





















|
 |

HOME > UNHCRの難民援助活動 > 難民救済に力を注ぐ「君のためなら千回でも」の著者カーレド・ホッセイニのインタビュー
難民救済に力を注ぐ「君のためなら千回でも」の著者カーレド・ホッセイニのインタビュー
カーレド・ホッセイニ氏は2006年UNHCRのアメリカにおける親善特使と任命されました。元アフガン難民による処女作の小説『君のためなら千回でも』は全世界でベストセラーとなりました。彼がUNHCR駐米事務所のシニアメディアオフィサー ティム・アーウィンと行なったインタビューからの抜粋です。
あなたやご家族は、どのようにアフガニスタンを離れアメリカへやってきたのですか?
私の家族は1976年にカブールを離れました。父が外交官で、パリのアフガニスタン大使館での勤務に任命されたからです。パリ滞在中、1979年11月にソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻し、私たち家族はフランスからアメリカに政治亡命を求めました。1980年には庇護が認められ、パリからカリフォルニア州サンノゼへ移りました。アフガニスタンではソビエト連邦との戦争が激化したため、その以来アメリカで生活しています。
渡米してすぐに直面した困難はどのようなものだったのですか?
困難を味わうことになったのは、私たちの家族が専門的な教育を受けていたためでした。母は大きな高校の副校長で、父は外交官でした。ですからアメリカに来て生活保護を受け、5人の子供を抱えながら仕事がないという状態に慣れる事が、何より彼らにとって厳しいことでした。当初は金銭的な問題があったことは確かですが、それ以上に彼らの自己に対する意識やアイデンティティの問題でもありました。
1980年代からアフガン人のコミュニティは少しは大きくなり始めましたが、そのころ私たちがいた地域には多くのアフガン人がいたわけではないので、両親はいくぶん寂しさが募っていたと思います。彼らの家族や友人たちの多くが取り残されていましたが、両親はとてもよく状況に適応したと思います。
両親はかなり早い段階で仕事も始め、私たち子供を学校に通わせてくれました。しかし初めの2、3年は彼らにとって大変困難な時期でした。
『君のためなら千回でも』が、アフガン難民に多くの人が関心を高めるきっかけになったと思いますか?
そう願います。アフガニスタン全般の状況について確実に多くの注目を集めたでしょう。私は頻繁に読者からメールをもらいます。私の小説を読んでからアフガニスタンに対してより深く理解するようになり、アフガニスタンとその人々に対して身近に感じるようになったと語ってくれています。
最近、アフガニスタンに帰国されましたか?またどのような感想をもたれましたか?
本が出版される数ヶ月前の2003年3月にアフガニスタンに行きました。27年もの間国を離れていたので、訪れた時には街は一変していました。物理的な観点で見てもインフラは破壊され、カブールの大半は破壊されたかそのまま放置された状態でした。まさに私が小説に書いたことと同じようなことが起こっていたのです。未亡人、孤児、戦争で負傷した人、退役軍人、手足の不自由な人が大勢おり、人々は道端でただ佇んでいました。
また1970年代には記憶にない銃の存在や軍隊が駐留していました。自分の記憶にあるよりも街は非常に混雑していて、大変汚染されていました。とはいえ、2003年には街には非常に良い前向きさがあり、人々は様々なプロジェクトに貢献しようと走り回っていました。それ以来訪れてはいないので、現在状況が変わってしまったのかどうかは分かりません。
どのようにして、UNHCRの親善特使に就任されたのですか?
非常に光栄なことに、2006年6月にUNHCRから人道賞を頂きました。そして6月20日、ワシントンDCで行われた世界難民の日の式典に参加しスピーチをしました。その後すぐ親善特使を務めることに興味はないかとUNHCRが連絡してきたのです。このことは私にとって、長年やりたいと考えていたことを実行に移すために様々な意味で完璧な手段でした。
世界中で最も多くの難民をつくりだした国の一つであるアフガニスタンの出身である私にとって、難民問題は自分自身に密接に関わる問題であり、心を深く突き動かす問題です。また同時に、解決のために何か少しでも尽力したいと願っている問題でもあるのでUNHCRから難民に関わる問題への意識を高める活動への協力を求めてきた際、非常に興奮し、たとえアフガニスタンやダルフールやどこであれ、人道的な活動をするための素晴らしい方法だと感じました。
最近チャド東部の難民キャンプを訪れたそうですが、そこで何を感じましたか?
ダルフールの悲劇について、記事を読んだり、テレビで見ることはできますが、実際にダルフールでの残虐行為によって傷ついた人々の手を取り、話をするということは全く異なる経験です。チャド東部にいる間に、私は何人かの難民と話をし、彼らの話に耳を傾けました。ダルフールに戻った人々に何が起こり、人々はそれにどれだけ耐えなければならなかったのか・・・ぞっとするほど恐ろしいものでした。彼らと出会い腰を下ろして話をした後、私はダルフールに起きた大変な大惨事をとても他人事とは思えませんでした。
またUNHCRのスタッフを含めチャド東部で彼らのために働いている人道支援活動をしている人々が、彼ら自身にとっても大変な危険な状況の中で仕事しているのだという印象をもちました。
チャド東部の状況は、私が予想していた以上にとても緊張したものでした。反乱軍と政府軍との戦いは続いており、状況は非常に不安定でした。私はたった一週間しか滞在しませんでしたが、この緊張感の中で来る日も来る日も働いているスタッフに対して深く敬服します。
これら私が感じた主な感想の2つですが、この紛争がどれだけ複雑で、民族意識がどれだけ深く根付いているかということを深く理解することができました。状況は変化し続けていますし、全ての異なる派の動向を追い把握するのはとても困難なことです。
チャドであなたが出会った医療チームのことをお聞かせください。
私自身も医師ですが、チャドで活動する医師たちがどれほど困難な状況下で仕事をしているのかを想像することしかできません。彼らは極限の環境の中で人々を治療し、そしてとても限られた治療設備しか持っていません。また、様々な疾病にさらされる環境にいる大勢の人々を治療しなくてはなりません。私は出会った医師たちの治療技術と人々への対応に非常に深く感銘を受けました。
現場において医師たちは、難民と現地のチャド人だけを治療するのではなく、反乱軍、チャドの軍人、強盗など様々な人々を治療しなくてはならないという困難な状況の中で活動しています。彼らは無条件にただ治療をしなくてはなりません。私自身がこのような状況下で医師として活動をすることが果たしてできるのかと、何度か自分自身に問いかけました。そして考えるほど彼らに対して敬服の念を抱きました。
UNHCRとこれから何を予定していますか?
難民支援のために公の場に出て、世界中の難民への啓蒙活動に務めるよう依頼されました。世間の人々の関心を集め、私自身のメディアへの露出を活かして人道危機の犠牲者について代弁することは、私にとって光栄なことだと思っています。
原文 : Q&A: Khaled Hosseini, author of The Kite Runner, keen to help refugees
ソース : UNHCR News Stories
日付 : 2007年2月16日
関連情報
映画「君のためなら千回でも(原題:The Kite Runner)」が、2008年2月9日(土)より、全国ロードショーが始まっています。
かつて難民であり、UNHCR親善特使であるカーレド・ホッセイニ(Khaled Hosseini)氏によって書かれた、世界的なベストセラー小説「The Kite Runner」は、時代に翻弄され生きる少年たちの友情を通して真実のアフガニスタンを感じられる感動作です。
上映会場、時間など詳細はこちらよりご覧ください。
2007年9月にホッセイニ氏がアフガニスタンを訪問したニュースもあわせてご覧ください。 |
|
 |