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コロンビアの若い避難民自らの居場所を求め歌う
群れをなして通りへと向かう一団、がっしりとした腰周りやとがった頭、サングラスに野球帽といった一見強面の若者たち。スラム街の2階からこれを眺める居住者らは、これから何が起こるのか不安な面持ちです。
すると音楽が鳴り響きカメラが回り始めました。「ここがぼくのテリトリーだ(This is My Territory)」− これは27人のアフロ・コロンビア人の若者らがUNHCRの支援を受け、初めて制作しているミュージックビデオです。このビデオの制作にあたっては、ある人の古いラップトップに録音されていた曲をもとに作曲、卵の殻で防音した仮設のスタジオで収録、近隣での撮影、とすべて地元で行われました。
このバンドは2010年12月、2日間にわたり開催された音楽祭後に結成されました。そのイベントは300人以上の若者がBuenaventura(ブエナベントゥラ)での暴力行為に立ち向かうために結成する場となりました。ブエナベントゥラは太平洋岸にあるコロンビア最大の港で、また周辺地域の非合法武装組織間の戦闘から逃れてきた人々のハブ地域でもあります。
バンドメンバーの1人、28歳のウバルディノ(Ubaldino)さんは2006年Cajambre川近くの戦闘のあと避難してきました。「人々は脅されていました。もし非合法の武装組織に従わなければ、終わるのは確実だった。穀物を失っても逃げてまたやり直すほうがマシだった」と彼は言いました。「ぼくの母は人生が根底から覆されたことに苦しみ、その後すぐに脳卒中で亡くなりました。」
5年間もブエナベントゥラの近くのLleras の若者らと一緒に働いているアドリエル(Adriel)神父は、「武力闘争によって家族は分断させられてしまった。彼らには両親がいないものも少なくないし、また常に何か、たとえば日々の食糧すら得るためにも戦わなくてはならないんだ」と言います。
多くの若い避難民たちはバスの運転手、靴修理、理髪師、漁業や建設作業員など臨時の職についています。彼らはみんなお金がなかったり、大家族を支えなくてはいけなかったため学校を卒業できたわけではありません。彼らはごみ、貝、マングローブ、泥、砂利やセメントで海を埋め立てたスラム街、Lleraに住んでいます。
これらの現実を彼らは歌に投影させました。「音楽はぼくのすべてを表している」とバンドリーダーのアンヘル(Angel)さんは言いました。「ぼくは8歳の時から演奏している。避難したころ、ぼくは木の上で寝、パン、水、ブラウン・シュガーを食べて暮らしていた。この地域の若者たちには何のチャンスもない。ぼくがしなければならないことはこれなんだ。他に選択肢はないんだ。」
土地とアイデンティティーは彼らのメッセージにおいて重要な部分です。「テリトリーは人生であり、テリトリーなくして人生はありえないのだ」とその曲なかで歌っています。バンドメンバーである、22歳のジェイソン(Jason)さんはこう説明します。「ここがぼくのテリトリーだ(This is My Territory)という曲は、飢えや暴力、あらゆることに耐えてきて、いま音楽のためにここにいる若者たちのことなんだ。音楽はぼくたちのメッセージを人々に伝えてくれる。そのメッセージとは自分たちの土地を探し求め戦っている若者たちがいるってことなんだ。」
武力闘争のため、公園や運動場を若者が使用することも難しくなっている地域もあります。そのためブエナベントゥラの若者らは自らのテリトリーとコミュニティーでの権利を守るため、生活スペースの建設や公的プロジェクトに加わろうと必死です。
「ぼくたちは独特な性質をもった[アフロ・コロンビア人]という民族の一員だし、ぼくたちにはぼくたちの文化や伝統がある。歴史を共有し、ぼくたちのアイデンティティーを保っているんだ」。バンドメンバーの1人はグループの気持ちを代弁しました。「話し合いは大事だよ。ぼくたちはこのコミュニティーの発展のため自由参加と意思決定の権利を保証しなくてはならない。それによって生活水準は上がるんだ。」
現在約7万5500人ものコロンビア人が太平洋岸の川沿いや近隣の地域からブエナベントゥラに避難してきています。
原文 : Colombia’s displaced youth sing out for own space
ソース : UNHCR News Stories
日付 : 2011年5月19日
日本語訳: 平形聡子(国連UNHCR協会ボランティア)
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