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特別インタビュー 元国連難民高等弁務官・緒方貞子さん

c国連UNHCR協会

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「今解決しないと思われていることでも、永遠に解決しないわけではありません。時間はかかるけれど、努力を続けることで解決することもあるのです」

 

日本人初の国連難民高等弁務官として1991年から2000 年までの約10年間、難民援助活動の最前線に立ち、紛争の犠牲者たちに向き合い続けた緒方貞子さん。UNHCR(ユーエヌエイチシーアール)(国連難民高等弁務官事務所)を離れた後、2003年から2012年まで国際協力機構(JICA)理事長として日本の国際協力分野を牽引されました。

UNHCRを離れて15年。今振り返って国連難民高等弁務官在任中どのようなことを感じておられたのか、また、今の難民をとりまく状況についてどのような思いをお持ちなのか、お話を伺いました。

 

 

国家の崩壊――国内避難民を支援する

緒方さんが国連難民高等弁務官に就任した1991年、トルコに入国拒否されたイラク北部のクルド人140万人に対し支援を決断しました。それまでUNHCRの支援対象は難民(国境を越えた避難民)とされていましたが、これを機にUNHCRは国内避難民(国境を越えない避難民)にも支援を行うと大きな方針転換を行いました。

 

――緒方さんが国連難民高等弁務官を務められたのは1990年代でした。

 

ちょうどソビエト連邦やユーゴスラビア連邦などが崩壊して、世界地図が大きく変わった時代でした。

普通、人々は国家の保護のもとで生活しているものです。ところが国が崩壊してしまうと、拠(よ)り所がなくなってしまいます。そういう方たちの支援をUNHCRがずいぶん手がけました。国境がずたずたにされて、UNHCRが大変忙しい時期になってしまいました。

 

私の仕事は、クルド人への支援から始まりました。就任間もない頃でした。国境を越えたら支援する、国境を越えないなら支援しない、ということでは目の前のクルド問題は解決できません。

イラク北部のクルド難民と(1991年)©UNHCR/J.Crisp

イラク北部のクルド難民と(1991年)©UNHCR/J.Crisp

UNHCR内で議論を重ねた結果、国内避難民(Internally Displaced Persons )を支援することを決断しました。生命と安全と生活を保障するのは国家ですが、国家がそれを保障してくれない状況になったとき、国家に代わって誰がどのようにその方たちの面倒をみるかを決めたり工夫したりするのがUNHCR の任務でした。UNHCRは「人」を相手にしているわけですから、人々の生命を守るためにはとにかく速く動くことが先決でした。

 

―――とにかく目の前の命を助けるということを優先されたのでしょうか?

 

そうです、命を助けることが最優先です。現代においては情報が動くと、人も動きます。そうなると国境だけで全てを決められなくなり、国内避難民をUNHCRが支援するかどうかという問題が大きくなりました。自分の故郷に住んでいることができず、家族もばらばらになった時、どこか安定したところにせめて自分の子どもや孫だけは連れていきたいという想いは、人間の本能として大切なものです。そうした想いで命がけで避難してきた先で窮している人たちを、国境を越えたら支援する、国境を越えていないなら支援できないという状況は問題でした。クルド問題に直面したとき、このような国内避難民にUNHCRが本格的に対応せざるを得なくなったのです。国連の他機関と協力して国内避難民のコミュニティを政治的・経済的により良くする、ひいては難民の発生を防止するという、本来はUNHCRの仕事ではなかった領域にも踏み込むことになりました。UNHCRの国内避難民対策は私が高等弁務官の時代に進展しました。時代の流れに対応した、ということです。やらなければいけませんでした。

旧ユーゴスラビア紛争下のサラエボ視察(1992年)©UNHCR/S.Foa

旧ユーゴスラビア紛争下のサラエボ視察(1992年)©UNHCR/S.Foa

現場に足を運ぶ

緒方さんが国連難民高等弁務官在任中の1990年代、ユーゴスラビア連邦崩壊に伴うバルカン紛争、ルワンダの大量虐殺から周辺国を巻き込んでコンゴ戦争へと発展するいわゆる「大湖(たいこ)危機」、旧ソ連邦でもアルメニア、アゼルバイジャン、タジキスン、チェチェンと各地で次々に紛争が起こりました。緒方さんはスイスのジュネーブに拠点を置きながら、1年の半分以上は海外視察に飛び回る多忙な日々を約10年にわたり続けました。

―――緒方さんは現場に足を運ぶ、ということをモットーとされていたのでしょうか。

現場には「必要があれば行く」ということ。正しい情報は現場にありますから、私は現場の情報を大切にしていました。実態を把握するために現場に行き、何が不安定の本当の原因かを正しく知る。現場で状況を把握し、そこでどのように解決していくかということが大切だったと思います。同時に、相手の状況をきちんと調べて分析することも必要です。私の場合、政治理論を学んだことが分析方法を与えてくれていました。

実際、現場で入ってくる情報は全然違います。現場にいると、その状況の真っただ中にいますから、情報が次々に入ってきます。その中でこれとこれを合わせたらこうなる、という勘が経験を積み重ねるとシャープになっていく。現場に行き、色々な状況を見ているうちにどうすべきかが自ずと分かってくるわけです。現場に足を運ぶことによって状況に対応するための勘は非常に磨かれたと思います。

