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加速するウガンダからスーダンへの帰還
UNHCRは、スーダン南部の東エクアトリア州に帰還するための新しい道路が開通したことで、スーダンを逃れた人々がウガンダからふるさとへ自主帰還することを支援しています。ウガンダにある11の難民キャンプで生活をしているおよそ16万人のスーダン難民のうち半数は東エクアトリア州の出身です。
ウガンダのホイマ県(Hoima)にあるキャングワリ(Kyangwali)とキリアンドンゴ(Kyriandongo)の難民キャンプから133人の難民たちを乗せた最初の一行は、一週間ほど前にスーダンとの国境の南端にあるスーダンの町ニムレ(Nimule)に到着しました。「家に帰るのが待ち遠しいです。スーダンの平和がずっと続くよう願っています」と、7人の子どもがいるジェシカ・アチロ(Jessica Achiro)さん(45歳)は2日間にわたる帰還の途で立ち寄ったウガンダ北部の町グル(Gulu)で、UNHCR職員に語りました。
ウガンダからスーダン南部への続く三番目の帰還ルートの開通は、2006年5月のUNHCRとウガンダ・スーダン両政府の合意のもと、国境付近の治安向上の結果を受け実現したものです。新たな帰還ルートが開通したことで、UNHCRはより多くのスーダン難民が2007年の内にスーダンへ帰還することを期待しています。スーダンのマグウィ(Magwi)郡の町ニムレのUNHCRの活動を率いるクリス・ハム所長によると、「最初の帰還民の一行はとても幸せそうでした。彼らの多くは(ふるさとのスーダンを逃れた先のウガンダでも、)ウガンダ政府と対立する「神の抵抗軍(Lord’s Resistance Army、LRA)」の攻撃に苦しんだ人々でした。でも帰還民たちは明るく、身の危険を感じていませんでした」とのことです。
LRAによる攻撃のため、つい最近までUNHCRはスーダン・マグウィ郡で支援活動ができませんでした。さらに、1990年代半ばからはLRAの活動がスーダンの東エクアトリア州にも及びました。そこでLRAはウガンダ・スーダン両国の村々を弾圧し、住民を誘拐し、北部ウガンダからスーダン南部へと移動する車を襲撃していました。しかし、数ヶ月前にLRAがマグウィ郡から撤退したことにより治安が向上し、それがスーダンへの帰還を望む難民たちの気持ちを後押ししました。
UNHCRとドイツ技術協力公社(GTZ)は新しい帰還路を利用する難民支援のため、国境の町ニムレに一時滞在センターを設立しました。UNHCRはNGO組織と協力し、水道整備、健康、教育問題等に取り組むつもりです。
「ついに家に戻ることができ、とても幸せです。まだ水も出ないし道路も整備されていませんが、それでも家が一番です」。25歳のジョン・オリンさんは妻と三人の子どもをウガンダのキャングワリ難民キャンプに残してきましたが、今年中にマグウィ郡で再び家族がひとつになれればと考えています。
多くの帰還民はそれぞれに痛ましい経験をしています。16歳で子どもをもつナイト・アコラさんは、3歳の頃にスーダン南部から逃れました。彼女はいま弟と暮らしています。父はスーダン南部で反乱軍に殺され、母はLRAに虐殺されました。それでもアコラは英語力を向上させ、コンピュータースキルを習得して秘書の仕事につきたいという夢を持っています。
2005年冬に自主帰還事業が始まってから今まで、およそ15万7000人のスーダン難民がスーダン南部とブルーナイル州に戻っています。このうち6万6500人ほどがUNHCRの支援により、中央アフリカ・コンゴ・ウガンダ・ケニヤ・エチオピアの近隣5カ国から帰還しています。
原文 : Sudanese repatriation from Uganda gathers pace
ソース : UNHCR News Stories
日付 : 2007年8月17日
日本語訳 : 萩原佳南子、田中千香子(国連UNHCR協会翻訳ボランティア)
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