
ウクライナ。緊張が続く接触線そばの村で冬を迎えるということ
紛争開始から約8年。
紛争と隣あわせの日々の中で厳しい冬を迎えている人々が今、必要としている支援とは…
ウクライナ領の境界にほど近く紛争によって影響を受けている地域に住むナタリア。背中に砲弾を受け、取り除いたものを見せてくれた
何千人もの民間人が犠牲となった2014年の紛争により、多くの人々が爆撃で破壊された家々で貧困生活を強いられているウクライナ東部。停戦合意がなされた以降も銃撃は止まず、人々が暮らしていくための基本的サービスやインフラ、社会的セーフティーネットを奪われ、国籍すら持つことができない人々もいる中、地雷と不発弾が残された地で、多くの国内避難民が家を追われた状態となっています。
どうぞ、知ってください。世界から「忘れ去られた危機」の中、ウクライナ東部の人々がどのような苦難を強いられているのかを。
ウクライナ東部、国境の紛争地域に暮らす人々
ステファニア(71歳)

ここの冬は寒くて風も強いのです。気温はマイナス10度くらいになります。この時期、砲撃によって、ここで生活していくのは難しくなります。始まったら地下室に避難するのですが、とても寒いのです。2015年に私の家が砲撃されたときは、厚手の服とブランケットを持って逃げました。砲撃が止んだ後に家に戻ると、おかしなことに、冷蔵庫やテレビなど、多くのものは壊れていませんでした。ただ天井がなくなっていて。においもひどかった。いろいろと燃えていて、私は近所の人の家に身を寄せました。冬の後、私は腎臓と心臓を患ってしまいました。
ウラジスラフ(64歳)
妻には数年前に先立たれました、と語るウラジスラフ
2015年に家が爆破された後、家の地下で生活しました。近所の人たちも私のところにきて、外からは砲弾の音やガスパイプが爆破する音が聞こえました。庭の木を切り倒して暖をとるしかありませんでした。日々のパン、ガスも電気もなく、夏に収穫したジャガイモを食べて切り抜けました。外に誰かが行くときには、どこへ行くのか聞くようにしていました。戻ってこなかったときに、探しにいけるように。今は怖くて、ひとりではいられません。近所の人たちには感謝しています。午後には彼らの家に行って、温まらせてもらうのです。石炭はとても高いので、冬に買えるように、夏は生活を切り詰めてあまり食べません。年金はわずか(約67米ドル)ですから、その余裕はありません。
オレナ(23歳)
接触線にほど近い自宅アパートで
今起きていることの矢面に立たされているように感じます。紛争のせいでセントラルヒーティング(暖房システム)は機能していなくて、UNHCRとそのパートナー団体からストーブを受け取ったとき、本当にうれしかった。暖房が一番重要ですから。ほかの団体も助けてくれています。子どもを抱えながら、ここで暮らすのは本当に大変ですから。ここより安全などこかへ引越せたら、そう願っています。病院も薬局も近くにありませんし、もしも何かが起きた時、どれだけ早く救急車が駆けつけられるか、いつもそればかり気にしています。
現地で必要とされている主な防寒支援

- 燃料と暖房器具の支給
- 冬服や毛布の配布
- シェルターの支援
- 集合避難所の支援 など
長く厳しい冬、UNHCRは支援を継続しています
紛争で影響を受けている地域に届ける緊急・防寒支援
極寒の冬に先立って、UNHCRは他団体と協力し、紛争の激しい接触戦に隣接しその影響を受けているコミュニティに救援物資を届けました。 パートナー団体の協力を得て、救援物資各種、シェルター関連素材、給水装置、ポリオワクチンなどを現地で配布するとともに、数百軒の家屋を修理。さらに、以前はアクセスすることさえできなかった孤立地域の世帯にも、直近の砲撃を受けて生じた住民の差し迫ったニーズをもとに支援物資を届けました。
過去に支援を受けて安全な地域に引っ越したナディヤ(59歳)の声
紛争が始まってから私たちがどんなふうにここまで乗り切ってきたか、きっと想像できないでしょう。最初の2年は紛争の境界領域からほど近い村で暮らしていて、毎日砲撃がありました。家は損壊し、飼っていた犬は死にました。埋まっていた地雷のせいで私たちは身動きがとれませんでした。とりわけ冬場の暮らしは厳しく、窓が割れていたので、家の中を暖かくするのに苦労しました。雨漏りもひどく、ほとんどの時は電気がない状態でした。毎日怖くて、私たちにはどこにも行くところがありませんでした。
UNHCRのパートナー団体プロリスカのおかげで2016年、安全な場所に避難することができました。彼らは私たちに手を差し伸べてくれた最初の団体であり、とても感謝しています。食べ物や温かい洋服、石炭、薬も持ってきてくれました。

最近、コンサートに行きました。皆が楽しんでいる一方で、思わず泣き出してしまったんです。人生はなんて公平ではないんだろうって。幸せな人生を送ることができる人もいれば、紛争のすぐそばの村で生きるために必要な最低限のものさえない暮らしを送る人もいるのだから。
― ナディヤ(59歳)
UNHCRによる国内で避難を強いられている人々(国内避難民)への支援
支援対象を難民(国境を越えて避難してきた人々)としていたUNHCRは1991年国内避難民の保護・支援も担う方針に転換。これにより、国内紛争が増加した90年代以降の時代に対応した援助活動ができるようになりました。この決断に踏み切ったのが、同年第8代国連難民高等弁務官に就任した緒方貞子さんです。このときの決断によって、現在のウクライナの状況を含む、国境を越える越えないにかかわらず、人命を最優先にした国内避難民の支援が実現しています。のちに緒方さんはこう語っています。「命を助けることが最優先です」*。
* 出典:国連UNHCR協会ニュースレター With You 40号

紛争地がもっとも激しい接触戦に隣接する村々では、
生きために必要な最低限のものさえないなかで、
極寒の冬を迎えている家族たちがいます。
皆様の温かいご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。
皆様のご支援でできること

自然環境が厳しい中で必要不可欠な
保温性の高い毛布26枚

厳しい冬の寒さを和らげる
ストーブと専用ガス2家族分

厳しい冬季の暮らしをつなぐ
現金給付3家族分
※1ドル=106円換算
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)とは?

1950年に設立された国連の難民支援機関です。紛争や迫害により故郷を追われた難民・避難民を国際的に保護・支援し、水や食料・毛布などの物資の配布や、難民キャンプなどの避難場所の提供、保護者を失った子どもの保護や心のケアなど、最前線で援助活動に尽力しています。1991~2000年の間、緒方貞子さんが第8代国連難民高等弁務官を務めました。
この国連の難民支援活動を支えるため、広報・募金活動を行う日本の公式支援窓口が、国連UNHCR協会です。
- 当協会へのご寄付は、税控除(税制優遇)の対象になります。お送りする領収証は確定申告にご利用いただけます。
- ご支援者の皆様にはメールニュース、活動報告等を送らせていただき、難民支援の「今」、そしてUNHCRの活動を報告させていただきます。
- Webでご寄付いただく際の皆様の個人情報はSSL暗号化通信により守られております。
*皆様のご支援は、UNHCRが最も必要性が高いと判断する援助活動に充当させていただきます。