 

ソマリア難民を訪ねたエチオピア視察c(1991年) c UNHCR / A. Hollman

ソマリア難民を訪ねたエチオピア視察c(1991年)
c UNHCR / A. Hollman

――紛争の背景を知るためには歴史や宗教、民族など深く知らなければいけないこともあると思いますが、日本人としてはなかなか理解しづらい場面もあったのではないでしょうか。

 

私は日本人としてやっているという意識はまったくありませんでした。高等弁務官としての仕事をしていて、たまたま自分は日本人であったということです。

 

 

 

 

1990年代の民間からの難民支援

緒方さんが国連難民高等弁務官に着任された1990年代初頭、UNHCRはまだ日本の民間ではほとんど知られていませんでした。しかし緒方さんの活動が世界的に報道されるにつれ、徐々に認知されるようになっていきました。

 

あの頃、日本では国際化などと言われていましたが、民間のチャリティの国際化にまでは至っていなかったでしょう。それが情報テクノロジーが発達してきたということと、たまたま私のような日本人が国連難民高等弁務官になったものですからUNHCRについての認識が広がりました。でも難民のことを民間の方々に理解してもらうのはまだ難しい状況でした。難民支援には国境の問題もあり、どうしても政治や法律の問題が関係してきます。難民の受け入れの問題も、理解していただくのは難しいことでした。

 

――日本では民間からの寄付もまだ少なかった時代ですね。

 

そうですね。国連難民高等弁務官の仕事としては政府とタイアップすることが最重要でしたから、私の仕事もまずは各国政府との交渉が中心となりました。ただ、政府も世論の動きに敏感ですから、そういう意味で当時も民間はとても大事でした。私自身、経団連などにも足を運んでアピールしました。経団連をはじめ日本の実業界はずいぶん応援してくださいました。

イスラムを理解するということ

緒方さんが国連難民高等弁務官在任中、アフガニスタンやイラクなどイスラム圏で様々な問題が起きていました。緒方さんはイスラム諸国を何度も訪問し、難しい交渉にも臨まれました。

 

今でも中東地域の状況を日本で理解していただくのはとても難しいでしょう?

――はい、支援者の皆様にどう分かりやすくお伝えできるか頭を悩ませることもあります。

中東地域の場合、歴史を理解することも大切ですが、やはり宗教やグループ間の対立を理解することが必要です。宗教であれば、その宗教の中でどう分かれているのかも知らなければなりません。日本人はイスラム教にあまりなじみがないですから、スンニ派とシーア派ぐらいは知っていても、それぞれがさらに分かれているとなると実際の対立の構造を把握するのはかなり難しいでしょう。

――緒方さんが国連難民高等弁務官在任の頃の中東地域はどのような状況だったのでしょうか。

たとえばシリアは大きな国でしたがエジプトのようにしっかり統括されてはいなかったと思います。エジプトは大国で、政府側にしっかりした人もいました。当時も中東地域は荒れていましたが、エジプトを中心に徐々に収まると思いましたけれども、結局今でも不安定なままです。やはり中東地域は難しいです。安定しない状況は今後もしばらく続くでしょう。

――緒方さんは在任中、イスラム圏の様々な鍵となる人々にお会いになっておられますが、接する際に気を付けておられた点はありましたでしょうか。

 

やはりこちらの常識とは違うということをわかっておいた方がよいと思います。言葉が通じないと本当にお互いを知り合うのは難しいのです。私自身はイスラムの方々と接する機会はたくさんありましたし、イスラム圏にも友人はたくさんいました。

 

――以前「いろいろ違いがあっても、社会に不平等さえなければ人はなんとかやっていくのではないか」とおっしゃられたことがあったかと思いますが、中東でも不平等の是正が進めば状況は好転するのでしょうか。

 

それは非常に楽観的でしたね。ものごとはもっとずっと複雑です。解決の方向というのもとても多様です。今のイスラム圏の中の宗教やグループ間の対立がこれほど悪化するとは思っていませんでした。根が深い問題です。私の頃は連邦国家の崩壊が大きな問題でしたが、現在ではイスラム圏の中の崩壊が世界にとって非常に大きな問題だと思います。

 

c国連UNHCR協会

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良質な情報を発信し続けることの重要性

 

――今は難民・避難民の動向もより複雑になってきています。

 

情報が広がるということが人を不安にして動かす原因にもなっていると思います。情報を操作して不安をあおることもいくらでもできますからね。

――そういった情報をコントロールするのは難しいのでしょうか。

 

国家が情報をコントロールすることはもう無理でしょう。国や政府としてはそういう状況に耐えられるような政策というものを作っていかなければならないでしょう。

 

一方で、良質な情報を発信し続けることは大切です。例えば、民間から寄付を募る過程で情報を発信する側も、受け取る側も勉強します。情報を広めるということが、結局人を動かし、政府を動かす。それは大切なことだと思います。民間のファンドレイジング(資金調達)の意義はお金だけではないのです。お金をいただく代わりに、良質な情報をきちんと広めることはぜひ積極的にしていただきたいと思います。

