
HOME > UNHCRの難民援助活動 > ケニア・カクマ難民キャンプから/根本かおる 緊急報告
ケニア・カクマ難民キャンプから/根本かおる 緊急報告(2009年4月2日)
国連UNHCR協会 事務局長 根本かおるは、2009年3月25日配信のメールニュースで、ソマリアの戦禍を逃れ、隣国ケニア北東部のダダーブ周辺の難民キャンプに避難した人々が置かれた状況についてお伝えしました。今回は、ケニア北西部のカクマ難民キャンプの現状について、緊急リポートをお届けします。
それは人生の明暗が分かれる光景でした。2009年3月19日、ケニア北西部のカクマ難民キャンプの出発・到着センターでのこと。「出発」とは、長年の難民生活に終止符を打って故郷に帰ることを言い、「到着」とは、戦禍を逃れてキャンプにたどりつくことを意味します。このセンター内では、南部スーダン出身の人々が故郷に持って帰る家財道具をいそいそとまとめる横で、無政府状態から抜け出せず、戦闘状態・旱魃・食糧不足に見舞われたソマリアから逃げてきた人々が、蚊帳を吊って、これからの避難生活に備えていました。
ソマリアを追われた人々
「夫はソマリア時代に行方が分からなくなりました。その後、私たちが住んでいた首都モガディシュは戦場となり、親戚縁者もどうなってしまったのか分かりません。女手一つで子ども4人を連れて、必死でここケニアのカクマまで逃げてきたのです。」 - こう淡々と語るのは、ソマリアから避難して1ヵ月になるという25歳のマシャさん。英語が堪能で不思議な落ち着きを持った人でした。「親戚も知り合いもいないけど、ここで友達もできました。皆、一人で子どもたちを養っている女性たちです。」と、すぐ横にいた若いお母さんたちを紹介してくれました。
 ダダーブ難民キャンプからの緊急報告はこちら
人口の97%がソマリア難民というダダーブ難民キャンプとは違い、カクマ難民キャンプはスーダン、ソマリア、エチオピアなど10もの異なる国々出身の難民たちが「共生」するキャンプです。ソマリアとの国境に近いダダーブでは安心できない、あるいは生活環境が厳しすぎるなどという理由から、遠く離れたケニア北西部のカクマまでやって来るソマリア難民もいます。とは言っても、避難してきたすぐ横で、故郷への帰途を準備する人たちがいることについてどう感じるのか、マシャさんに聞いてみました。「愛する祖国に帰りたくないはずはないでしょう?でも、現在のソマリアに帰るのは嫌です。今はカクマに居られて、とても安心しています。」
スーダンに帰る人々
南部スーダン出身の人々は一目で分かります。男性は背がバスケットボール選手のように高く、筋肉質で、肌が黒い。話を聞いたバラージュさん(24歳)もそう。11歳のときにカクマに逃げてきて、故郷のことは慌しく逃げてきたこと以外、余り覚えていないと言います。家族は昨年帰還していて、そのあと一人で残っていました。荷物は小さな緑のトランク一つだけ。「帰った家族から状況がどうなのか何も聞いていないけど、帰ることにしました。帰ったら、是非カレッジに行きたい。」と言います。2002年に南部スーダンから家族で逃れてきたジョーさんは、「逃れてくるときに、家も学校もすべて壊されてしまった。戻ったら子どもたち二人を新しい学校に通わせて、いい職につけてあげたい」と語ります。
「帰ったらしっかり勉強したい」「子どもを学校に通わせたい」と、南部スーダンに帰る人々は、口々に教育のことを言います。今はキャンプに残ることを決意した人もまた同じです。一人で何人もの子どもを育てているお母さんは、帰らない理由としてこう述べました。「南北スーダンの紛争で両親を亡くし、家を壊され、93年にカクマにやって来ました。スーダンに帰っても住む場所はありません。子どもたちがキャンプの学校を卒業したら、いつかスーダンに戻りたいと思います。難民キャンプでは無料で教育を受けられますが、スーダンに帰ったら教育の機会が無いかもしれませんし。」
国連UNHCR協会は、彼らの故郷の南部スーダンで、帰還した難民たちを学校の先生として養成し、彼らの力を南部スーダンの国造り・平和構築に役立てるというUNHCRのプロジェクトを支援しています。教員養成学校2校と小学校5校の建設を含むパッケージですが、日本政府からの資金協力に加えて、国連UNHCR協会を通じて寄せられた募金もこれに活用されているのです。カクマの人々から教育の機会の重要性を直接聞き、南部スーダンでの教育を通じた平和の定着支援に関っていることを非常に嬉しく思いました。
 UNHCR、日本政府のコミュニティ開発支援無償資金協力による「南部スーダンにおける帰還民統合及びホスト・コミュニティ支援のための教育施設建設計画」による教員養成学校(TTI)の着工式を実施(UNHCR駐日事務所プレスリリース)
|