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未来を見つめている難民選手団

10人の難民が歴史的を作ったオリンピック大会から、現在4か月が経ちました。この出来事は彼らにとって、人生を変える経験になりました

難民選手団のメンバー。フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官と2016年リオオリンピック選手村のUNHCRスタッフと共に

2016年12月29日 ― 2016年8月、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた2016年のオリンピック大会で、難民のアスリート10名が史上初の難民選手団として歴史を作りました。大きな困難にもかかわらず彼らが達成した偉業は、世界中の人々の心をつかみました。その後彼らはどうしているのでしょうか。彼らは今どこにいて、何をしようとしているのでしょうか。そして、この経験が彼らの人生にどのような影響をあたえたのでしょうか。

テグラ・ロルーペ、43歳、ケニア出身、難民選手団リーダー

マラソンの元世界記録保持者と難民選手団のリーダーであるケニア出身のテグラ・ロルーペ。オリンピック選手村にて

テグラ・ロルーペは、断固とした決意、粘り強さ、謙虚さとはどういうことかを、いつも思い出させてくれます。

 
優れた長距離のランナー、平和使節、そして最近でいえば、リオの難民選手団のリーダーである彼女は、紛争が多発するケニア北部の地域で育ち、紛争による破壊的で否定的な影響を直接目にしてきました。

 
選手団の世界的な成功をうけ、彼女は2016年10月、“UN Person of the Year”に選ばれました。「とても誇りに思いますし、今まで背負ってきた重たい荷物が価値あるものだったと感じました。」

「この人たちは自ら望んで難民になったのではありません」

彼女は国際オリンピック委員会に請願し、1か月後、ケニアの難民キャンプで予選が行われました。オリンピックのための選手を育てることが容易ではないことを彼女は知っていました。

 
史上初の難民選手団が正式に承認されたこと、リオの開会式で受けた熱狂的な歓迎、ローマ法王からの激励のメッセージ、それらすべてが彼女にとって歴史的な瞬間でした。彼女は、この成功が、ナイロビのオリンピックセンターの改善への助けとなることを願っています。「すでに私たちのための扉は開かれています」と彼女は言いました。「現に、何人かの選手たちが大使や広報官となっています。」

 
テグラは、選手たちから“母なき者の母”と呼ばれ慕われています。「この名前を気に入っています。彼らの母となれることを誇りに思います」と彼女は言いました。「この人たちは自ら望んで難民になったのではありません。」

ユスラ・マルディニ、18歳、シリア出身、女子競泳100メートル自由形・バタフライ

ドイツで練習を続けるユスラ・マルディニ

ユスラ・マルディニは、目まぐるしく過ぎた年のあとも、熱心に練習に取り組んでいます。リオでの闘いの後、このシリア出身の水泳選手は世界のリーダーたちに語りかけ、ローマ法王に会い、数々の賞の栄誉を受けました。

 
彼女はいま、夢である2020年東京オリンピックの出場権獲得に向け、練習に励んでいます。オリンピックはまだ4年後ではありますが、厳しいトレーニングや短期合宿、試合でユスラのスケジュールは埋め尽くされています。嘘だと思ったら、プールに行けば彼女が見つかるはずです。

 
「リオから私はずっと一生懸命練習してきました」と、ユスラはUNHCRに話しました。「でも、それと同時に、世界中の難民をどうしたら助けられるかということもたくさん考えてきました。」ユスラは今も、自分の故郷であるシリアのことを心配しています。たくさんの親戚がいまなおダマスカスで困難な生活を送っているのです。

「世界中の難民をどうしたら助けられるかということもたくさん考えてきました」

ユスラは、避難や移住という自身の経験から、難民問題を世界における優先事項とするための手助けをしようと強く思っています。彼女は、2015年9月にニューヨークで開催された難民と移民に関する国連サミットでの演説では、注目を集めた経験を土台として、人々にやる気を起こさせるようなスピーカーのスキルを身に着けることに熱心です。

 
「私の人生で一番大事なのは水泳です」と彼女は言いました。「そして、難民を助けるために語ったり何かをしたりするのがその次にきます。もちろん、勉強も大事ですが、今はそれよりも世界に向けて話をする方がより多くのことを達成できる気がするのです。」

