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ブータン難民−希望と不安が混じった、新たな旅立ちへ
100人以上のブータン難民が、週末にネパールの難民キャンプからアメリカ合衆国へ旅立ちました。世界最大規模となる移住計画の始まりです。ネパールの首都カトマンズへの移動は、昨年11月にはじまった移住プロセスのなかでも最大のものです。3月の最終週に、カトマンズから、アメリカ国内のそれぞれの移住先へ飛行機で移動することになっています。
1990年代初めに生じた民族間の対立から逃れて、10万7千人以上のブータン難民が、ネパール東部の7つの難民キャンプに分かれて住んでいます。彼らは17年以上もの間、帰国の希望を持ち続けてきましたが、ネパールとブータン両政府間の帰国についての会談が、実に15回も決裂したために苛立ちをつのらせています。
「他の選択肢がなかったので仕方なく移住を選びました。会談の成果も上がりませんから」と、ジェイ・ナラヤン・アディカリ(Jay Narayan Adhikari)さん(37)は言います。彼とその家族も、サニシャレキャンプから出発した第一陣のメンバーです。
アディカリの妻シータ(Sita)さん(33)は、移住に不安を感じています。「みんな『アメリカ、アメリカ!』と言うけど、私はアメリカをよく知りません。移住するのは子どもたちのためです」
長女のジャムーナ(Jamuna)さん(16)は、興奮を隠せません。「私はクラスで10番目の成績なのに、これまでコンピュータを見たことさえありません。この現代社会で恥ずかしいことだと思います。ここの学校では理論しか勉強しなかったから、アメリカに行ってもっと勉強したいの」。
一方、数ブロック先では、その意見は逆転していました。バジガイ(Bajgai)家は大家族のため、二手に別れて出発しなくてはなりませんでした。チャンドラ・ラル・バジガイ(Chandra Lal Bajgai)(24)と彼の2人の姉妹が先に、残りは遅れて旅立つのです。姉妹は荷物を詰めながら泣き叫びました。母親は慰めることしかできませんでした。「どうして泣くの?どのみち、ここには何もないのよ。私たちもすぐに行くからね。アメリカでは未来が開けるわ」。
旅立ちの日、移住者たちは目を腫らし、疲れた笑みを浮かべて家から出てきました。そして友人と近所の人に付き添われて、空港へのバスに乗る待ち合わせ場所まで、バッグを引きずって行きました。付き添いの数はやがて2千人に膨れ上がり、皆が先発グループの無事を祈りました。
一行はネパール東部のバドラプール(Bhadrapur)空港からカトマンズへ移動し、アメリカ行きのフライトを待つ間、国際移住機関(IOM)のトランジット施設で過ごしました。
「昨日はキャンプに残してきた家族を思うと心配で眠れず、震えながら泣いていました」と、シータ・アディカリはアリゾナ行きの飛行機に乗る前に話してくれました。不安を抱えながらも新しい人生に踏み出すべくシャルワールとカミーズ(ネパールの民族衣装)からジーンズとブラウスに着替え、仕上げにサングラスを掛けました。
今後、200人以上のブータン難民が2008年3月末までにネパールから旅立ち、年末までには1万人以上が再定住する予定です。行き先は、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、デンマーク、オランダ、ノルウェーなどです。
現在までに、2万5千人の難民が第三国定住の登録をし、UNHCRはその中から移住国別に、合計1万2千人以上の名簿を提出しました。そのうちの大半はアメリカ合衆国行きを希望しています。移住の第一陣が、新しい土地に溶け込んだ後には、より多くの難民が移住を申し出ることが予想されます。
原文 : Refugees from Bhutan embrace new life with hope and anxiety
ソース : UNHCR News Stories
日付 : 2008年3月25日
日本語訳 : 森田枝里子、慶田由紀雄(国連UNHCR協会ボランティア)
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