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長い旅路の果てにソマリア国内避難民キャンプにとどまる事にした、あるソマリア人の物語

シードウさんが長い旅路の果てに、家族とともに向かったガルカヨ(Galkayo)のソマリア国内避難民キャンプ5年前の2004年にソマリア中部のアフグーィ(Afgooye)で住まいが地元兵士に襲撃されたとき、まともな暮らしをするためには遠くへ逃げるしかないとシードウ(Siidow)さんは悟りました。

「土地や家財など全て捨てて避難しなければなりませんでした」と67歳のシードウさんは、数百キロ離れたソマリア北部の町ガルカヨ(Galkayo)でUNHCR職員に語りました。

シードウさんは生き残った8人の子どもと5人の孫たちを残してすぐに妻のマリアム(Maryam)さんとともに避難しました。比較的情勢が安定しているソマリア北部のプントランドの港町ボサッソ(Bossaso)で密航業者と交渉し、海を越えてイエメンに行く計画を立てていたのです。

「イエメンまでの危険な旅の方が、略奪とレイプばかりのふるさとにいるよりもまだましに思えましたし、また航海から生き延びられたらイエメンかサウジアラビアで安全な暮らしができるに違いないと思ったのです」とシードウさんはUNHCR職員に語りました。

多くの人々と同様、シードウさんもイエメンをまともな職につけるか別の湾岸諸国での職の足がかりになる約束の地だと思っていました。そこに生きてたどり着けない可能性があることはわかっていても、他に選択の余地がないと感じていたのです。

2004年の中頃、長く厳しい道のりの末にシードウさんとマリアムさんはボサッソに到着し、毎年荒れた海に老朽化した船で何万人もの人々を送り出している、冷淡な密航業者と交渉を始めました。

到着して1カ月、二人が乗る船が手配できたと言われ、一人100ドルを請求されました。「定員60名のボートに300人以上乗せられました」とシードウさんは振り返ります。「武装した密航業者はできる限り多くの人を乗せるため、わずかばかりのナツメヤシとビスケットしか持ちこませてくれませんでした。」

それが試練の始まりだったのです。2日目にエンジンが壊れ浸水が始まりました。武装した密航業者は、船が沈まないようイエメン沖に着くまで何日も乗客に水をかきださせ、暴行を受けていた人も中にはいました。

全乗客は沖合数百メートルのところで海に投げ出されました。シードウさんは泳げない妻を助けながら、二人とも死んでしまうのではないかと思いました。

二人は海岸まで泳ぎつきましたが、何日も炎天下を漂流して溺れてしまった人も多くいました。海岸に着いた後は休む間もなく、今度は歩かなければなりませんでした。

イエメンに到着したほとんどのソマリア人は、UNHCRからインタビューを受けるレセプションセンターに連れて行かれるのですが、シードウさんはそれをすり抜けアデンの街にたどり着きました。幸運なことに車の洗車や肉屋での仕事を見つけることができ、数か月後、サウジアラビアまでの旅費をためることができました。事態は良くなると信じて紅海の街ジーザーン(Jizan)を目指しました。

しかしながら、ふるさとのアフグーィから30キロしか離れていない、内戦の続くソマリアの首都モガディシュに到着しました。夫婦はほぼ一周してきてしまったのです。シードウさんは迷うことなく次の行動に出ました。「危険すぎて、とてもモガディシュにはいられませんでした。イエメンで稼いだお金の残りを使い、すぐにガルカヨまで逃げました。今ではガルカヨで家族全員がそろうことができました。」

ガルカヨもプントランドにありますが、海からは遠く離れています。シードウさんは再び非現実的な夢を追って命をかける気はありません。「もうソマリアを出ようとは思いません。また命を危険にさらす意味がないのです」と言います。現在の暮らしに満足し、家族が安全で、またクリーナーとしての仕事もあることに感謝しています。

多くの人々が似たような夢を描いています。2009年1月から10月の間に、少なくとも6万2000人が密航船でイエメン沖にたどりつきました。430名以上が溺死または行方不明となっています。アデン湾を渡る人々の多くは貧困を逃れるためですが、紛争や迫害から脱出する人々(特にソマリア人とエチオピア人)も多くいます。

原文 : Farmer decides to stay in Somalia after crossing the seas on a round trip to nowhere
ソース : Telling the Human Story
日付 : 2009年11月23日
日本語訳 : 安田万里、園田あや(国連UNHCR協会ボランティア)

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