イエーシュ・ピュール・ビエル、南スーダン出身、陸上男子800メートル

フランス・パリを訪れエッフェル塔やエトワール凱旋門を見学するイエーシュ・ピュール・ビエル

イエーシュ・ピュール・ビエルにとって、オリンピックは、彼のスポーツの腕前を披露するだけではなく、それ以上に意味のあるものとなりました。彼のオリンピック出場は、歴史の本に残るような出来事であり、12年ぶりに家族とつながるという信じられないような経験へと導きました。

 
彼は2005年に南スーダンを逃れてから、家族と離れ離れになっていました。ソーシャルメディアを通じて彼がUNHCRの支援によりリオにいることを母親が見つけ、連絡を取ることができたのです。

 
「12年ぶりに母と話すことができたのは素晴らしいことでした」と彼は言いました。

 
21歳のイエーシュは非公式の難民のための大使を引き受けました。「私にはいまもう一つの家族がいます、6,530万人の、難民という家族です」と彼は言いました。

 
彼はリオ以降、たくさんのイベントで注目を浴び、多忙な日々を送っています。難民についてのサミットに参加した時から、国連総会で #WithRefugees #難民とともに の嘆願書の引き渡しに立ち会うまで、彼のメッセージは変わっていません。難民は他のみんなと同じ人間です。

「私には、難民というもう一つの家族がいます」

彼は、この経験が自分自身に数々の素晴らしい機会を与えてくれていると言いました。「私は今、たくさんの人と自分の話を共有する機会があり、たくさんの人々の刺激となっています。旅をすることが、私の話を共有する機会をたくさん与えてくれました。」

 
彼は2020年東京オリンピックで、目標であるケニア人のデイヴィッド・ルディシャ選手の持つ世界記録を更新するため、日々練習に励んでいます。

 
「リオでルディシャに会ったとき、東京であなたの記録を破ると伝えました」と彼は言いました。「彼は私を激励し、ぜひ破ってくれと言ってくれました。」

ラミ・アニス、25歳、シリア出身、水泳100メートルバタフライ

ラミ・アニス(白のスウェットシャツ)。フランスのパリで出席したイベントでブロガーたちと

「私の人生は、本当に変わりました」と、シリア人水泳選手のラミ・アニスは、オリンピックからの数か月を振り返って言いました。「オリンピックは、私の決心を固くしてくれました。今は闘うことに集中したいです。」

 
25歳のラミは、メディアのオファーや著名人からの支援のメッセージが彼のFacebookのページに殺到し続けたと言います。リオでの生活は楽しかったものの、当時はストレスも多かった、とトレーニングウェアに身を包みソファで紅茶をすすりながら彼は言いました。

 
ベルギーの彼の地元では特別式典などで彼の偉業をたたえ、そこで彼は、学校に通う難民の子どもたちに才能を磨くことや夢を追い続けることについて話をしました。

「今は、闘うことに集中したいです」

ラミは、自分のタイムが良くなったと言います。リオでは100メートルバタフライを56.2秒で泳ぎ切りましたが、それ以来彼は1秒以上タイムを縮めています。2020年東京オリンピックの出場権を勝ち取るためには54秒をきることが必要であり、それが彼の目標です。

 
難民選手団は解散しましたが、国際オリンピック委員会は、難民選手団の10人の選手に対し2020年東京オリンピックまで経済的サポートを引き続き行うことを保証しました。

 
ラミの月収はクラブの料金、トレーニングキャンプ、試合の参加費、そしてトレーニング用具などに使われています。

 
VISAは、一度限りの支援金を彼に与えました。「リオでの約束があったので、支援があることはわかっていましたが、ここまで寛大なものとは思っていませんでした。」

 
ラミは、ベルギーでの言語や文化に対し今もなお難しさを感じています。彼は、プールの外での自由時間はチームメイトと共に過ごしています。彼は地域に溶け込むためのコースに弟と父と共に参加したばかりで、そこでベルギーでの生活について、どのように溶け込み、仕事を見つけるかということを学びました。

