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安全へと運ばれて コバネの難民、イラクへ向かう数千人に加わる

酸素ボンベとの旅

ムハンマド・アリは55歳の肺病を患う難民であり、トルコとイラクのクルディスタン地域の間の国境で、ガウィラン難民キャンプへと向かうバスの中に横たわっています。

ムハンマド・アリは55歳の肺病を患う難民であり、トルコとイラクのクルディスタン地域の間の国境で、ガウィラン難民キャンプへと向かうバスの中に横たわっています。

シリアの町コバネの難民が自分の故郷を逃れたとき、多くの難民はたった数分で何を持っていくか決めなければならなりませんでした。宝石や家族の写真、子どものお気に入りのおもちゃを持参したひともいましたが、55歳のムハンマド・アリは酸素ボンベを手に取りました。

 

「私は肺病を患っています。私は病気なので長く生きられるとは思いませんが、少なくともこうして自分の家族と一緒にいます」と彼はトルコから国境を越えイラクのクルド地域に到着した数分後にUNHCRに話します。

2500分の1の物語

彼は、10月10日にイラクのクルド地域政府が難民に対して国境を開放して以降コバネから国境を越えた2500人以上のクルド系シリア人の1人です。当局は今後数週間のうちにさらに何万人もの難民がやってくると予測しています。

 

イスラム国の戦士が9月中旬にコバネへ前進を始めたとき、ムハンマドと彼の家族は、砲撃を耳にし、食べ物と電気の不足に苦しみながらも、できるだけ町はずれの自分の家に留まりました。

家族の支え

戦闘が周囲の村にまでたどり着いたときでさえ、人々が殺され自分の家から追い出されているのを知りながらも、ムハンマドはどうしても逃げようとしませんでした。「私は家族に私を置いていくように頼みましたが、彼らは私を連れていくと言いました。」

 

弱って歩くことができなかったため、彼の息子たちは彼を酸素ボンベと一緒に車まで運び、すべての財産を置き去りにしてトルコの国境へと走りました。国境で車を捨てなければならなくなり、息子たちは彼をトルコまで運びました。

避難先・トルコでの苦難

コバネから逃れた約20万人のうち多くがシリアから国境を越えてトルコの町や都市で安全を探し求めました。ムハンマドと彼の家族はマーディンの町へ旅をし、残ったわずかなお金で生き延びようとしました。

 

イラクの国境のすぐ内側にある巨大なコンクリートの一時滞在所でマットレスに横たわり、酸素ボンベから吸入しながら、ムハンマドは、シリアを離れた後トルコで過ごした2週間、彼と家族は苦しんだといいます。「とてもひどい経験でした。持てるすべてを宿代、食べ物と旅で使い果たしました。」

 

彼はトルコにいる間なんとか2回酸素ボンベを補充することができましたが、地元の病院で医療援助を求めた際追い払われたと言います。

トルコからイラクへ

新しく到着した何百人ものシリア難民の多くが、同様の困難を味わい、トルコの高い物価に苦言しています。そうした難民たちと同じように、ムハンマドと彼の家族はイラクのクルド地域への越境が解放されたと聞いた時、滞在していた町を離れ国境へと向かいました。

 

一時滞在所で少し待った後、ムハンマドは再び息子の1人に抱えられてバスの後部に座り、イラクのクルド地域の首都、アルビルの近くのガウィラン難民キャンプへと3時間走りました。そこでは、彼と他の難民たちはUNHCRによって登録され、シェルターや、食べ物や布団、そして毛布などを含む基本的な支援物資を支給されるのです。

未来

いったん登録されると、彼と彼の家族はアルビルに住み働いている彼の兄弟と合流することを望んでいます。疲れ果て涙をこらえながら、ムハンマドは、自分が二度とコバネに帰り我が家を見ることはないかもしれないと知っているけれど、自分の家族が安全を手に入れたことに感謝していると言います。「それ以上に、私の未来は神の御手にあるのです。」

 

詳細はこちらから(英文)

 

 

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