅さんを長田に行かせましょう」ということになりました。

48作目のラストシーンは復興がかなり形をなしてきた長田に、久しぶりに寅が現れたっていうところで終わりになってる。寅が「やあ、元気だったか。良かった良かった苦労したんだなあ、お前たち」と言いながらね。

まだまだ仮設住宅ばっかり並んでましたけども、その店の前でね、なんかこうにぎやかに終わりたいから、「踊りかなんか踊るってのはできませんか」って言ったんです。そうしたら長田の人たちが「いくらでもできますよ。いちばん華やかなのは、在日コリアンの人たちですね。その若者たちがお祭りの踊りを踊りましょう。民族衣装で踊るから華やかです」と。

で、本当にね、100人か200人の人たちが大勢集まってきてくれて。その伝統的な踊りを、太鼓をドーンドーンと叩きながら踊ってくれて。それをカメラがだんだんズームで引いていって大ロングになるところで、エンドマークが出るんですよ。

寅さんの最後の最後のカットっていうのは、実は被災地の長田で終わっているんですよね。だから寅はそういう災害のあった土地にも似合う男だということは言えますね。あるいはそういうところでとても活躍する(笑)。

難民は深い絶望の中に生きているんですからね。なんで生まれて来たんだろう、なんで生きているんだろうと思う人がたくさんいるでしょうね、きっと。そういうところに寅みたいな人間がいたら、どんなにかみんな救われるかと思います。

もっと難民のことを考える日本人に

山田 洋次 監督(左) 事務局長・星野(右)

―― 日本のUNHCR支援者へのメッセージをお願いします。

山田:僕たち日本人は、世界を見なくなってきている。自分の国、自分の家族さえ幸せならいいんじゃないかという考え方は人間として間違っていると思います。もっと外に目を向ける。自分の周りにどんな人たちがいてどんな暮らしをしているか、どんな苦労をしているか。世界でいちばん苦労しているのは難民の人たち。食うや食わず、炎天下にテント暮らしを強いられて。この人たちがいつ故郷に戻れるのか、あるいは新しい生活に希望が見えるのか。それがどんなに大変か。難民のために何ができるかってことを、真剣に考えるような日本人であってほしいと思います。

取材:2019年8月1日 東京・国連UNHCR協会
文責:国連UNHCR協会

取材こぼれ話

 
○UNHCR のリストバンド
 
山田監督はUNHCRのリストバンドを普段から着けて下さっているそうで、取材後、「今日だけじゃなく着けてますよ。これで海にも入った」と右手首につけているUNHCR リストバンドを見せて下さいました。

“寅さん”にイズミ・ブルーナUNHCR職員が登場します

新作映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』
2019年12月27日 全国ロードショー

― 今ぼくたちは幸せだろうか。君たちはどう生きるか ―

車 寅次郎の甥・満男と、満男がかつて思いを寄せた泉のその後の物語。別々の人生を生きてきた二人を軸に、さくらや博、そしてくるまやを囲む人たちを描く。

窮屈で生きづらい時代。困難にぶつかった時、「あゝ寅さんだったらどんな言葉をかけてくれるだろうか」と思いかえす…。
― やってくる新時代。そんな不透明な時代を生きていく私たちのために、昭和から現代に虹をかけるように、今、寅さんがスクリーンに蘇ります。

『男はつらいよ』シリーズ開始から50年目の50作目、山田 洋次監督88本目の新作が登場します!

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