ヨナス・キンド、36歳、エチオピア出身、マラソン

リオオリンピック最終日にマラソンを終えた、ルクセンブルク在住のエチオピア難民、ヨナス・キンド

エチオピア出身のマラソン選手であるヨナス・キンドが、彼にとって初めてのオリンピックで闘ったのはたった4か月前のことですが、彼はそれ以来様々な面で大きく変わりました。リオでゴールした時の坊主頭は今ではミニ・アフロになりました。

 
彼は、髪を伸ばした理由として、「ルクセンブルクのトラックは寒いから」と言います。

 
これは、この36歳が、リオ以降どのように生活に適応していったかを示す一例です。彼は語学のクラスに通っていて、楽にルクセンブルク語とフランス語で会話をしている様子が見てとれます。彼は、アビエルという23歳のエリトリア人のコーチも始めました。
「あるレースを終えた後、彼に私と一緒に練習をするようにと言いました」と彼は語りました。「君のためになることだと。それで、彼は続けました。」

「東京で闘うことがわたしの目標です」

ヨナスは、エチオピアで学んだマッサージと理学療法のスキルを生かし、ルクセンブルクのスポーツ総合施設とトレーニング指導をするための契約を結びました。彼の希望は、この6か月の経験をより大きな何かへとつなげることです。

 
「私はとても困難な状況にいます。私の家族は今なおエチオピアにいます。私の目標は、フルタイムの契約を得ることです。妻と娘をルクセンブルクに連れてきたいのです。」

 
政府の行政制度からすると、この目標を達成できるかどうかが定かではありませんが、ヨナスはもう一つの目標に関しては楽観的です。

 
「東京で闘うことが私の目標です」と、2020年に日本にトップアスリートが集まる頃には彼自身40歳になっていることを知りながらも、彼は自信満々に言いました。彼は、ルクセンブルクを代表して走りたいという想いがあり、そのために市民権を申請していると語りました。

アンジェリーナ・ナダイ・ロハリス、21歳、南スーダン出身、女子陸上1,500メートル

カクマ難民キャンプで親戚の子ども達にリオの思い出を話すアンジェリーナ・ナダイ・ロハリス

オリンピック大会に行くことは、アンジェリーナ・ロハディが子どものころから抱いていた、“飛びたい”という夢の実現でした。この23歳の長距離ランナーは、リオで受けた歓迎に圧倒されました。

 
「観衆に歓迎されたとき、とても感情的になってしまい、涙がこぼれました」と彼女は言いました。
彼女は子どものころ南スーダンで、母から言われた用事でたくさん走っていましたが、当時はそれについて特になんとも思っていませんでした。リオで1,500メートルを走ってから、彼女の人生は大きく変わりました。

 
「いつかこのような舞台で走れるとは全く思っていなかったので、私にとって夢のようなことでした」と彼女は言いました。

「難民という自分のステータスを無視して、ただ自分の人生に集中できるかどうかです」

彼女は、東京オリンピックと、その前にある他の大きなレースに焦点を合わせています。リオ以降、彼女はウガンダとカナダに行き、オタワで行われた“One Young World Summit”に参加しました。このサミットは、「21世紀の挑戦に立ち向かう」ため、地球規模の問題を議論したり解決策を見つけたりする若いリーダーたちのための国際フォーラムです。

 
「難民キャンプにいる人々を勇気づける、とても良い機会になったと思います。彼らは今ではたくさんの希望を持っています」と彼女は言いました。

 
彼女のメッセージは、特に若い難民女性にとってはとても明確なものでした。「他の人に世界記録が破れるなら、私にできない理由がありますか?」と彼女は言います。「難民というステータスを無視して、ただ自分の人生に集中できるかどうかなのです。」

ローズ・ナティケ・ロコニエン、23歳、南スーダン出身、陸上女子800メートル

ローズ・ナティケ。ジュネーブで行われた国連のイベントにて

21歳のローズ・ナティケ・ロコニエンにとって、難民選手団を率いて開会式に登場したリオオリンピックでの姿は、まさに奇跡に他ならないものでした。

 
「オリンピックは素晴らしいものでした」と彼女は言いました。「私が旗手に選ばれてマラカナンスタジアムに入場した時、世界中の人々が私たちに歓声を上げました。」

「世界中の人々が私たちに歓声を上げました」

この経験は、ローズだけでなく、世界中の難民にとって初めてのものでした。この時から彼女は、固い決意をもって、彼女の専門である陸上女子800メートルのタイムを縮めるトレーニングを続けてきました。

