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スリランカ東部のふるさとへ帰還後も、新たな困難に直面する若い母親

スリランカ東部のバティカロア地区で、食糧以外の支援物資の配給に列を作る帰還民カヴィタ・ラマニ※(Kavitha Ramani)さんの笑顔が部屋の中を明るく照らしました。しかし、その表情には何年にも渡る先の見えないスリランカ北東部での避難生活と、肉体的・精神的な疲労が隠しきれません。29歳ですが手や歩き方は老人のようで、姿勢も前かがみです。

2009年5月に、政府軍のタミールイーラム解放の虎(LTTE)に対する勝利で長きに渡る内戦が終結しました。そして、内戦終結前の数ヶ月にわたり避難を続けてきた人々が避難民キャンプから解放され、今日、彼女はついに両親と2人の子どもたちとともにスリランカ東部のバティカロア地区へ帰還を果たしたのです。帰還計画により、15万5000人以上の人々が政府の運営する避難民キャンプを離れましたが、約11万人が未だにキャンプに残っています。

小さな幸せが彼女の暮らしに戻ってきましたが、生活を立て直すという大きな課題を抱えています。さらにラマニさんの夫はLTTEのメンバーではないかと疑われて拘留されており、また彼女の娘は心臓疾患を抱え、特別な治療を必要としています。

現在、ラマニさんは、損害を受けた家の修繕などのシェルター支援、蚊帳、水汲み容器、調理器具セット、毛布、防水シート、衛生用品、防風つきランプなどの援助物資を支給するUNHCRのような機関や政府からの援助に頼っています。WFP(世界食糧計画) は6か月分の備蓄食糧を配給しています。

ラマニさんの人生はそのほとんどが苦難と共にありました。バティカロアのパディパライ(Paddipalai)地域の出身の彼女は家庭の経済事情により13歳で学校を退学し、その数年後に結婚しました。この間、バティカロアの大部分は、1983年に分離独立を求め政府と本格的に内戦へ突入したLTTEの支配下に置かれ、パディパライは激しい戦闘によって破壊されたのです。

2002年には停戦合意が結ばれましたが、2006年には再び情勢が悪化しました。同年、ラマニさんの夫はLTTEに拉致され、北部奥のキリノッチにある作戦本部へ連れ去られました。

彼女はその時のことをこう話しました。「子どもと一緒に北部へ行けば夫に会える、とLTTEに言われました。一度彼を訪ねた日からLTTEは私たちがその地を離れることを許しませんでした。だから、(沿岸部の)ムラティブ(Mullaitivu)に家を借りて、子どもたちとそこに住む以外にありませんでした。」

これが3年も続く苦難の始まりでした。「私たちの唯一の収入源は、私が育てた少しばかりの野菜の売り上げと、私の両親が時折送ってくれるお金だけでした」とラマニさんは言いました。

娘の健康も大きな気がかりでした。9歳の娘は赤ん坊の時に脳腫瘍と診断され、彼女の将来は厳しいものに思えました。ラマニさんはこう言いました。「治療のために、どうにかして娘を連れてコロンボへ行こうとしました。でも、実現する前に、ムラティブが戦闘地域になってしまったのです。」

2009年1月、政府軍はキリノッチを制圧し、その後LTTEの最後の砦であるムラティブを包囲しました。ラマニさん一家は何万人もの人々と一緒に戦闘地域に取り残され、安全を求めて逃げまどいました。何とか戦闘から逃れることができましたが、彼女の夫は足を折ってしまい、常に手助けが必要な状態でした。

内戦終結後、ラマニさんと子どもたちはワウニア北部にある閉鎖的な避難民キャンプに送られ、夫は尋問のため拘留されました。「それから夫に会っていません。夫からは何通か手紙が送られてきました。義母も一度だけ、彼を訪問することができました」とラマニさんは言いました。

彼女によると、5、6人用のテントに4世帯が同居するなど、当初の避難民キャンプでの生活は厳しいものでした。このような状況により、キャンプ内で下痢など病気が拡大しました。

しかし、UNHCRなどの人道援助機関が支援物資の支給のために避難民キャンプへ出入りできるようになってから状況は改善したそうです。彼女がワウニア(Vavuniya)にいる間、彼女の家族が食糧やお金を彼女に届けに定期的に避難民キャンプを訪れていました。しかし、受け渡しはキャンプを囲むフェンス越しに行われていました。「ただ、家に帰りたかったんです」と、ラマニさんはいいました。彼女の娘の病状も大きな心配の種でした。

2009年9月、彼女の願いは聞き届けられました。ラマニさんを含む数百名の国内避難民は、滞在していた東部からバティカロアの一時避難所へ連れて行かれ、その後ふるさとに帰ることを許されたのです。

26年にも渡る紛争が終わり、スリランカの人々が立ち上がって調和と平和のなかでスリランカを再建することをラマニさんは願っています。

彼女自身の試練が去ったわけではありません。夫や娘のこと、そして定期的な収入がない中で、生活のためにお金を稼がなくてはならないのです。「将来、私や私の家族がどうなるのか全く予想がつきません」と、若くたおやかなラマニは言いました。その微笑みは、苦難を通り過ぎた今も変わらず勇敢で輝いています。

* 本人の保護のため、仮名をつかっています

原文 : A young mother faces new challenges after returning to eastern Sri Lank10
ソース : Telling the Human Story
日付 : 2010年1月6日
日本語訳 : 安部健二郎、北川玲貴(国連UNHCR協会ボランティア)

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