例えばこれまでの成功例をもっと話していかなければなりません。かつて絶対解決しないだろうと思われた東西ドイツの分裂。しかし1989年にベルリンの壁が壊され、1990年にドイツは統一されました。ですから今解決しないと思われていることでも、永遠に解決しないわけではありません。時間はかかるけれど、努力を続けることで解決することもあるのです。成功例をきちんと伝えて解決に向かうような流れにつなげることが大切です。

 

――少しでも解決に向かう流れにつなげるように、情報を発信し続けるのですね。

 

その通りです。例えば頑固なリーダーがいたとしても、そこに働きかけていくような流れにつなげてほしいと思います。UNHCRはメディアをもう少し上手に使うことが必要でしょう。難民映画祭1などは良い試みです。映画というのは効果的な媒体ですから。また学生時代は国際問題・難民問題などに関心を持つのに最適な年代です。そういう若い年代に働きかける努力も忘れてはいけません。さらに、発信する側はペーパーワークだけでなく、生の経験・情報を持っている人とコミュニケーションをとりながら情報を発信することが大切です。

 

日本の進歩のためには人間同士の温かみが大切

 

――今後アジアで大きな危機があった場合、再びインドシナ難民のときのように日本が難民をたくさん受け入れる可能性はあると思われますか。

それは、状況によると思います。ただ、難民が発生することのないように外交や開発援助等を通して紛争を予防することが何より大切だと思います。紛争の被害者に対応する前に、紛争が起こらないよう努力しなければなりません。

 

――これから日本はどう変わっていくべきでしょうか。

 

日本にとってアジア諸国と良好な関係を保ち続けることは非常に重要です。例えば日本と中国は長いこと歴史が重なり合ってお互い発展してきました。昨年夏、中国の天津で開かれたサマーダボス注2に出席しましたら、経団連のトップの方々がいらしてました。今や日本がアジアの国々との共存なしにやっていける時代ではないということは、実業界の方々がより強く実感されているのではないでしょうか。

 

やはり日本は島国で、今までなんとなく自分たちだけを守っていれば生きていけると思っていたのだけれど、実態はそうではありません。明治維新以降、活動範囲を広げてきたのですから。日本は歴史的にいろいろなものを受け入れてきました。国際交流によって発展してきた国なのです。誰も彼も日本に入ってきたらいいとは思いませんが、必要に迫られて日本に来る難民の受け入れには寛大でなければなりません。そういう人たちに対してもう少し真摯に対応する必要があると思います。これから先、日本の進歩のためにはもっとオープンな気持ちを持ち、人間同士の温かみを大切にしてもらいたいと思います。

 

<取材:2015年6月5日 東京・JICA研究所>

【注1】UNHCR難民映画祭:UNHCR駐日事務所が主催して年に1度開催している映画祭。難民問題を扱った映画を集めて上映している。公式サイトはこちら→ http://unhcr.refugeefilm.org/2015/

【注2】サマーダボス:世界経済フォーラムが主催し、毎年夏に中国で開催されている「ニュー・チャンピオンズ年次総会」の通称。世界中から次世代を担う成長企業を集めて経済・社会・政治問題・環境問題について話し合う大規模な国際会議。夏季ダボス会議とも呼ばれる。

【注3】準教授:国際キリスト教大学における当時の職階の名称。

 

<プロフィール>

緒方貞子(おがた・さだこ)

1927年東京生まれ。聖心女子大学文学部卒業後、アメリカに留学し、ジョージタウン大学で国際関係論修士号を、カリフォルニア大学バークレー校で政治学博士号を取得。74年、国際キリスト教大学準教授3に就任。76年、日本人女性として初の国連公使となり、以降、特命全権公使、国連人権委員会日本政府代表を務める。80年、上智大学教授に就任。91年より第8代国連難民高等弁務官として難民支援活動に取り組む。2000年12月退任。01年より人間の安全保障委員会共同議長、アフガニスタン支援日本政府特別代表、国連有識者ハイレベル委員会委員、人間の安全保障諮問委員会委員長を歴任。03年、独立行政法人国際協力機構(JICA)理事長に就任。12年退任し、現在JICA特別フェロー。             (UNHCR駐日事務所公式サイトより)

<参考文献>(刊行年順)

国連難民高等弁務官事務所 編 『世界難民白書 2000――人道行動の50年史』時事通信社 2001年

東野 真『緒方貞子 難民支援の現場から』集英社新書 2003年

小山靖史『緒方貞子 戦争が終わらないこの世界で』NHK出版 2014年

 

<参考ウェブサイト>

ドイツ連邦共和国大使館・総領事館公式サイト

世界経済フォーラム公式サイト

 

***取材こぼれ話***

毎日、英字新聞を含む4紙に目を通し、趣味のテニスを週に1度、2セットプレーなさるという緒方さん。取材時には、今年9月に出版された『聞き書 緒方貞子回顧録』にとりくんでおられました。チャーミングな笑顔と凛とした姿が印象的でした。

 

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