 
「この経験は私にトレーニングを続ける情熱を与えてくれました。私はキャスター・セメンヤ(女子陸上800メートル金メダリスト)と一緒に走ったのです。少なくとも一生懸命トレーニングをして、彼女に追いつきたいです」と彼女は語りました。

 
ローズはコンピュータと地域開発の勉強に熱心に取り組んでいます。彼女はスイスやスウェーデンなどの国々にも旅をしました。スウェーデンでは、プロテスタントの宗教改革50周年を記念して2日間の旅に来ていたローマ法王にも会いました。

 
「びっくりしました。ローマ法王が私の手を握ってくださったから」と、彼女は笑顔で言いました。
彼女は、他の人々を勇気づけることにモチベーションを感じています。「難民であるというだけで、他の人ができることができないわけではありません。難民とは、ただのステータスなのです」と彼女は言いました。

ジェームス・ニャン・チェンジェック、28歳、南スーダン出身、男子陸上800メートル

ジェームズ・ニャン・チェンジェック。ケニアのカクマ難民キャンプの家の外で

ランナーであるジェームス・ニャン・チェンジェックにとって、リオオリンピックでのハイライトの一つは、ブラジルのサッカーのスター選手であるネイマールに会ったことです。
「彼は、過ぎた過去のことは忘れ、将来自分が何になりたいかに焦点を合わせるよう私たちに教えてくれました」と南スーダンの難民は思い返して言いました。「一生懸命取り組み、他を尊重するようにと。」

 
現在はケニアに住む24歳のジェームズは、スポーツが彼を今まで想像したことのないところにまで連れて行ってくれると信じています。「スポーツに本気で取り組めば、スポーツはあなたを…より良い人にしてくれるはずです」と彼は言いました。「スポーツは人々をひとつにし、人々の間に平和をもたらしてくれます。」

「難民キャンプで、他の若い難民たちを手助けしたいです」

彼は2017年の世界陸上競技選手権大会を見据えており、他の難民にも闘うチャンスが訪れればと願っています。「私は、難民キャンプにいる人々がもっとこのようなレースに出られればと思っています。私たち難民は、次のレベルに進むために一生懸命頑張らなければならないからです」と彼は言いました。

パウロ・アモトゥン・ロコロ、24歳、南スーダン出身、陸上男子1,500メートル

パウロ・ロコロ。Sport At The Service of Humanityというイベントでの講演前に訪れた、バチカンの聖ピーター広場にて

パウロ・アモトゥン・ロコロはオリンピックの経験を思い出して微笑みました。「たくさんのことを経験し、違う国籍の人々と会ったことは、難民の私にとってとても素晴らしいことでした。」
24年間、彼は出身地の南スーダンとケニアのカクマ難民キャンプから出たことがありませんでした。彼の走りは、彼を難民選手団の一員とし、さらに陸上1,500メートルの選手として出場することを可能にしました。

 
彼は伝説のマラカナンスタジアムの威厳に打たれ、位置についたとき錚々たる面々に怖気づいたことを認めています。「私は、テレビやラジオでしか知らなかった優れた人々に会いました。彼らと走れるかどうか不安でしたが、私は毅然として自分のベストを尽くさなければならなかったのです」と彼は語りました。

「私はすごいランナーになれると思います」

彼はメダルこそ獲得できなかったものの、さらに賢く、自信をつけてリオを後にしました。パウロはもっと速くはしれるようになって、マラソンランナーとして新たな情熱をもって2020年東京オリンピックに臨むことを決意しています。そして、学業を終えて南スーダンで家族を支えたいと思っています。

 
何よりも、彼は世界中の難民たちに誇りを持ってほしいと思っています。「オリンピックの前、私はあまり練習する時間が取れませんでしたが、こうしてリオオリンピックに出ることができました」と彼は言いました。「今はトレーニングの時間がこれまで以上に取れますし、きっとすごいランナーになって、難民の仲間たちに誇りを持ってもらうことができると思います。」

