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アフガニスタン(ふるさとへ帰るアフガン難民)/
ふるさとでの住まいの再建、レンガと誇りと共に
UNHCRアフガニスタン事務所ニュース・翻訳
日付 : 2007年8月26日 クンドゥズ(Kunduz) アフガニスタン
文章と写真 : マリアン・マグレ氏(Maryann Maguire)
シャマイラ(Shamaila)さんにとってこの写真は、フレームは汚れて古いけれど、一番の宝物です。
「祖国から逃げた時、私たちは何も持っていませんでした。洋服も身の回り品も何もありませんでした。でも、彼が私たちを見守ってくれました」
あごひげを生やした夫の写真にキスをして、彼女は2本のさびた釘にそっと写真をかけました。その間、写真の中の夫は、鋭い目で彼女を見つめ返しています。両脇には彼女の兄弟や父親の写真が飾ってあります。
6年前のこと、シャマイラさんの夫は村を襲ったロケット弾で殺されました。村が攻撃されたのはそれが初めてではなく、彼女にとって戦争は珍しいものではありませんでした。
しかし夫が犠牲となったこのときばかりは、彼女はふるさとを離れる決心をしました。6人の子供たちを連れて、彼女は親戚や他の村人とともに逃れたのです。
2年前、かつてふるさとのコミュニティーを共に形成していた数家族と一緒に、彼女はふるさとに帰ってきました。今、彼女は泥で造られた家に住んでいます。家はアフガニスタン東北部のカルダラ(Chardara)にあり、攻撃され、夫を失った場所から、ほんの数メートルのところに建っています。
彼女の年長の子供たちは、水を汲みに行きました。子供たちが引っ張っていく黄色と青色の容器は、上や下にはねながら太鼓のような音をさせています。彼らは学校へは行っていません。半日の授業を受けるのに、往復3時間の道のりを歩かなくてはいけないからです。
シャマイラさんは、クンドゥズの砂漠地帯にある指定居住地域に住む、100人を超える住民のうちのひとりで、UNHCRからの支援を受けてきました。
「彼女のここでの状況は、アフガニスタン中の帰還民が必要としているものを表しています」、とアフガニスタン北部のマザリシャリフで、人道支援活動を行っているUNHCRの福村朋子保護官は言います。
「多くの帰還民は、ふるさとに帰って来て初めて、自分の村が完全に破壊されていることを知るのです。彼らが家に戻っても、そこには文字通り何も残されていません。水を一杯飲むにも、時に1時間も歩かなくてはいけないし、ほとんどの子供たちが学校に通うチャンスを得るには数年かかるでしょう。それでも彼らは驚くほどの元気や勇気を見せてくれるのです。」
彼女は、半分できあがった泥のレンガの家々を指差しました。その住居の影では、鮮やかなスカーフをまとった女性たちが休んでいます。
福村さんは言います。「UNHCRは、帰還民のふるさとでの住宅の再建を支援してきました。しかし、彼らが家族を養い、彼らの子供たちにより良い暮らしを送ってもらうためには、生計の立て直し、公共サービスへのアクセス、給水のための採掘、コミュニティーの再建など、まだまだ私たちの支援を必要としているのです」。
戦争のあった25年の間に破壊された住居や建物の数は、正確なデータとしてはありませんが、50万世帯以上が破壊されたと推定されています。多くの帰還民はふるさとに戻っても、親戚や友人のところに、たいてい何人も一緒に身を寄せるしかありません。そうした厚意にすがることもできない人たちは、テントで暮らすか、インフラが整備されず、建築基準に満たない公共施設に寝泊りしなければなりません。
2人の子供をもつ38歳のラーマット・ガル(Rahmat Gul)さんは、UNHCRの住宅再建支援プログラムの恩恵を受けました。
他の受給者と同様に、彼も住宅再建用のパッケージを受け取りました。パッケージには、家を建てるのに欠かせない道具や屋根の梁、扉や窓などが入っています。彼はちょうどトイレを造り終わったところで、誇らしげに、どうやってUNHCRの仕様に合わせて建てたのかを示してくれました。
彼は、集まった男性陣と同じように、何年も続いた戦争で破壊されたふるさとの共同体や村を再建することを、コミュニティーがどれだけ誇りに思っているか語ってくれました。
「ここは私たちの国、土地、そして私たちの村です。私は、父が祖国の様子を語ってくれるのを聞いて育ったのです。ここは、私が一員として暮らすべき場所なに、ここで生きて行くことは、なんと難しいのでしょう。私たちは水、仕事、そして子供たちが教育を受けることができる場所を必要としています」。
彼は力説するかのように、手のひらを見せました。「この手は仕事を求めています。パキスタンで、私たちは労働者として生計を立てることができました。でもアフガニスタンには仕事が全くありません。この村の全ての男たち同様、私は家族を養い、彼らに良い暮らしを送ってもらいたいと望んでいます」。
少し余裕のある家庭では羊や牛、ロバやラクダを飼うことのできるこの村では、水と雇用の確保は最も差し迫って必要とされるもののひとつです。
「運がよければ、ひと月に何日かの働き口が見つかります」。
彼らの日給は2ドルで、まず町に出るのに2時間以上歩かなければいけません。しかも、町で、日雇い労働にありつくことができるのは、運がよかったらの話です。
コミュニティーの男性の中には、働き口を求めてパキスタンに帰ってしまった人もいます。同様に、再びふるさとを離れることを考えている男たちは既に何人もいます。
そんな村の状況が、悲劇的な事件につながってしまいました。
シャマイラさんの6歳の息子を含む子供達数名が、この地域にちらばった地雷などの不発弾で怪我をしたのです。その地域はUNHCRの住宅支援の条件として、地雷を除去してありました。しかし、集落周辺全ての地域が地雷除去の対象となったわけではなく、子供達は遠く離れたところまで遊びに行ってしまうものです。
必死に収入を得ようとして、子供達が集めた榴散弾や迫撃砲の金属片を、市場で売っていた住人もいます。
少なくとも3人の子供達が怪我をしました。3人は片目を失い、その中の1人は腕の一部を失いました。昨年の6月には、子供たち数名が、集めた不発弾の破片を燃やそうとしていた際に、6歳の女の子が命を落としました。
2007年の住宅支援プログラムがこの村で終わりに近づく一方で、この地域ではまだ何百人もの帰還民が住まいを持たずにいます。
過去の帰還の傾向やアフガニスタンの政治が安定してきている兆候を考慮して、UNHCRは、2007年中にさらに多くのアフガン難民がパキスタンとイランから戻ってくるだろうと予測しています。冬が来る前の優先事項として、彼らの大半が住まいを必要とするでしょう。
「難民が大挙して帰還する時期は間違いなく終わりに近づいています。しかし、私たちにはまだまだここで果たさなければならない大きな役割があります。」クンドゥズにあるUNHCRのアレックス・ムンド(Alex Mundt)事務所長は言います。
「村のほとんどの人たちが、UNHCRに大きな信頼を寄せてきました。彼らは難民だった頃から私たちのことを知っていて、私たちは彼らの帰還を支援してきました。彼らは、コミュニティーの再建には時間がかかるとわかっています。もしかすると一世代にわたる歳月を要するかもしれません。それでも彼らは支援する私たちを頼りにしているのです」。
パキスタンやイランからのふるさとへの長い道は、さまざまな意味で終わりに来ているのかもしれません。しかし、再建という新たな道のりが始まろうとしています。





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