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HOME > UNHCRの難民援助活動 > Q&A:ケニア難民キャンプに避難する若いウガンダ難民の地位向上を映画で支援

Q&A:ケニア難民キャンプに避難する若いウガンダ難民の地位向上を映画で支援

ケイト・オフォノ(Kate Ofwono)さん。ジュネーブの公園にてケイト・オフォノ(Kate Ofwono)さんは、国際女性の日に関連したUNHCRのイベントに参加するためジュネーブを訪れました。ウガンダから避難した23歳の彼女はパネル・ディスカッションに参加し、カクマ難民キャンプでの自身の生活を撮った映画を上映しました。父親が殺害され、また母親は誘拐されたため、オフォノさんは4年前にウガンダ東部からケニア北西部の難民キャンプへ逃げました。そこで彼女はフィルムエイド・インターナショナル(FilmAid International)のナイロビ事務所に関わるようになりました。フィルムエイド・インターナショナルはニューヨークを拠点とする慈善団体で、難民となった人々や脆弱な人々を映画やビデオを使って元気づけ、またカクマ難民キャンプでのUNHCRの事業実施パートナーでもあります。オフォノさんは、UNHCRの広報担当でプロの写真家でもあるヘレン・コークス(Helene Caux)とオフォノさんの生活について話をしました。以下はインタビューからの抜粋です。


どうしてウガンダから避難することになったのですか?

私が国を離れたのは、両親が政治に関わっていたために二人に起こった出来事が原因です。2006年の選挙(過去20年で初めて行われた複数政党制選挙)で、私は選挙運動に参加し、若干の脅迫を受けました。そして、父が殺されて母が誘拐された時、私は野党に関わっていたので逃げなければなりませんでした。
私の父はウガンダ軍に所属していましたが… 父は自分が信用されていないと感じていました。人々は父を反政府勢力のLRA(神の抵抗軍)に関係していると非難しました。父はこれを否定しました。ケニア国境の近く、トロロ(Tororo)の自宅で殺される日まで、父は何の前触れも感じていませんでした。私は学校にいて、いとこが後で教えてくれたのですが、父を殺して母を誘拐した人間たちは私のことも探していたそうです。なので、私は家にいられなくなりました。誘拐以来、母には会えていません。


どこへ行きましたか?

私がすべき明白なこと、それはウガンダを出ることでした。ケニア西部の国境近くに住んでいましたから、私はいとこに国境まで車で送ってもらいました。入国審査を避けたかったので、線路沿いに歩いて国境を越えました。マラバ(Malaba)の町にあったお店の前で泣きました。どうしたのかと聞かれて答えると、マラバでは私を助ける事ができない、ナイロビにあるUNHCRの事務所へ行くべきだと言われました。
ナイロビでの最初の夜はどこにも寝る場所がなくて、路上で横になりました。男の人がやって来て、ベルトで私のことをひどく叩きました。その人は私をそのままにして立ち去り、私は病院にも行けませんでした。ナイロビの屋外で寝ることはとても危険なことでしたが、どうしようもありませんでした。次の日の朝、UNHCRへの道を聞くと、バスでUNHCRの建物のゲートまで連れて行ってくれました。
職員にナイロビにいたいか、それとも難民キャンプに行きたい尋ねられ、それは私が選ぶことではなく職員が決めることだと答えると、難民キャンプへの通行証をくれました。私はカクマ難民キャンプへ向かいました。


その時の難民キャンプのこと、そして何を考えていたのか教えてください。

たくさんのテントがあって、悲しい顔をした人々のいる場所だと思っていました。到着して、こう思いました。「これで私も終わりだわ。」天候もよくありませんでした。私はあのような暑さに慣れていませんでした。あと、食事も食べ慣れているものではなかったのですが、文句は言いませんでした。だって、みんな同じものをもらっていましたから。
私は(早くから)フィルムエイドで友達ができてラッキーでした。フィルムエイドが難民キャンプのレセプションセンターで映画を上映した時に他の人達にも会いました。ウガンダ人も何人かいて、どこか住む場所が必要だということも含め自分の問題を説明しました。ウガンダ人家族1組が第三国に再定住したので、彼らが引っ越した後に私が入りました。私は運良くウガンダ人コミュニティにある家を得ることができました。


フィルムエイドへの関わりは?

ある時、フィルムエイドが運営する参加型ビデオプロジェクト(PVP)への参加を呼びかける案内が難民キャンプに掲示されたので、それに応募して選ばれました。参加者はカメラの基本的な使い方、演技、編集、脚本、監督について訓練を受けました。とても興味深くて、私はベストをつくしてクラスで1番になりました。PVPのファシリテーターが再定住したので、応募して仕事を得ました。


プログラムのどこが好きですが?

同じ境遇にある難民の手助けをできるところが好きです。私は訓練を受け、今は人を訓練する立場にあります。一人前の人間になった感じがします。他の人に教えることで人は自信を持ちます。若い女性でここまでできる人はそんなにいないので、私はとても誇りに思っています。教えるということはまた、恩返しをするすてきな方法でもあります。フィルムエイドで、私は自分の難民キャンプでの暮らしを短編映画にしました。


難民キャンプの暮らしはどうですか? 今はより安全に感じますか?

もちろんです。しかし、新たな問題もあります。受け入れ地域の人達の中に、難民が特別待遇を受けていると思ったり、難民がお金を持っていると思ったりしている人達がいます。そして、私のいるコミュニティでは、時々お酒を作る人がいます。もしそういう人たちが、主に男性ですが、酔っぱらうと通りすがりの若い女性に絡もうとしたり、からかって口笛を吹いたりします。


今後の予定は?

たくさんやりたいことがあります。学校に戻りたいです。あと、音楽もやりたいです(オフォノさんは素晴らしい歌手で曲も書きます)。音楽は私の人生でとても重要です。家族も欲しいし、よい生活もしたいし、他にもたくさんあります!


あなたにとって3月8日国際女性の日とは?

女性の日とは、女性が自分たちのことについて意見を述べ、聞いてもらい、どんなことでも何でもできるのだということを示す日だと思います。


原文 : Q&A: Film helps empower young Ugandan refugee in Kenyan camp
ソース : Telling the Human Story
日付 : 2010年3月18日
日本語訳 : モンテサ絵美(国連UNHCR協会翻訳ボランティア)

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