ポポル・ミセンガ、24歳、コンゴ民主共和国出身、男子柔道90キロ級

オリンピックの柔道家ポポル・ミセンガ。ブラジル、リオデジャネイロの自宅前の階段でパートナーのファビアナ、そして彼らの子ども達と

リオオリンピックが終わってから、24歳の柔道家ポポル・ミセンガは、今なおコンゴ民主共和国に住んでいる兄弟姉妹たちと再会できる可能性のことで、頭がいっぱいでした。
彼は試合の直前、子どものころから身内と連絡が取れなかったことを話しながら、報道陣の前で涙を流しました。

 
そして彼は、試合への出場によって連絡を再び取れるようになることを願い、それが実現しました。
「僕は生きている!生きているよ!」彼は兄弟からかかってきた電話で、携帯電話に向かって叫びました。

 
「これは私にとって、試合が終わってから最も重要なことでした。私は弟2人と妹1人をコンゴ民主共和国からリオに連れて行きたいのです」と彼は言いました。「彼らもほかの国で人生をやりなおすチャンスを与えられるべきなのです」とポポルはUNHCRに語りました。

 
ポポルは2013年世界柔道選手権大会でブラジルに行ってから、ヨランデ・マビカと共にブラジルで庇護を求めました。彼はいまリオデジャネイロの郊外にあるブラース・デ・ピナという貧しい地域に住んでいます。

「私は東京でメダルをかけて闘いたいのです」

2020東京オリンピックを念頭に置き、彼は月曜日から土曜日まで毎日、リオまでの準備をしてくれた同じコーチにトレーニングを受けています。「リオオリンピックまでに私は十分な準備をすることができませんでした」と彼は言いました。

 
「でも2020年まではあと4年あります。東京ではメダルをかけて闘いたいです」と、難民選手団が再び結成されるかもその一員になれることも定かではないながらも、彼は付け加えました。
もう一つ彼の人生にとって大事なことは、11月に父親になることです。

 
「私は以前よりもっと安定した生活を手にし、家族をより支えられるようになっています」と彼は言いました。「また、私はコンゴ民主共和国からの子ども達も助けたいと思っています。私は彼らが直面している困難を良く知っています。若者を支援することは私の義務のひとつなのです。」

ヨランデ・マビカ、28歳、コンゴ民主共和国出身、柔道女子70キロ級

柔道のコーチングセッションにて、幼いブラジル人の少年とポーズをとるヨランデ・マビカ。コンゴ難民から2016リオ五輪で闘った選手となった

毎日、リオオリンピックのためにトレーニングをした施設と同じ場所に向かう前に、コンゴ人の柔道家であるヨランデ・マビカは自分のFacebookページを確認します。彼女のソーシャルライフは以前より忙しくなりました。「私は今、笑顔が増えて、前よりも素敵な人になりました」と彼女はUNHCRに語りました。「悲しみは、私の昔の人生の話です。」

 
集中的なポルトガル語のコースを含む月曜から土曜にかけての厳しいトレーニングの中でも、29歳のヨランデは時間をみつけて、宣伝のための昼食会や2016年リオオリンピックのスポンサーの企業とのイベントなどに参加しています。

 
国際オリンピック委員会やスポンサーのおかげで、彼女は共用の部屋から今一人で暮らす新しい家へと移ることができました。彼女は、柔道を主としたスポーツ活動を弱い立場にある子ども達に提供する組織の設立を計画しています。

「今度は、私が最も弱い立場にある人々を助ける番です」

しかし、言葉の壁は依然としてあります。「この組織を設立するため、私は学位が必要です。とても難しいことですが、やり遂げるつもりです。」

 
コーチのサポートにより、ヨランデは自分がトレーニングを行っている施設の何人かの先生の支援をしています。彼女は、リオで弱い立場にある人々をサポートするためのボランティア活動も行っています。

 
最近、彼女はシリア難民のシェフがホームレスに食事を提供するレストランで、ウェイトレスとして働きました。「ブラジルに着いたとき、たくさんの人々が、私が食べ物を得られるよう助けてくれました」と彼女は言いました。「今度は、私が最も弱い立場にいる人々を助ける番です。」
ヨランデにとっては自分の代表的な役割を担っていると強く感じています。「私は今なお難民を代表しています。私はこの物語の一部なのです。」

 
By: UNHCR staff

 
原文はこちら(英文)
Team Refugees: Looking to the future

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