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そして、私には、街の人々みんなに申し訳ないという想いがしきりにこみあげてきました。幼なじみの友人たちは、この大災害から立ち上がろうと、苦しみに耐えながら懸命に活動しています。私は、皆から遠く離れて好きなことをやり、いざというときには何の役にも立てないではないか、故郷に残り、皆と一緒に働くべきではなかったのか、そんな想いから逃れられませんでした。 避難所に着くと、集まっている人々は疲れきった様子で、声をかけるのさえはばかられるほどでした。しかし、私が国連の支援を届けにきたと知ると、誰もが心から感謝してくれました。そんななかで、私をハッとさせたのは、一人の老婦人がお孫さんと電話をしている会話でした。「もしもし、おばあちゃんは大丈夫よ。世界中の人が助けに来てくれているからね、心配しなくても大丈夫よ」そういって、老婦人はお孫さんを安心させ、励ましていたのです。 実際、石巻には世界中から救援物資が届き、NGOやボランティアなど多くの支援者が集まっていました。普段、外国人に接する機会があまりない街の人々は、外国から駆けつけ、不眠不休で助けてくれている人々に感動し、励まされていたのです。世界中の人々が自分たちのことを心配してくれている、わざわざ遠くからやってきて助けてくれている。「まげでたまっか、がんばっぺ!」と勇気付けられていました。私は、UNHCRで難民支援として自分がしてきたことはまさにこういうことだったのだと気がつきました。UNHCRの仕事の意味、そして、これから何をするべきかをあらためて知らされました。 東北は、どんなに道のりは険しくとも、必ず立ち上がり、世界の理想郷として復興以上の姿を見せることができると確信しています。 Q2 避難生活を強いられている人々に何ができるのでしょうか?
大規模な紛争や自然災害から立ち直るのには時間がかかります。私たちにとって大切なことは、決して途切れることなく支援を続けるということです。東北大震災の被災者に必要なことも同じだと思います。あまりの大災害の前で途方に暮れている。これからも、決して短くはない年月、大変な困難に立ち向かわなければならない。そんな中では、誰もが、もうだめだと挫折しそうになることがあるはずです。でもそんなとき、「大丈夫ですよ、一緒にがんばりましょう、皆が応援していますよ」と、絶えることなく、支援を続けていれば、あきらめかけた気持ちをまた奮い立たせて進むことができるのです。 石巻で被災した私の母は2週間ほど横浜の私の自宅に避難していました。それまでは、津波に襲われたときに一緒にいた知人宅に10日間もお世話になり、配られたもので耐え、電気や水道をはじめ、新聞やテレビなどなにもない中、何が起きているのかよくわからない状況だったようです。それが横浜に来てテレビや新聞で初めて事態がわかってきた。そうすると母は、もうこうしてはいられない、みんなを励まさなければならないと石巻へ戻っていきました。私の母は、美しい日本に生まれてきた、そして、本当に日本人らしい矜持をもった人だと思います。 UNHCRは、世界の将来を担う子どもたちの支援に力を入れています。私がスリランカで活動していたとき、反政府軍が支配する地域には何もありませんでした。それでも、子どもたちは屈託なく遊んでいる。子どもたちには、いつもやっているような何気ない遊びが大切なんです。私は仲間の同僚と協力し、政府側を説得し、反政府側に暮らす子どもたちにユニフォームとサッカーボール、靴をそろえて届けました。子どもたちは大喜びでした。私が離任した後も、何年も大切に大切に使っていることを聞きました。東北の子どもたちも同じでしょう。早くいつもとかわらない遊びができる環境にしてあげる。それが、子どもたちのキラキラ輝く心をいつもと同じところへ戻してくれると思います。 Q3 世界各地で勤務されて、日本をどうご覧になりますか?
日本人は働き者で、小さいながら立派な国を作った。自分たちも日本のようになりたい。そういう日本に対する感謝や期待を、私はUNHCRの仕事を通して感じてきました。そういう日本だからこそ、世界が心配し応援してくれるのだと思っています。「日本がそんなひどい目にあっていいはずがない、早く立ち直ってほしい、日本ならできる、今までよりもっと立派な国になってくれる」そんなメッセージが、世界各地からひしひしと伝わってくるのです。 UNHCRが世界の難民のために活動できるのは、支援を続けている皆様の力あってこそです。皆様のご支援は、テントやビニールシートになって送られます。それがないと現場は活動ができません。私たち職員と支援者の皆様が一緒になって、難民の命を支えているのだと実感する毎日です。大切なのは、ご寄付が積み重なり、絶えることなく、かならず応援があるという安心感を持ってもらえることです。UNHCR職員が難民の人たちに、「あなたはひとりぼっちではない、支えてくれる人たちがいる、こんなに沢山の人が応援を続けてくれているから大丈夫だよ」と言えるのは、支援者の皆様がいればこそです。 現在は、UNHCR駐日事務所の副代表という立場ですが、世界の難民の目や耳や声になり、その想いや実情を広くお知らせしたいと思っています。同時に日本からの声もうまくフィードバックしたいと思っています。日本が世界にとってかけがえのない大事な国であること、非常に必要とされている国であること、なぜなら、困っている人がいたらじっとしていられない、そういう人々の国だからだということ、そんな日本という国に世界中が期待していることをたくさんの皆様に知ってもらいたいと思います。 Q4 UNHCRで働くにあたって日々心がけていることを教えてください。
幸い、UNHCRでは、尊敬すべき先輩や同僚に事欠きません。そうなのか、そうしなければいけないのかと教えられる毎日です。今でも忘れられないのは、ある上司から学んだことです。思う通りにいかない難問を前にしたとき、最初から10万20万の人を助けることはできないかもしれない、それなら、今、目の前にいる人を助けることから始めたらどうだろう。今困っている目の前の人を一生懸命助ける、明日はまた他の人を、と続けていく。そうすれば、いずれ多くの人々を助けることになる、やる気も、元気も出てくる、というのです。なるほどと思いました。目の前で困っている人を助ける、そして、自分のことではなく、相手の立場になって一番いい選択肢をとることが大切です。 私は、いつも問題を解決する側にいたい。問題を起こしたり複雑にしたりする側にはいたくありません。こんなとき、高等弁務官だったらどうするだろうか、難民の代表がいたらなんというだろうか、そして「足下に泉あり」今、自分にできることをやり切る、そう考えて仕事をしようと思います。 今年は難民条例制定60周年、こういう時であるからこそ、日本の皆様とともに、今、助けを必要とする人々の未来を開く活動を一歩進めていきたいと思います。 注:2011年4月にお聞きし、2011年6月に加筆したものです。
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