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南スーダン緊急支援

食糧不足のため、何百人もの難民がスーダンに戻ることを余儀なくされる

南スーダンのドロ・キャンプで、若い家族と共にシェルターの前に座るモメン・バシール。食糧を求めて故郷への危ない道のりを戻ったスーダン人の難民数百人のうちの一人です。

最悪の飢えに直面しつつある南スーダン

飢えに突き動かされて、南スーダンのマバン州に避難していたスーダン難民数百人が、戦争で破壊されたスーダンの青ナイル州に、食糧を探しに戻りました。

「現在の食糧危機は、南スーダンの多くの地方で人道援助活動を妨害してきた不安定な情勢の結果です」と、コスマス・チャンダUNHCR南スーダン事務所代表が述べました。そして、UNHCRとパートナーが現在の不安定さの中で支援物資を動かすことが難しいために、食糧不足の影響を受けたマバンのキャンプから、2000人もの人々が国境の向こうに戻ったと付け加えました。

チャンダは、食糧がなければ、庇護の権利にはほとんど意味がないことを懸念していると言いました。「私たちは、5月9日にサルバ・キール大統領と、反政府勢力リーダーのリエク・マシャールによって署名された和平取引により、マバン州の難民や弱い立場にある人々に、十分な食糧を素早く車で届けられるようになることを期待しています」と付け加えました。

キール大統領はBBCとのインタビューで、何百・何千もの人々を国内避難民とした争いが終わらない限り、南スーダンは「これまでで最悪の飢餓」に直面しつつあると警告しました。マバン州にいる12万5000人の難民たちは、スーダンでの争いを逃れるために南スーダンに避難した人々です。

食糧を求め、命がけの道のりを行く難民

マバン州にいるモメン・バシールのような難民たちは、スーダン軍と反対勢力のスーダン人民解放運動北部が争い続けるスーダンへの侵入など、食糧を探すための必死の試みに走っています。バシールは、ドロ難民キャンプから青ナイル州極南部のヤブスへ、家族に食べさせるために充分な賃金を稼ごうと、雇用先を探しに行ってきたばかりです。

「私がヤブスに到着して3日後に、爆弾の爆発がありました」とバシールが回想し、すぐに南スーダンに戻ったことを付け加えました。「私は命をかけました。でも、1キロの小麦粉と塩の小さな包みを買うだけの、20(スーダン)ポンドしか稼ぐことができませんでした。」

援助機関が充分な食糧を供給することができないために、30歳のバシールは家族の長として、妻、7人の子ども、年配の母親と3人の叔母を含む家族のために何かせねばならないと感じたと言います。

「男として、家族を食べさせることは私の役目です」と彼は強調しました。「人々は苦しんでいます。キャンプを歩き回ると、人々が痩せ細り、力を失いつつあることに気づきます」とバシールは言い、キャンプのレストランの水運び人として働きに出ている間に、弱っておなかをすかせた子どもが死んでしまった若い母親について語りました。

バシール自身の子どもたちも、何週間か前に学校に行くのをやめました。「私は子どもたちを学校に送りに行っていたのですが、彼らは1時間も経たないうちに、からっぽのお腹で勉強することに耐えられず家に戻ってきました」と彼は言い、「子どもたちを学校に戻らせることはかわいそうでできませんでした。彼らは幼すぎます」と切なげに付け加えました。

若いバシールは、彼の60歳の母親が、市場で売るために乾いた草を何日もかけて編んでマットをつくっていることを情けなく思うと言いました。彼は、ヤブスへの旅で解決策を得られることを期待していましたが、また一から始めなければなりません。

UNHCRの努力

「私たちは難民達の苦しみを認識しています」と、マバン州のアダン・イルミUNHCR事務所長が言いました。「彼らの生存は食糧支援に大きくかかっています。私たちは、マバン州に食糧を届けるため、C-130型の航空機が着陸できるように滑走路を広げることを含め、あらゆる手を尽くしています。」

UNHCRはまた、難民たちが国境を越えて戻ることを思いとどまらせるよう、難民の指導者たちに協力を呼びかけています。「青ナイル州では、常に直接または間接的な襲撃のリスクがあります」とイルミが言いました。「そして、子どもや若者を含めて、戦闘中の部隊からの勧誘が常にあります。」

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ナビ Food shortage forces hundreds of refugees back into Sudan


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