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ヨルダンの都市難民を訪ねて

写真:ヨルダンの風景

現在ヨルダンには約64万人のシリア難民が暮らしています。ザータリとアズラックという巨大難民キャンプを有するヨルダンですが、そこに暮らしているのは実はこの国に住む難民の約15%にすぎず、残りの約85%は難民キャンプの外で暮らしています。「難民=キャンプ」という図式だけを考えていると、今ヨルダンにいる多くのシリア難民が直面している現実の一部分にしか目を向けていないことになるのです。今回は当協会のミッションとして、都市に住む難民の生活も含めたヨルダンのシリア難民の現実を知るために、同地の難民キャンプに加え、アンマンのダウンタウンに住む難民の家庭を訪問。その際に垣間見えた都市難民の暮らしの現実をお伝えいたします。

頼れる夫・父を亡くして都市で生きる難民の家族

「良いご縁に恵まれますように。いつかあなたが結婚をして、旦那さんとメッカに行く時、私たちも一緒に連れて行って」。お母さんはそう言い、私たちに同行した妙齢のヨルダン人女性スタッフのために何度も祈っていました。イスラム教徒の聖地、メッカの巡礼。いつか訪れるかもしれないその晴れの日の話に、娘4人は少し顔をほころばせていました。でも、その話にお母さんの旦那さんは登場しません。彼女たちにはもう、頼れる夫、そして父親はいないのです。

「いつか休暇をとって家族でヨルダンを訪れよう」。仕事でヨルダンを訪れたことがあったお父さんは、そうよく口にしていたといいます。夫婦と4人の娘からなる一家は爆撃で家を失い、シリアのアレッポからヨルダンに逃れました。皮肉にもこの時にはじめて、お母さんと娘さんはヨルダンに来ることになったのです。そして、1年前には同国でお父さんを病気で失いました。

床に座って輪になって話しているときに、「父を失うということが、これほど厳しいこととは思いませんでした…」と、娘さんの1人がポツリ。ヨルダンでは難民の就労が厳しく制限されていたため(現在就労の基準は緩和の傾向にあります)、お父さんが生きていても暮らし向きは厳しかったかもしれません。それでも、ことあるごとに「生きていてくれたら」という思いが脳裏をよぎったことでしょう。女性だけの難民の家庭は、犯罪をはじめさまざまなトラブルに巻き込まれやすく、また経済的に厳しい生活を送っている場合、そのリスクはさらに高くなるといいます。異国の都市で、女性5人で、これまでどれだけ心細い思いをしながら暮らしてきたかは想像に難くありません。

このような社会的に弱い立場に置かれている家庭3万世帯を対象にUNHCRは現金の給付支援をヨルダンで行っています。この日訪れた家庭のような家族構成も、優先的に「現金の給付支援」の対象になる可能性があります。ところが資金不足から、この家庭をはじめ1万2,000世帯がウェイティングリストに登録されたまま、給付を待っている状態なのです。

使いこまれたキッチンツールや日持ちのする野菜が置かれたキッチン。

「お肉や新鮮なフルーツはもう長いこと食べていないの」。そう言うお母さんの手には、滞納している家賃の請求書が2か月分握られていました。WFP(世界食糧計画)から毎月支給されている食費は、お米や油、卵や砂糖などの基本的な食品を購入すればすぐになくなり、生鮮食品まではなかなかカバーすることができないといいます。都市部の高騰する家賃や生活費が彼女らの生活を圧迫している様子は明らかでした。

彼女たちが都市に住む理由

家族5人が暮らす部屋。食べるのも眠るのもこの一間

都市での生活に困窮しながらも、なぜ難民は一定の支援を受けやすいキャンプに住まないのでしょうか。「キャンプでも女性だけの家庭はいろいろな問題に直面しやすいと聞きます。私たちは親しい知り合いが近所に住んでいるので、ここの方が安心できるのです」。とお母さんは言います。4人の娘を1人で守ることは容易ではありません。住居や電気代、水道代も無料であるキャンプに住むことは一見あらゆる生活苦から解放してくれる手段のようにも見えますが、誰も知らないキャンプ内で一から生活をはじめるということは、お母さんと娘だけからなるこの一家にとっては、私たちが思うよりも不安と厳しさに満ちたことなのかもしれません。
 
娘さんたちの年齢は、上から34歳、28歳、19歳、18歳。一番末の娘さんは、シリアから逃げてきたのを機に学校に行けなくなりました。日々の暮らしにも困っている一家に、彼女の学費を捻出することはできません。「もしも学校に戻れたら、将来は弁護士になって、社会的に弱い立場に置かれている人や、不平等な思いをしている人を助けたいの」と末の娘さん。彼女のまっすぐな目を見つめながら、私たちも家族も彼女の言葉に静かに耳を傾けていました。ある日突然紛争に巻き込まれ、多くのものを失ってしまったにも関わらず、彼女は不当な現実を恨むよりも、未来を見ようとしていました。

写真:シリア難民の赤ちゃん

「見てこの天井、ボロボロでしょう」と、上の娘さん。大きなクッションの上では、赤ちゃんがうつろな目でその天井を眺めていました。聞けば近所のシリア人の子どもを預かっているといいます。娘さんたちはうれしそうにこの赤ちゃんを代わる代わる抱っこして、あやしていました。

この日私は、どこかで悲しい話だけを聞く準備をしていたように思います。でも、この一家に会って言葉を交わして見えてきたのは、この地で暮らすシリアの人々の追い込まれた生活だけではなく、途方に暮れながらもなんとか前を向こうとする強さや、家族や同じシリア人同士で肩を寄せ合って助け合いながら生きている姿でした。

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